(1)東京 [2019冬東京&箱根]
1/30(水)千歳10:00→羽田11:40 カンデオホテルズ六本木1泊
↓千歳空港を離陸すると苫小牧上空。右上の山は樽前山?支笏湖の方角です。
羽田空港でうどんの昼食をとり、今夜の宿の六本木まではモノレールとメトロ大江戸線で向かいました。初めてのホテルでしたが、地下鉄から芋洗い坂という表示の坂を下りてすぐの、お洒落な界隈にあります。
荷物を預けて「新北斎展」@森アーツギャラリーへは徒歩数分です。この美術館は何度か来ています。最近は2年前の「サンクトペテルブルク美術館展」でした。1,2泊だけの東京の旅はブログUPしていません。
北斎の肉筆画が目当てでしたが、意外に少なくてやや期待外れの展覧会でした。展示品の大部分は島根美術館の永田コレクションのものですが、今回の目玉は下の肉筆画(絵葉書)。魑魅魍魎のなかで悟りを得る修業中の大師さま。グリューネヴァルトの聖アントニウスみたいです。
↓葛飾北斎「弘法大師修法図」紙本一幅1844-47 西新井大師總持寺
↓北斎「向日葵図」紙本一幅(1847)シンシナティ美術館
細竹に支えられた一本の向日葵…に込められた老境の画家の心境がうかがえます。
↓北斎「花くらべ弥生の雛形」大判版画(1784-85)島根県立美術館
↓森タワー52階からの眺め
↓カフェで一休み。北斎展に合わせたメニューのパフェ
↓ホテルに戻って休憩。シングルの部屋ですが、コーナーにソファーもあり広い部屋です。
♪~ムーティ&シカゴ響 19:00~@東京文化会館
プログラムは
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調op.73
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調op.73
シカゴ響はムーティが長年音楽監督をしていることは知っていました。それに何度かオペラを観るためにシカゴを訪れていましたが、生憎コンサートの日程が合いませんでしたので、初めてのムーティ&シカゴ響です。期待通りの素晴らしいブラームスでした。ピーンと張りつめた音色ですが、おおらかさも色彩感もあり、魅力的な演奏でした。世界でも指折りのオーケストラですし、ムーティとの相性も抜群です。興奮度冷めやらずぼーっとして六本木まで帰りましたが、夕食を食べ損ねていましたから、キョロキョロ・・・。
↓夜食はホテル近くのスペインバルで、カヴァに蛸や蕪のアヒージョ。カジュアルな小さなお店ですが、美味しくいただきました。
ホテルには大浴場もありますが、疲れたので部屋のバスタブにつかって(明日は箱根ですし)就寝。
(16)ミュンヘン(アウグスブルク)&(17.18)帰国 [2018秋から冬 台北&ドイツの旅]
12/4(火)München11:28→Augsburg11:00/15:42→München16:11
ミュンヘンからアウグスブルクまでは特急がほぼ30分おきに出発します。REのバイエルンチケット25€を買ったので、余裕があれば他の町にも行ってみたいとも思いましたが・・・結局はアウグスブルクで歩き疲れて無理でした。
ミュンヘンから日帰りで近在の町に足を延ばしたのは昨日のレーゲンスブルクに続いて2回目です。列車は30分で到着という速さ!です。アウグスブルク駅は大規模な工事中でした。駅前からDOMまでは1Kくらいの距離です。
アウグスブルクはレーゲンスブルクに比べると新しい建物も多く、雑多な感じもしますが、名前からも推察できますが古代ローマ時代の皇帝アウグストゥスによって築かれたドイツでは最も古い都市です。近代では軍事工業も盛んであったことから第二次世界大戦時の空爆で甚大な被害を受け、人口の20%が亡くなったそうです。
↓途中の風景/アウグスブルク劇場
↓アウグスブルクの大聖堂(DOM)はトラムの線路の脇に建っています。
☆アウグスブルク大聖堂(DOM)は聖母マリアに捧げられた教会です。11世紀のロマネスク様式で建立された後、14世紀にゴシック様式の部分が東側(白い建物)に増築されています。クリプトやステンドグラス、併設の博物館に展示された青銅の扉などが見どころです。
↓GOOGLE EARTHから
↓プラン
↓ゴシックの扉口から内部へ。身廊中央には大きなクリスマス・リースの燭台が飾られ、華やかです。
↓クリプト
