(4)パリ~チューリヒ [2017冬の旅(パリとチューリッヒ)]
1/28(金)パリCDG13:10→チューリヒ14:25
10時30分ごろのチェックアウトまでゆっくり部屋で過ごし、呼んでもらったタクシーでパリ北駅へ。RER線の切符の自販機がまたわからなくなって、結局窓口で購入。この日は正規料金の10€でした。乗り場までエレベーターに乗りましたが、間違えて1階上で降りてしまい、その上改札を通ってしまいました。元のエレベーターに戻れず階段の上で困っていましたら、先ほどエレベーターで一緒だった日本人の若い女性が階段を駆け上がってきて、スーツケースを運んでくれました。優しい~!お姉さんもご一緒でした。二人とも化粧も薄く素敵なな美人姉妹で、すれ違う男性が振り返るほど、私まで鼻が高く・・・(笑) 。これからミラノに向かうのだそうで、電車が混んでいて離れてしまいましたが、個人旅行の若い人に会っても親切にされたり、話すことも稀なのでひと時の出会いでしたが、ハッピーでした。
さて、順調なフライトでチューリッヒ空港に到着。電車で中央駅へ行き、タクシーでホテルへ向かいました。ホテルは何度か泊ったことのあるSmall Luxury Hotel Ambassador a l’Operaに 2泊 しました。
↓お部屋もいつものシングルルーム
今夜はオペラなので、旅装を解いた後はベットに横になってウトウト仮眠。劇場も道路を隔てた隣の建物なので15分前に部屋を出ても余裕です。劇場の前で写真を撮ってもらおうと若い女性に頼んだのですが、良く見ると彼女は手にアイスクリームを持っていて・・・なぜか他の人に頼む気もなくなって劇場内へ。
席は最前列の右より。ファースト・カテゴリー230CHF(約28,000円)でした。10年以上も前になりますが、ケルビーニの『メデア』をパリで観たことがありました。同じギリシア悲劇(エウリピデス作)を基にしたシャンパンティエの『メデ』も上演されることが稀な演目ですから、これを逃しては死ぬまで機会はなさそうです。同時期にウィーンのオペラとザルツブルクのミンコフスキのコンサートがあり、最後まで迷いましたがチューリヒではこの翌日ファジョーリのコンサートもあり、移動も少ないのでチューリヒを選びました。
♪~シャルパンティエ『Médée/メデ』19:00開演
指揮:William Christie 演出:Andreas Homoki
Médée :Stéphanie D'Oustrac Jason :Reinoud Van Mechelen
Créon: Nahuel Di Pierro Créuse :Mélissa Petit
Oronte :Ivan Thirion Nérine: Carmen Seibel Arcas:Spencer Lang Cleone :Gemma Ni Bhriain
Orchestra La Scintilla
Chor der Oper Zürich
Mitglieder von Les Arts Florissants
指揮のクリスティは前年東京でコンサートがあり来日しています。もちろんチケットは早くから買ってあったのですが、都合が悪くなりパスせざるをえなく、とても残念でした。今までヘンデルの『リナルド』『セメレ』、パーセルの『ディドとアエネアス』など小ぶりの劇場でのバロックを聴いてきました。それぞれが、忘れがたく優れた演奏でした。久しぶりでしたが、血色も良くお元気そうなクリスティおじいさま(と言っても私と同じくらいの年齢 汗)。
