私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(フー1)]
ファンタン・ラトゥール henri-Jean-Theodore Fantin-Latour(仏)1836~1904
フェルデ
フェッラーラ派のマイスター Ferraresischer Meister(伊)15世紀
↓ベルリン国立絵画館の豊穣の女神
フォッパ Vincenzo Foppa (伊)1427頃~1515頃
レオナルド・ダ・ヴィンチ以前のロンバルディアで最も重要な画家。マンテーニャらヴェネツィアやパドヴァの芸術の影響を受け、遠近法と現実の観察に基づく光の効果に関心を持ち、それらの新しい芸術をロンバルディアにもたらした。晩年はブレーシャに戻り同地の聖堂のために作品を残した。
↓ミラノ/サント・エウストルジョ聖堂・ポルティナーリ家礼拝堂の聖母被昇天
↓同上の受胎告知(部分/天使)
↓同上の受胎告知(部分/聖母)
↓同上の受胎告知(部分/上部の天使たち)
フーケ Jean Fouquet(仏)1415/20頃~1480
フランス15世紀最大の宮廷画家。トゥールに居住し、王侯貴族の注文により宗教画、肖像画などを描き活躍。1475年「王の画家」の称号を受ける。フランドルの写実的様式にイタリアルネッサンスの空間表現を取り入れ、フランス絵画に変革をもたらした。
↓ヌアン・レ・フォンテーヌ教区教会堂のヌアンのピエタ
↓アントワープ王立美術館の聖母子(ムランの二連祭壇画)
↓ベルリン国立絵画館のエスティエンヌ・シュバァリエと聖ステファヌス(ムランの二連祭壇画)
↓パリ/ルーヴル美術館(素描室)の聖マルガリータ(エティエンヌ・シュヴァリエの時祷書)
ブーシェ Francois Boucher (仏)1703~1770
フランス・ロココ絵画を代表する画家。装飾図案家の父から手ほどきを受け、若くしてローマ賞を受賞。タピスリーの下絵制作、ヴェルサイユ宮殿の装飾など担当し、流行画家となる。さらにルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人の庇護を受けその他の王家の建造物の装飾を担当。出版事業にも携わり、画家の作品は複製版画として出版。多彩な活動はロココ装飾様式の発展に貢献した。
↓ミュンヘン/アルテ・ピナコテークのソファに横たわる裸婦
↓同上のポンパドゥール夫人(部分)
↓エジンバラ/スコットランド国立美術館のポンパドゥール夫人(上記の模作?)
↓パリ/ジャックマールーアンドレ美術館の眠るヴィーナス
↓同上のユノのアトリビュートとヴィーナス
↓パリ/ルーヴル美術館のディアナの水浴
↓同上のポンパドゥール夫人
↓ニューヨーク/フリック・コレクションのブーシェ夫人
↓ロンドン/ウォーレス・コレクションのポンパドゥール候爵夫人(庭園の)
↓ザルツブルク/レジデンス・ギャラリーの眠る羊飼いの娘
フジタ 藤田嗣治(日本)フランスに帰化してレオナール・フジタとなる。1886~1968
第一次世界大戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像など…
↓ランス(仏)/フジタ礼拝堂の外観と内部
↓フジタのアトリエ
↓秋田/平野政吉美術館の五人女
↓同上の優美神
↓東京/旧ブリジストン美術館の猫のいる静物
↓同上のドルドーニュの家
↓リヨン美術館のアトリエの自画像
↓パリ/ポンピドー・センター・近代美術館のパリの私の部屋
↓千葉/川村記念美術館のアンナ・ド・ノアイユの肖像
フース Hugo van der Goes (ネーデルランド)1440~1482
初期ネーデルランド第2世代の画家。ブルッヘやヘントで活躍して名声を得るが、修道院に入る。修道院でも製作を続けるが75年頃突如引退して、自殺を図る。細密描写の伝統を受け継ぎながら、表現性の強い画面を構築。精神に異常をきたしてからは生への不安と、緊張感が漂っている。エイク、ウエイデン以降の最大の巨匠。
↓エジンバラ/スコットランド国立美術館の三連祭壇画(右翼/スコットランドの女王と聖ジョージ)
↓同上の三連祭壇画(中翼/スコットランドの王ジェ-ムス3世、彼の息子、聖アンドリュー)
↓同上の三連祭壇画(左翼/エドワルド・ボンキルと2天使)
↓同上の祭壇画(キリストの聖三位一体)
↓ベルリン国立絵画館の東方三博士の礼拝
↓フィレンツェ/ウフィツィ美術館のポルティナリの祭壇画(キリストの降誕)