貴重なロマネスク期ののステンドグラスですが、あまりに高いところにあり写真を失敗しましたので、Zodiaqueの写真をスキャンしました。
↓ダヴィデ(旧約の預言者)
いったん外に出てから併設の聖アフラ教区博物館へ。
入館しますと案内係の女性がずーっと付いて回ります。ドイツ語が分からないからと断ったのですが…セキュリテイのためらしく(それだけ見学者も少ない)仕方ありません。
↓青銅の扉のあるコーナー(上の写真のガラス張りの部屋)
ヒルデスハイムに比べると、シンプルな造形ですが、エヴァの誕生やサムソンのライオン退治など旧約の場面のほかに主題の分からないものもありました。
↓他の部屋にも磔刑像などが展示されています。
ランチはDOMの近くのユダヤ料理屋さんで。ガラス張りの明るカフェタイプで美味しかったのですが、量が多くて・・・。
ここから徒歩で15分くらいのフッゲライ(福祉住宅)を見学しました。アウグスブルクは中世末から繁栄を極め、財閥だったフッガー家は市民のための社会慈善事業に熱心でした。貧困層のための住宅提供もそのひとつで世界初の社会福祉住宅なのです。現在も低家賃で提供されていますが、アウグスブルクの観光名所のひとつでもあり、プライバシーをある程度は犠牲にせざるを得ないような気ががします。
↓入り口棟
↓見学が終わって・・・3時を回るともう夕方です。
トラムに乗って駅に戻りました。
↓向かい側のホームに可愛らしいペイントの電車が見えました。
特急で30分なので、食堂車に行ってコーヒーを飲んでいるうちにミュンヘンに到着。
駅構内で海老やポテトのフライをテイクアウトして、夕食は部屋で済ませました。
ミュンヘン最後の夜はキチンとしたところで食事を楽しみたかったのですが、そういう意欲は・・・体力ももう残っていませんでした。
12/5(水)ミュンヘン15:30→
↓帰国日の朝ごはん
正午のチェックアウトまでお部屋でくつろぎ、体力温存して長旅に備えて
↓ホテルの目の前の空港行バス乗り場
市内を巡回しながらなので結構時間がかかりました。空港で貰ったチケットは予約した時の通路側の席と思い込んで確かめず搭乗したのですが・・・3席の真ん中!でも満席で言い出せませんでした。両側は男性で、まわりはドイツの管弦楽団カンマーフィル
のメンバーたちです。皆和気あいあいと楽しそうで、2日後にはパーヴォ・ヤルヴィとの演奏会とのこと。地方なので聴きに行けないので、疲れていましたし、ほとんど寝ていました。
12/6(木)→羽田10:55/13:00→千歳14:30
羽田乗り換えは国内便も多く、やはり便利です。慣れてしまうと成田経由は辛いかもしれません。
ほぼ時間通りにうっすらと道路の端に雪の見える札幌の街に帰ってきました。翌日は吹雪模様の悪天候になりましたから、一日遅かったら羽田で足止めだったでしょう・・・。
老化による記憶力減退に加えて、キーボードが不調です。そろそろパソコンも変え時?かもしれません。
次回の海外遠征いつになるのか未定ですが、国内は1月末の東京・箱根の旅をアップします。
1年遅れての旅ブログでした。(終)
München
München
(15)ミュンヘン(レーゲンスブルク) [2018秋から冬 台北&ドイツの旅]
12/3(月)Munchen10:44→Regensburg12:06/14:44→16:17(17:30頃)
この日は雨が降り続くなか、ミュンヘンから電車で1時間半のレーゲンスブルクへ行ってきました。電車に乗る前に今日の夕方からのヘラクレスザールでのコンサート(CTカウンターテナーのチェンチッチ)のチケットを手配に劇場まで行ってみる予定でした。日本ではHPから購入できなかったのです。しかし、音楽とロマネスク探訪の両方は体力的に無理な状態でしたので、音楽は昨夜で終わりと自分に言い聞かせ、レーゲンスブルクに向けて出発しました。期待していた車窓からのバイエルンの野の眺めは、残念ながら雨のためと冬枯れで淋しく目に映りました。
レーゲンスブルクはローマ時代からドナウ川の最北の拠点として開かれたた古都です。
↓レーゲンスブルクの駅
↓駅前の大きな公園を進み
突き当りを左に、古い街に多く道が湾曲していますので、グーグルマップで確認しながら歩きました。
↓公園にクリスマス市?子供たちの喜びそうな可愛い小屋が並んでいました。
目的のザンクト・エムメラム教会まではあちこち写真を撮ったり、のんびり歩きました。