舞台は古代ギリシアを現代に置き換えたものですが、そう抵抗なくフランス・バロックの音楽に浸ることができました。タイトルロールのメディアを歌ったドゥストラック以外は知らない歌手ばかりでしたが、穴のないパフォーマンスが素晴らしい~!男と女の葛藤から次第に心理的に追い詰められ、狂気を帯びていくメディアの哀れさと背中合わせの魔女的子殺しの恐怖。ドゥストラックの白い眼をむいた狂気の表情は最前列なので、良く見えたこともあり、背筋が氷りました。過激的なドラマですが、演奏は小編成のバロックオーケストラで古雅なのが、かえって人の性(さが)の哀れさを引き立てているようです。さほど多くのバロック・オペラを観ているわけではありませんが、とても満足できる体験になりました。現代オペラではライマンの作曲による「メディア」もあるとのこと、いつか観るときがきますように。。。
追記/2008年にパリ・シャンゼリゼで観たリュリの『テゼ』はメデの後日譚。この『メデ』は17世紀のメデア・オペラとしてリュリの『テゼ』と前後して1693年シャルパンティエによって作曲されました。メデの心理描写が見事で、激しい怒り、母としての愛、悲嘆、子殺しへの逡巡が各幕のモノローグで的確に語られ、フランス抒情悲劇の傑作として後世に残りました。
終演後、10時過ぎてもホテルのレストランがまだ営業中でしたので、軽くキノコのリゾットをいただいて部屋に戻り、今夜の余韻に浸りながら就寝。
(3-2)パリ [2017冬の旅(パリとチューリッヒ)]
~続きです。
常設展も3度目とはいえ15年ぶりなので、記憶をたどりつつロマネスクを中心に巡りました。照明を落としたベルギー・タペスリーやゴシックの祭壇の部屋を抜けると
↓アヴィニヨン派の「ピエタ」15世紀。南仏プロヴァンスのタラスコンのシャトー旧蔵
↓階段脇には線刻の彫刻版(詳細不明)がいくつか。
↓ガラス天井の明るい展示室にはノートルダム寺院にあったゴシック彫刻の「奏楽の天使たち」&「人物柱の裳裾部分」
↓ステンドグラス室のなかのロマネスクはごくわずか。上部「聖テモテ」1160頃 Neuwillerにあったもの。下部は 「天国に昇る聖ブノアを見守る2人の修道僧」1140-44 南仏のタラスコンのシャトー旧蔵。
↓スペイン・ロマネスク の柱頭彫刻。「アダムとイヴの物語」12世紀。カタルーニャ北部。
↓「アブラハムの物語」より「ノアの箱舟」。カタルーニャ北部のSant Pere de Rodes修道院旧蔵
↓仮設の階段を上って上階へ。昨日行ったばかりのボーヴェの館にあったタペスリーの部屋。中世には華やかな都だったこと が偲ばれます。写真では見えませんが、下部の木製のベンチ(教会)には庶民の暮らしが生き生きと彫られています。
↓奥の突き当りにゴシックのチャペル が残されています。
↓ 「磔刑図のプレート」エナメルと金細工。1160-70 ドイツのヒルデスハイムにあったもの。
↓「Olifant/中世の象牙の角笛」1100年ころ。モーゼル県Metzの教会旧蔵。精巧な彫が素晴らしい逸品です。
ここまでで4時間ほど。さすがに空腹と疲れでぐったりです・・・サンジェルマン大通りにでて右折、サンタンドレ・デサールの細い路地のイタリアンでランチ。地元のお客さんでほぼ満席の人気店。私は海鮮パスタにしましたが、隣のテーブルを見るとピッツアが美味しそうでした。
↓途中の本屋さんのショーウィンドーに「断捨離」の仏語の本を発見。L'art du rangement・・・片づけの芸術かあ(笑)
ホテルに戻り夕方まで仮眠後、サンミッシェルからオペラ・バスチーユまではホテルの前からバスに乗って行きました。バスチーユ手前のサン・ポールで降車。この近辺を歩くのはひさしぶりです。カナリア諸島へ行く前に寄って以来ですから6年ぶり。朝ごはんを食べに通ったカフェ(右)と八百屋さん(左)は変わっていません。
↓上の写真の突き当りの建物がエコール。第二次大戦時にマレ地区の小学校だったことから、ユダヤ人の子供たちが連れ去られ犠牲になったところです。この向かいのプチホテルに2005年に泊まり、窓から↓のプレートを 発見して気が付きました。