上記の中央部分
↓ブルージュ市立美術館の聖母の死
プッサン Nicolas Poussin(仏)1594~1665
フランス古典主義の画家。青年期はフォンテーヌブロー派を学ぶ。1624年ローマに赴き、ティツィアーノの影響を受けた。登場人物に演劇的な心理主義を応用し、古典的群像図に独特の画風を完成。一時パリに戻るが、パリの画壇とは合わず再びローマに戻り制作。
↓パリ/ルーヴル美術館の自画像
↓同上の我アルカディアにもあり
↓エジンバラ/スコットランド国立美術館の秘跡(洗礼)
↓同上の秘跡(信仰の確認)
↓同上の秘跡(死にゆくものへ)
↓同上の秘跡(結婚の誓い)
↓同上の秘跡(聖体)
↓同上の秘跡(苦行)
↓ロサンゼルス郊外/ポールゲッティ美術館の静かな風景
↓マドリード・プラド美術館の廃墟のある風景
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(ヒー1)]
ピエロ・ディ・コジモ Piero di Cosimo(伊)1462頃~1521
15世紀末から16世紀初めのフィレンツェの画家。ギルランダイオ、フィリッピーノ・リッピに近い画風。またフランドル絵画の影響も観られる。また性格が人間嫌いであったとも伝えられ、メディチ家とは疎遠のため個人の注文が多かった。
↓シャンティイ/コンデ美術館のシモネッタ・ヴェスプッチ
↓ロンドン/ナショナルギャラリーのプロクリスの死
ピサネッロ Pisanello(伊)1395~1455
13世紀北イタリア派の国際ゴシック様式を代表する画家。動物や幻想的物語場面の描写にすぐれていた。また写実的な肖像画やにも技量を発揮。板絵、壁画、素描、肖像メダルなど力量あふれる作品が残る。
↓ウィーン/アルベルティ―ナ美術館のAllegory of Luxury
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーの聖エウスタキウスの幻視
↓同上の修道院長聖アントニウスと聖ゲオルギウスのもとに現れる聖母
↓ベルガモ(伊)/アカデミア・カッラ―ラ美術館のリオネッロ・デステ
↓パリ/ルーヴル美術館のエステ家の公女
ピサロ Camille Pissarro(仏)1830~1903
印象派の代表的画家。パリの美術学校で学び、印象派の仲間に出会う。働く人々のいる田園風景を好んで描いた。セザンヌの良き理解者、ゴーガンの発見者でもあった。
↓ニューヨーク/メトロポリタン美術館の冬の朝(モンマルトル大通り)
↓ウィリアムズタウン(米)/クラーク美術研究所のポントワーズ近くのオワズ川
↓同上のエラニーのサント・シャルル
↓同上のモンフーコーのピエトの家
↓ワシントンDC/ナショナルギャラリーのエラニーの画家の庭
↓同上のハンプトンコートの芝生
↓ケンブリッジ(米)/ハーバード大学付属フォッグ美術館のオワーズ川の堤
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーのパリ・夜のモンマルトル大通り
↓同上のエルミタージュの丘・ポントワーズの近く
↓ボストン美術館のエラニー=シュル=エプト、雪に映える朝日
↓同上のエラニー、自宅からの眺め
↓サンクトペテルブルク/エルミタージュ美術館の晴れた午後のモンマルトル大通り
↓パリ/マルモッタン美術館の雪の効果(戸外の大通り)
↓パリ/オルセー美術館の赤い屋根
↓同上の小枝を持つ少女、座る農家の娘
↓フィラデルフィア美術館のエラニーの菜園・曇り空の朝
↓ニューヨーク/グッケンハイム美術館のポントワーズ、エルミタージュの家
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ Pierre Puvis de Chavannes (仏)1824~1898
世紀末の象徴主義の先駆者となる画家。シャセリオーからの影響が大きい。歴史的題材や寓意を得意とし、静謐で神秘的な画風。一方で晴朗な色彩と単純化された形態の古典的な特色を持つ。ナビ派やスーラにも大きな影響を与えた。
↓ワシントンDC/スミソニアン・アメリカン・アート美術館のキリスト教の霊感
↓倉敷/大原美術館の幻想
↓鳥取県立美術館の聖ジュヌヴィエーヴの幼少期
↓パリ/オルセー美術館の夢
↓リヨン美術館の芸術とミューズたちによって崇められる聖なる森
↓シカゴ美術館の上と同主題の習作?