☆St.Emmeramザンクト・エムメラム教会
キリスト教時代に入ってまもなく4~5世紀に創建されたと言われ、リング・クリプトは740年頃。司教座がおかれて新築されたのは783~790頃。その後の改築は18世紀のバロック様式(内部)まで続きました。カロリング期で現存するのは聖エムメラムの墓を収めたリング・クリプトとその上部付近にとどまっています。
↓徒歩15分ほどで到着したのですが、↓16世紀の塔とバロック様式の入り口の建物を見ただけで、入るのが躊躇われ(広大な敷地をカロリング期のクリプトを探すのは大変そう~)と、そのまま次の目的のザンクト・ヤコブ教会へ向かいました。
ここからの道はかなり複雑です。雨のなか歩いている人も少なくて・・・また15分ほど歩き教会の東側に到着しました。
☆St.Jakob ザンクト・ヤコブ教会
1090頃開基され、12世紀後半に北扉口の彫刻群が造られました。参考書ZODIAQUEによると des ecossais(スコットランド人たち)と呼ばれていると書かれていますが、この時代はアイルランドを小さなスコットランドと呼んでいたそうなので、正確にはアイルランドの修道士たちによって創建された教会ということです。
↓後陣外観は隣の民家(ガレージ?)からパチリ。
↓北側面
↓ここの最大の見どころは北扉口の彫刻です。ガラスでカバーされています。
↓タンパンにはキリストとヤコブとヨハネ
↓側柱トップの吠える獅子たちが迫力です。
↓イタリアやフランスのロマネスク彫刻の影響も伺えます。
↓これは教会の内部の壁にはめ込まれていました。聖ペテロ?
↓内部
↓Google Earthより
↓プラン(Zodiaque/Baviere Romaneより)
雨が激しくなってきました。レーゲンスブルクは戦禍からの被害を逃れ、あちこちに教会の残る古都です。建物や石畳も美しく、お天気が良かったら~と恨めしく思いながら大聖堂へ歩きました。
↓福音教会の見えるNeupfarr 広場はクリスマス・マーケットが賑やかです。
☆レーゲンスブルクのザンクト・ペーター大聖堂(DOM)は代表的なドイツ・ゴシック様式で知られています。着工は1275年でしたが最後の尖塔が完成する1869年まで。ほぼ600年! 以前はロマネスクの教会でしたので、ほんの一部ですがクリプトが残っています。
↓内部
↓クリプト(納骨所)の柱が残っています。
たのか?
事前の予習が不十分でしたが、DOMの回廊にZodiaque/Baviere Romaneの表紙になっている礼拝堂があるはずです。探したのですが回廊への出入り口は工事中で閉鎖されていました。
☆Chapelle de tous les Saints/1164年 1027年に亡くなったバイエルン公HARTWIG二世の墓所として建てられた三つ葉型の小さな礼拝堂。
↓写真とプラン
↓そのDOMの裏側から見えたのはNIEDERMUNSTERです。
☆ニーダーミュンスター教会NIEDERMUNSTER
1152年に建設が始まりましたが、10世紀の半ばにはHenri 一世が初願したという由緒ある教会です。メロヴィング朝~カロリング朝~オットー朝とまたがる教会の上にロマネスク様式で建てられました。
残念ながら教会は閉まっていました。南側の以前は回廊だったと思われる場所は民間の集合住宅なっています。いくつか並んだ玄関の前は庇のあるテラスになっていて、そこで教会を眺めながら雨宿りをさせていただきました。
↓プラン
教会の反対側に回廊があり、Zodiaque/Baviere Romaneのカバーの写真がここと帰宅してから気がつきました。バイエルンのロマネスク、地味過ぎです~。
冬の陽はもう落ち始めてきました。駅に戻りましたが途中の
↓SANKT-ULRICH聖ウルリッヒ教会です。現在は美術館になっていますが、この日は休館日でした。
駅に戻り、遅れてきた電車に乗ったのですが、途中の駅で止まってしまいました。ドイツ語で説明があったのですが、理解不能なのでそのまま座っていました。すると車掌さんがきて、英語でミュンヘン行は車両が変わったからと説明してくれたのですが、原因は分かりませんでした。予定より1時間も遅れてミュンヘンに戻りました。チエンチッチのチケット買ってあったら、さぞかし焦っていたことでしょう・・・。
↓夕食はホテルのレストランで。