現在もまだまだ平和とは言い難く、IS国のテロがパリ、ニースと続くフランスですが、萎縮せずに普段通りに暮らし、音楽や芸術を愉しむ街 。だからこそ私も一抹の不安はあるけれど、やってきたのです。
↓オペラの前に近くのカフェでフルーツたっぷりのパフェ。。。ですが、日本のパフェより高くて美味しくない・・・。
↓バスチーユ・オペラ座
昨年は無駄にしたチケットが多く、それに懲りて旅に出られそうな確率が高くなってからパリ・オペラのHPをチェックしました。でも、今やオペラ界の超スパースターになってしまったカウフマンの公演ですから、すでに完売。しばらくしてまたのぞいてみると、たまたま最近は彼のキャンセルが多かったせいで、戻り券を1枚発見!即ゲットしました。入り口は金属探知機や荷物チェックなどあって、やや物々しい雰囲気ですが、中に入るといつもの華やかな劇場風景です。気のせいか女性が多いみたい・・・。第2カテゴリー204€ですが、平土間中段右寄り通路側。
♪~ ワーグナー『Lohengrin/ローエングリン』19:00開演
Conductor:Philippe Jordan
Director:Claus Guth
Heinrich der Vogler:René Pape
Lohengrin:Jonas Kaufmann
Elsa von Brabant:Martina Serafin Edith Haller
Friedrich von Telramund:Wolfgang Koch
Ortrud:Evelyn Herlitzius
Orchestre et Choeurs de l’Opéra national de Paris
カウフマンがキャンセルしないで歌ってくれる~という熱いファンたちの期待感でいっぱいの中、幕が上がりました。序曲が始まりましたが・・・あれっ?ドイツ的でないソフトな演奏にワーグナーらしくなくてがっかり。演出は苦手なグースですが、今回は特に可もなく不可もなく、城と木々と湖をなんとなく配した舞台です。カウフマンは白鳥のように体を丸めて登場し、素敵~!と思わず拍手しそうになって(笑)。パーペは昨年のベルリンで聴いたグルネマンツに比べると重厚さは抑え気味、カウフマンに至っては復帰後のため試運転?と思えるほどの歌唱が続き、演技でカバー。私自身は昼寝もしてて、体調充分だったにもかかわらず、ついウトウト(カウフマンが歌っているのに!)。。。エルザのSerafinに代わったHaller(2月からの公演で歌う)も頑張って歌い、Herlitzius もマイヤーにはかないませんがヒステリックな表現が合っています。そしてようやく婚礼の場面から盛り上がってきて、ローエングリンが素性を明かし去ってゆく場面のカウフマンのアリアがとても彼らしい歌唱で、素敵でした。しかし、終わってみればいつものワーグナーを聴いたという高揚感には乏しく、少々がっかり。やはりワーグナーはバレンボイムやティーレマンで聴きたいと改めて思いました。
↓カーテンコールの写真は顔が白くなって失敗
メトロでホテルへ。途中乗り換えたシャトレ駅の通路で検問があり、パスポートの提示。パスポートは部屋の金庫に置いてくるときもあるので、ひやっとしました。このご時世では常時携帯するほうが良さそうです。5年ぶりのパリでしたが3泊しただけで、お別れ。明日はチューリッヒへ向かいます。
(3-1)パリ [2017冬の旅(パリとチューリッヒ)]
1/27(金)
パリ3日目の朝、サンミッシェル大通りを眺めながらの朝食を終え 、9時15分からオープンしているミュゼ・クリュニーへ。実は今回の旅はオペラ観劇よりもここで開催されている「メロヴィング朝美術」の特別展が楽しみでした。それでホテルはクリュニー近く(300Mくらい)の宿にしたのです。ミュゼ・クリュニーは現在(2020年まで)大改装中です。クレーンが見え、工事塀がぐるりと廻らされています。