↓ニューヨーク/メトロポリタン美術館の羊飼いの歌
ヒユーズ Arthur Hughes(英)1831~1915
イギリスの画家・イラストレーター。その作風はラファエル前派を連想させるが、ラファエル前派のメンバーではない。
↓ロンドン/テイト・ギャラリーの4月の恋
ピントリッキオ Pintoricchio (伊)1454頃~1513
15世紀ウンブリア派の画家。ペルジーノの指導を受け、助手を務めた後、ウンブリア各地で制作活動。多作で、豪奢な装飾趣味に富んだ画風が特徴。
↓ペルージァ/ウンブリア国立美術館のサンタ・マリア・デイ・フォッシ祭壇画
ビンガム George Caleb Bingham(米)1811~1879
ミズーリ河沿いの開拓時代のアメリカの生活を描いた画家。しばらく忘れ去られていましたが1930年代に再発見され、2011年の生誕200年には19世紀におけるアメリカの最大の画家と認められました。
↓デトロイト美術館の平底船の陽気な男たち
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(ハ-2)]
バルテュス Balthus(仏)1908~2001
新即物主義的な意味での幻想的リアリズムの画家。両性具有の感性と肉体をもつ少年や少女のの通過儀礼、閉ざされた室内や街路の白昼夢などを描いた。
↓ニューヨーク/メトロポリタン美術館の山
↓同上の目を覚ましたテレーズ
↓ニューヨーク/近代美術館MoMAの街路
↓パリ/ポンピドー・センター・近代美術館のトルコ風の部屋
↓同上の画家とモデル
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ・コレクションのトランプの勝負
バルドゥング Hans Baldung Grien(独)1484/1485頃~1545
デューラーのもとで修業したが、色彩や表現主義的な形態の歪曲はむしろ、グリュ―ネヴァルトに近い。主にストラスブールで活躍した。「死とエロティシズム」を主題にした作品も多い。
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ美術館のアダムとイヴ
↓マドリード・プラド美術館の人生の諸段階と死
↓ミュンヘン/アルテ・ピナコテークのガンバと猫を伴う女性像
↓同上の鏡と蛇を伴う女性像
↓バーゼル美術館の聖母子と聖アンナ
↓ストラスブール/ウーヴル・ノートルダム美術館の薔薇の間垣の聖母
↓バーゼル美術館の死と乙女(2枚の対画)
↓フランクフルト/シュテーデル美術研究所の2人の魔女
↓同上のキリストの誕生
↓ベルリン国立絵画館の聖母子と天使
パルマ・イル・ヴェッキオ palma il Vecchio(伊)1480頃~1528
16世紀ヴェネツィア派の画家。G・ベッリーニらの影響を受け、1510年以降ヴェネツィアで、ティツィアーノと並ぶ人気を博し、多くの祭壇画などを制作。量感豊かなモデリング、豊麗な色彩などヴェネツィア派の特色を余すところなく発揮している。
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ美術館の女性の肖像(ラ‣ベッラ)
↓リヨン美術館の女性の肖像
パルミジャ二ーノ Parmigianino(伊)1503~1540
初期マニエリスムの代表画家。コレッジョの強い影響を受け、初期にはパルマで活躍後、ローマに滞在。ミケランジェロやラファエッロの影響を受けた。引き延ばされたプロポーションと官能的で唯美的な表現が特徴。晩年は錬金術に凝り精神的危機に陥った。
↓パルマ(伊)国立美術館の若い女性の肖像(トルコの女奴隷)
↓同上の自画像
↓パリ/ルーヴル美術館の若い男性の肖像(自画像?)