↓木製の塀や天使のイラストもお洒落です。
↓ 正門を抜けると中庭にテント張りの荷物チェックがありました。9:30頃でしたが、さほど混んでなくスムーズに入館できました。
ミュゼ・クリュニーに初めて来たのは1994年春、初めての一人旅のときでした。2回目は2002年友人と訪れていますので15年ぶりです。当時お元気だったE子さんとパリに着いた翌日この中庭で写真を撮りあったことなど思い出しました。気の合う友との楽しかった旅の日々を思い出し、しんみり。淋しい気持ちをふりはらうように館内へ進みました。
☆MUsèe de Cluny クリュニー美術館(3) 古代ローマ時代の浴場の遺跡を14世紀にクリュニー修道院の院長が購入、城館を建てたのが建物の起源です。19世紀になりコレクターのアレクサンドル・デュ・ソムラーの蒐集品をもとに中世美術専門の美術館として公開されました。雰囲気のある建物ですが傷みもあり、今回の改修でどのように変わるのか楽しみです。
「Les Temps Mè rovingiens メロヴィング朝美術展」2016.10/26~2017.2/13まで 開催
↓図録。重いので帰国後NET注文、ほぼ1週間で届きました。ただ残念ながら私の仏語力では簡単な解説だけ(汗)。
メロヴィング朝は5世紀半ばから8世紀半ばに現れたフランク族の最初の王朝です。5世紀後半は民族大移動時代の後期 にあたりますが、次第にメロヴィング王家の覇権も決定的になり、以後8世紀中ごろにカロリング王家に権力が移るまでのほぼ300年、ベルギーのトゥルネイTournaiから北フランス~ケルンそしてフランス全土を支配しました。特にクロヴィスⅠ世(在位481-511)は妃に迎えたクロチルデの影響でキリスト教徒として受洗。508年にはパリ遷都。6世紀にはザクセンを除くドイツ全土とガリアを統一しました。
愛好するロマネスク以前のキリスト教美術史の流れでは初期キリスト教→民族大移動期→メロヴィング→ランゴバルド→カロリング→プレ・ロマネスクと移行するわけですが、それぞれが重複し、定義的な厳密さを欠きます。メロヴィングの特徴としては北方ゲルマンの独自の造形性、魔的なもの、初元的、呪術的な世界観がみられます。建物はほとんど現存していませんし彫刻もわずかです。展示品はフランス各地からの宝飾工芸品(着衣留め金、ブローチなど)が多く、石碑、浮彫、写本など200点余り。なかでも写本は注目です。こういう特別展には珍しく撮影OK(フラッシュ無し)でしたが、あまり広くない展示室に見学者も多く、カメラを構えるのは難しかったです。
↓「 TrÔne de Dagobert/ダゴベルトの王座」 8世紀末~9世紀?ブロンズ製。ダゴベルトはメロヴィング王朝4代目の王(在位603~639)、王朝最後の強力な王として知られ、創設したサン・ドニ修道院に埋葬されました。
↓「Autel/祭壇」6世紀~7世紀 カシスの石灰岩製 (カシス市立地中海博物館蔵)
↓「Tresor de Guarrazar/グアラサールの宝物」の王冠と十字架(7世紀?)19世紀にスペインのトレド県のグアラサールで発見。西ゴートの王レケスウィント(在位?-672)の王冠といわれ、いくつか発見されたものの盗まれたり行方不明になったり。。。これはここミュゼ・クリュニーのコレクション。マドリード国立考古学博物館にも同種のより豪華な宝冠がありました(2009訪問)。
↓ 「Stele a la croix triomphante/勝利の十字架の石碑」6世紀ごろ(西ゴート王国時代)砂岩製。浮彫がランゴバルトとの共通点も。ナルボンヌの石彫美術館蔵。
↓ 「Épitaphe de Trasemirus/トラセミルス?の墓名碑」7世紀。砂岩製。19世紀にAude県のMandourelで出土。ナルボンヌ博物館収蔵。プロペラ状のクロスがキュート。
↓「Base aux larrons/盗賊たちの礎石」7世紀。砂岩製。19世紀にポワチエの郊外にあるデューヌ地下墳墓で発掘され、現在は同市内の洗礼堂に隣接するミュゼ・サント・クロアに収蔵。イエスとともに磔刑にされた盗賊たちの浮彫。上部に柱の欠けた部分。これは超有名な遺物なのでここに出品されているとは!とビックリ。でも同じ美術館にある「サント・ラデグンデの書見台」はさすがに出品されていませんでした。
↓「Plaque du Broc/Brocの銘板」5~6世紀。Puy-de-Dôme県のBrocで19世紀に発掘。粘土を焼いて鋳造? 兵士の足元に蛇。呪術的で印象的。パリに近いサン・ジェルマン・アン・レイの考古学美術館収蔵 。
↓「Sarcophage de saint Drausin/聖ドラウシウスの石棺」6世紀。大理石製。この時代にしては高度な技法の装飾で彫られています。フランス南西部のAisne県のスワッソンのノートルダム聖堂旧蔵。現在はルーブル美術館に入ってます。
↓展示室の奥はローマ時代の祭室の跡?この特別展の映像が観られるようになっています。ここで一息入れて~
また展示室へ。ここからは宝飾品や写本などが多くなりますが、ガラスに照明が反射して上手く撮れませんでした。鳥や魚型、幾何学模様のブローチやバックルなど。
↓「Sacramentarie de Gellone」8世紀末の写本。この後のカロリング朝から写本製作は盛んになりますが、まだ挿絵も控えめで、みずみずしい感じ。南仏のサン・ギレーム・ル・デセールのGellone修道院旧蔵。現在はパリ国立図書館蔵。
↓「Disque de Limons/Limonsの浮彫装飾円盤」6世紀末~7世紀初め。直径6.3cm重さ39g。金細工に色石(ガーネット)をあしらった精巧なもの。19世紀にPuy-de-Dôme県のLimonsで発見。十字架の中央に彫られたイエスの顔がアフリカ的、魔術的風貌でびっくり! 6つの放射線状に表れる仮面男たちも怖い・・・。
↓「Antéfixe de Sées/ Séesの頭部?」6世紀~7世紀 焼かれた粘土板。Orne県のSéesの大聖堂旧蔵。現在はルーブル美術館蔵。15×10.5cmと小型ながらインパクトの強い浮彫。上のディスクとは正反対の表現ながらイエスの苦悩が異形ともいえる原始的な造形。7世紀のガリアとアフリカとの間の相似性を示しています。民族大移動期の共通したモデルがあったものと思われます。
小品の宝飾品を含めて200点を超える展示品の数々、興味深いものばかりでした。自分で撮った写真中心にアップしましたが、キリがないのでこの辺で。常設展示品も以前は2度 訪れているのですが気が付かなかったものも多く、素晴らしいコレクションを再認識しつつ巡りました。
続きます~。
(2-2)ボーヴェ~サンリス~パリ [2017冬の旅(パリとチューリッヒ)]
(2-1)パリ~ボーヴェ [2017冬の旅(パリとチューリッヒ)]
1/26(木)
朝は5時ごろ寒くて目が覚めました。掛布団が1枚では薄かったようですが、7時間は熟睡できました。ところが困ったことが置きました。朝シャンをして、髪をブローしようと持参のカールドライヤーをコンセントに差し込んだとたんボッと赤くなって壊れてしまいました。勿論電圧は変更済みだったのですが・・・ソロソロ買い替えなければと思っていたのですが、大失敗!!備え付けのドライヤーで何とかブローを済ませましたが、慣れないので手間取るし、変な髪形になるしで(涙)。