↓同上の犬のデッサン
↓ローマ/ボルゲーゼ美術館の肖像画
↓ローマ/ドーリア・パンフィーリ・ギャラリーの聖誕(部分)
↓フォンタネッラート(パルマ)/サンヴィターレ城のディアナとアクタイオンの物語より(部分)
↓コペンハーゲン国立美術館のロレンツォ・チーボ
↓ロンドン/大英博物館の犬を伴った自画像?
↓ロンドン/コート―ルド美術研究所の聖母子
↓ナポリ/カポディモンテ国立美術館のガレアッツオ・サンヴィターレ
↓ウィーン/美術史美術館の聖パウロの回心
↓同上の凸面鏡の自画像
↓同上の弓を作るキューピッド
バロッチ Federico il Barrocci(伊)1535頃~1612
16世紀後半に活躍したマニエリスム=バロックの画家。主にウルビーノで活躍。コレッジョの影響が大きく、彼から受け継いだ輪郭のぼかし、暖色中心の色調、ダイナミックな構図が特色。
↓ロンドン/ナショナルギャラリーの聖母子と聖ヨセフ、幼児の洗礼者ヨハネ
バーン=ジョーンズ Edward Coley Burne-Jones(英)1833~1898
ラファエル前派後期の画家。神秘的で装飾的な古典的スタイルを確立。77年に大作8点を発表して大成功をおさめる。古典神話や中世伝説をはじめとする文学に主題を得、優美で静謐な画家独自の詩的世界を表現。
↓郡山(福島県)市立美術館のフローラ
↓サウザンプトン(英)市立美術館の果たされた運命・大海蛇を退治するペルセウス(成敗)
↓同上の聖杯堂の前で見る騎士ランスロットの夢
↓ダブリン市立ヒュー・レイン美術館の眠り姫
↓オックスフォード(英)/アシュモリアン美術館の音楽
↓同上の女子修道院長の話(キャビネットの装飾画)
↓ロンドン・テイト・ギャラリーのコフェチュア王と乞食の少女
↓同上の黄金の階段
↓ケンブリッジ(米)/ハーバード大学付属フォッグ美術館の天地創造日々(第6日目)
↓同上のダナエと真鍮の塔
バビューレン Dirck van Baburen(オランダ)1595~1654
ユトレヒト・カラヴァッジョ派の画家。1612年からローマでカラヴァッジョ派の画家たちと交友。1920年、ユトレヒトに戻り、風俗画など描き活躍した。
↓ユトレヒト/中央美術館のリュート奏者
バルトロメオ bartolomeo da Venezia(伊)1502~1546
↓フランクフルト/シュテーデル美術研究所の若い女性の肖像(フローラ)
ハント William Holman Hunt(英)1827~1910
ラファエル前派の画家。ロンドンの美術学校で知り合ったミレイやロセッティらとラファエル前派を結成。シェクスピアなどの文学作品や同時代の社会風俗、宗教問題を題材に、細密な自然描写と象徴的な意味づけ、ラファエル前派の典型的な絵画を制作。ラファエル前派を解散後は中近東を旅して、宗教画の大作に取り組んだ。
↓オクスフォード/アシュモリアン美術館のイギリス皇太子成婚の夜のロンドン・ブリッジ(1863年3月10日)
↓ロンドン/テイト・ギャラリーの良心の目覚め
↓同上のクローディオとイザベラ
ハンマースホイ Vilhelm Hammershoi(デンマーク)1864~1916
デンマークの画家ハンマースホイの絵画は白・黒・灰色を基調とした抑えた色調で、時間の止まったような静寂な空気を感じさせる細密なタッチの室内画が中心である。室内風景画の多くには鑑賞者に背を向けた人物(その多くは彼の妻イーダ)が描かれている。
ハンマースホイは生前にはデンマークを代表する画家として、特に国外で名声を得たが、その死後は急速に忘れられていった。再評価が始まったのはようやく20世紀末になってからである。
↓パリ/オルセー美術館の休息
↓ハノーファー(独)/ニーダー・ザクセン州立美術館の室内-Strandgade30
↓東京/国立西洋美術館の室内-ピアノを弾くイーダ
↓ラナース(デンマーク)市立美術館の室内-後ろ姿の若い女性
↓個人コレクションの室内-ピアノを弾く女性
↓個人コレクションの室内-Strandgade30
↓コペンハーゲン/ザ・ダヴィッド・コレクションのオープン・ドア
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(ハー1)]
バウツ Dieric Bouts(ネーデルランド)1415頃~1475
初期ネーデルランド第2世代の画家。エイクやウェイデンの影響が見られ「ヤンの眼を持ってロヒールの形体を描いた」と評される。息子のアルブレヒトも画家。
↓ウィーン/美術アカデミー付属美術館の聖母戴冠
↓ミュンヘン/アルテ・ピナコテークのキリストを見よ,神の子羊を(Ecce agnus Dei)
↓同上の洗礼者ヨハネ(「ブラバントの真珠」の祭壇画)
↓ロスアンジェルス郊外/ポールゲッティ美術館の受胎告知
↓マドリード・プラド美術館の聖母の祭壇画
↓シカゴ美術館の悲しみの聖母
↓クラコフ(ポーランド)/チャルトリスキ美術館の受胎告知
↓リヨン美術館の哀しみのキリスト(息子アルベルヒトの作)
バッサーノ Jacopo Bassano(伊)1510~1592
16世紀後半のヴェネツィア派の画家。故郷バッサーノの名前が通称になっている。ヴェネツィアで修行の後はバッサーノに戻り、制作活動。ティツィアーノの感化が大きいが、ローマやフィレンツェのマニエリスムの影響を受けた。風俗、風景や夜景の描写にもすぐれ、17世紀絵画の先駆者の1人に数えられる。
↓パサディナ(米)/ノートン・サイモン美術館のエジプトへの逃避
↓ヴィンタートゥール(スイス)/オスカー・ラインハルト美術館の羊飼いの礼拝
パッヒャー Michael Pacher(オーストリア)1435頃~1498
15世紀ティロル地方で活動した画家、彫刻家。ネーデルランド美術の影響を受けたが、ティロル地方がイタリアに近いこともあり、修行時代はパドヴァとマントヴァに遊学した。また繊細な線描にドイツ・ゴシックの名残も見受けられる。南ドイツ、ドナウ川流域の美術に深い影響を及ぼした。
↓ミュンヘン/アルテ・ピナコテークの教父の祭壇画
↓同上の受胎告知
↓ザンクト・ヴォルフガング/教区聖堂の祭壇画(開扉面の部分)
パティニール Joachin Patinir(ネーデルランド)1480頃~1524
16世紀ネーデルランドの風景画を専門に手掛けた最初の画家とされる。宗教や神話の主題を一種の口実として風景描写を描いていた。空想の景観を巧みに実景に配している。
↓マドリード・プラド美術館のスティクス川を渡るカロン
ハルス Frans Hals(オランダ)1581/85~1666
オランダ絵画黄金時代の最初期を代表する肖像画家。明るい色彩と大胆な筆使いで風俗画風の肖像画を描いた。集団肖像画でも個々の人物の描写は自然で従来の単調さを一新した。1620年代からは一層自由な筆運びと直描きの技法が冴えている。
↓デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館の笑う少年
↓アムステルダム国立美術館の庭の夫婦
↓同上のThe Meagre Company(通称/やせた警備隊)
↓同上の陽気な酒飲み
↓ハールレム/フランツ・ハルス美術館の聖ゲオルギウス市警備隊の士官たちの晩餐(1616)
↓同上の聖ゲオルギウス市警備隊の士官たち
↓同上の聖ゲオルギウス市警備隊の士官たちの晩餐(1627頃の前列中央部分)
↓同上の養老院の女理事たち(部分)
↓フランクフルト/シュテーデル美術研究所の女性の肖像画
↓同上の男の肖像画
↓チューリッヒ美術館の男の肖像
↓ヴィンタートゥール(スイス)/オスカー・ラインハルト・コレクションの勉強する少年