朝食は別料金の予約でしたが、この日の予定ではゆっくり昼食をとる暇があるかどうかなので、朝食室へ行きたっぷりいただきました。コーヒーがあまり美味しくないし、野菜も少ないけれど、パン、チーズ、ハムなどは種類も多く、さすがです。結局3泊ともここで朝食をとりました。
さて、今日はパリの北にあるイル・ド・フランスの街を2か所巡る予定です。9時過ぎにホテルを出ましたが、目の前のサン・ミッシェル 大通りが封鎖中で、昨日出てきたメトロも閉められています。パトカーやポリスの姿にびっくり!でしたが、街を歩く人たちは慣れた様子です。たまに抜き打ち検査をするのでしょう。テロ後の厳戒態勢はまだまだ続いています。ポリスにRERはどこから乗るの?と聞いたら、広場をぐるっと回って行きなさいとのこと。
↓ホテルの反対側から
セーヌ河畔まで遠回りして辿り着き10分ほどロスしましたが、早めに出たので焦ることはなかったのですが・・・。またもや受難が待ち構えていたのです。RERはテロ対策もあってかなり混んでいたのですが、最後尾に乗ったとたん乱暴にもドアが閉まったのです。日本のより頑丈なドアがドスンと脇腹を直撃!「痛い~!」と日本語で叫びましたが、誰も同情してくれません。無理に乗った私が悪かったのでしょうか?日本では全然問題ない乗り方ですが・・・。問題なのは10年ほど前オペラ・バスチーユで階段を踏み外して痛めた脇腹を打ったことでしたが、痛みはその時だけで、というより気にならない程度におさまり一安心。
2つ目の北駅 で降車。ここも以前はアムスやブリュッセル、ロンドンなどに移動するとき何度も来ていたのですが久しぶりでした。RERのホームからボーヴェ行のホームまで迷いつつようやくたどり着きました。
↓21番のボーヴェ行き。電車もすでに待機しています。
定刻の10:01に発車し、まもなく左にタリスが平行に走っているのが見えました。
終点のボーヴェ駅には11:18に到着。早速プリントしてきた Google Mapをたよりに歩きます。ボーヴェは古い歴史のある小都市ですが 、第二次大戦の爆撃を受け中世の建物などかなり破壊されたそうです。ボーヴェという町に行ってみたいと思ったきっかけは、サン・チティエンヌ教会に「運命の車輪」の薔薇窓が残っていることを知ってからです。ボーヴェにはほかにも巨大な尖塔の残る未完の大聖堂があるのですが、旅前チェックで「カロリング朝の遺構」があることを見逃したため、今回はサン・チティエンヌ教会だけに絞っていました。この日はサンリスを訪れる予定もあり、体調を考えるとあまり無理できませんでしたから、仕方ないとはいえ残念です。
↓ 徒歩数分で教会が見えてきました。
☆サン・チティエンヌ教会/Église St-Étienne
身廊と袖廊は12~13世紀ですが内陣は1506年の起工され1522に献堂された、大部分はゴシック様式の教会です。ただ北側にはロマネスク様式の入り口と「運命の車輪」と呼ばれる薔薇窓が残っています。ここは私の参考書の「1000 EGLISES ROMANESS DE FRANCE」に簡単な紹介とゾディアック叢書の「イル・ド・フランス」に写真つきで載っていました。薔薇窓の一つのパターンである「運命の車輪」は時計とは逆回りに右に彫られた人物が頂上の天国を目指し車輪を回し、左側の人物は天国から落ちていくさまを表したものです。ロマネスクからゴシックへの過渡期にいくつか造られたと思うのですが、現存するものは少なく薔薇窓ではドイツ・バーゼルとここだけ。柱頭彫刻ではスペイン・リエイダだけと私の体験は極少です。まだあると思うのですが・・・。
↓ 後背部から北側に回ります
↓薔薇窓の正面に大きな木がありますが、冬枯れで良かったかも。
↓望遠レンズを使って、右側
↓頂上に彫られているのは?
↓天国から落とされるのはやはり惨めな感じ
↓ 薔薇窓のある袖廊の右に北扉口
↓タンパンとヴシュールは細かい彫でびっしり埋められています。
西側の正面へ回って内部へ入ろうとしましたら、今お葬式だからといったん断られましたが、↓右の扉口(ゴシック)の写真を撮っていましたら、違うおじさんがきて入ってもいいよと言ってくれたので(観光客で時間がないと配慮してくれたと思います)そっと中へ。
↓プラン
↓内部は三廊式。束ね柱から伸びるアーチがおおらかな空間。大アーケード~トリビューン~クリアストーリーの三層壁面。
親しい人を亡くして悲しむに沈む人たちを前にやはり堂内をうろうろすることは、ためらわれました。1枚だけ撮らせてもらって退去。
↓上の写真の外観南側
↓ ゴシック様式の内陣外観はお決まりのガーゴイルたちが吠えて(笑)います。
ここで正午の鐘が鳴り、教会そばのカフェで一休み。軽くランチをとるつもりだったのですが、定食がおすすめと黒板も持って来られて結局前菜(卵とチーズのとろとろしたもの)と主菜(鴨のコンフィ)の2品のコースに寒くて赤ワイン(ビオので◎)もプラス。コンフィには野菜もたっぷり添えられて美味しかったです。〆て25€ でした。ドンドンお客さんが入ってきて、狭い店内は大忙しです。列車の時間までぎりぎりに食べ終えて、駅へダッシュ!チケットを買う暇もなく、列車に飛び乗りサンリスへ向かいました。
続きます~。
(1)札幌~パリ [2017冬の旅(パリとチューリッヒ)]
ここのところ暖冬傾向だった札幌も昨年の秋は超短で過ぎたあと、怒涛の冬将軍の到来。降り積もる雪を眺めながら、慰めは旅の計画をあれこれ考えること。そして1月も半ばを過ぎ夫の体調も良さそうなので、5泊7日のパリとチューリッヒへ。いつものように音楽と美術のための遠征です。
Map
真冬のヨーロッパは何度か経験がありますが(北欧は除く)、札幌に比べると雪も寒さは軽いものなので、さほどの心配もなく荷造り。ただ、旅前ブルーが加齢のため?血圧が高い?原因は病院にも行かないのでわかりませんが、時々眩暈もしたりで最悪です。飛行機もエコノミーなので不安ですが、出発の日も迫っていますし覚悟を決めました。前日の雪も出発の朝は晴れました。私には旅の神様がついている~と家人に得意顔(笑)で、JRエアポート→JALと順調に移動しパリへ。
1/25(水)千歳8:00→羽田9:40/10:50→パリ15:35
エコノミー席ですが、通路側で背後がトイレなので後方席がありません。気兼ね なく席を倒すことができて、心配するほどの疲れもなく過ごせました。機内映画は新作の『ブリジット・ジョーンズの日記』と『グランド・イリュージョン』を観ました。
↓2回目の食事は「くまモン」のパッケージが可愛い熊本の郷土食。いつもは到着近くの食事は残すのですが、美味しく完食。
揺れも少なくパリCDGに到着。パスポートコントロールも16:00頃にはすいすい抜けて、PER-B線でサン・ミッシェル-ノートル・ダム駅へ。自動販売機の使い方が呑み込めず、係員にヘルプしてもらったのですが ツーリストだからと言ってNET情報では10EURのはずが3.8EURになりお得。実は今までのパリは長旅で荷物も重かったこともあり、市内のホテルまでタクシーで移動していました。今回はハンドバックのほかは15Kの中型スーツケース1個だけなので、RER線の初体験でした。電車は12か所ほど停まりましたが、沿線風景は新興住宅地なのか殺風景な集合住宅や冬枯れの淋しい眺めです。
さて、サン・ミッシェル-ノートル・ダム駅までは40分ほどで到着。長いエスカレーターを2度ほど上に昇り、途中からはなんと! 階段がさらに2か所。ハアハアしていましたら、中年のマダムが運んでくれました。ご親切忘れません。地上に出るとホテルは目の前です。
Best Western Premier Royal Saint Michel に3泊。ここは初めて利用しました。
↓部屋は3人まで泊まれる広さで、リビングエリアにはソファー・ベット。建物は古いのでコンセントが少なく、床近くの照明を抜いて携帯の充電などしなければならず不便。
立地はカルチェ・ラタンやサン・ジェルマンにも近く庶民的で賑やか。レストランも多い エリアです。旅装をといた後は7時ごろ夕食のため外出。夜になり寒さが厳しくなりました。道産子の私でも思わず「寒い~!!」と身を縮めるほどでした。
↓セーヌの向こう側にノートル・ダム大聖堂。
↓ホテルから徒歩数分の通りにあるベトナム料理屋へ。寒いので揚げ春巻きとフォー。味は普通ですが野菜たっぷり。テイクアウトで立ち寄る人も多く(電話で事前注文しているらしい)、帰る頃は満席になりました。アジア系のサービスの人たちもいい感じでした。
珍しく睡眠導入剤を忘れてきたのですが、お風呂に入って温まり、ベットに入るとすぐ眠れました。