↓ブリュッセル王立美術館の3人の子供たち
↓パリ/ルーヴル美術館のジプシー女(La Bohemienne)
↓パリ/ジャックマールーアンドレ美術館の男の肖像画
↓ウィーン/美術史美術館の女性の肖像画
↓ロンドン/ケンウッド・ハウスのピーテル・ファン・デル・ブルッケ
↓ロンドン/ウォーレス・コレクションの笑う士官
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーの頭蓋骨を持つ青年
↓ベルリン国立絵画館の乳母と子供
↓同上のマッレ・バッペ
↓ミュンヘン/アルト・ピナコテークのヴィレム・ファン・ヘイトハイゼン
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ美術館の風景の中の家族の肖像
ハンス・ボロンジェ Hans Bollongier(オランダ)1600~1645
17世紀の花の静物画を専門に描いた画家。
↓アムステルダム国立美術館の花の静物画
↓ハールレム/フランス・ハルツ美術館の花の静物画
タグ:ハルス
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(ナ~ノ)]
ナティエ Jean Marc Nattier (仏)1685~1766
18世紀フランスの肖像画家。上流階級の肖像画家として活躍。特に神話的肖像画が人気だった。60年以降はディドロから迫真性に欠けると不評を買った。
↓パリ/ジャックマール-アンドレ美術館のアンタン公爵夫人
↓シャンティイ/コンデ美術館のシャンティイ城の庭園にいるクレルモン嬢
↓同上のへべに扮した公爵夫人
ノルデ Emil Nolde(独)1867~1956
ドイツ表現主義の画家。ブリュッケ派には属さず、孤高の画家として歩んだがナチスから「退廃芸術」の烙印を押され、多くの作品を失い監視下に置かれたが、隠れて制作に励んだ。
↓ウィーン/アルベルティ―ナ美術館の月夜
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(ト-2)]
ドーミエ Honore Daumier(仏)1808~1879
イアリズムと表現主義の画家。初めは石版画家として出発。政治や社会の風刺画を風刺新聞などに発表し、一世を風靡。40歳ごろから油彩や水彩を描き、物語や演劇にテーマを求めた作品を制作。舞台の人工照明による光と影を巧みに表現し、印象派の先駆者のひとりといえる。
↓ヴィンタートゥール(スイス)/オスカー・ラインハルト・コレクションの山中のドン・キホーテとサンチョ
↓同上の三等車両(ドローイング)
↓同上の子供の水浴
↓ミュンヘン/ノイエ・ピナコテークのドン・キホーテ
↓同上の悲劇
ドメ二キーノ Domenichino(伊)1581~1641
17世紀ボローニャ派の代表的画家。ボローニャでカラッチ一族に学ぶ。1602年ローマに移住、フレスコ画と油彩画で活躍した。
↓ローマ/ボルゲーゼ美術館のクマエの巫女(Sibilla)
ドメニコ・ヴェネツィアーノ Domenico Veneziano(伊)1405/10頃~1461
主にフィレンツエで活躍した15世紀のイタリア画家。人物に運動と個性的表情を与え、明暗の画面構成にも優れている。生涯についてはほとんど不明であり、作品数も極めて少ない。
↓ケンブリッジ/フィッツ・ウィリアム美術館の受胎告知
↓同上の聖ゼノビウスの奇跡
ドラクロワ Ferdinand Victor Eugene Delacroix(仏)1798~1863
ロマン主義を代表する画家。ジェリコーの影響で社会派的な問題作を発表した後、旅行先の北アフリカで光と色彩の啓示を受ける。異国的なモチーフや歴史・文学の主題に基づいた多彩な作品を描いた。また宮殿や教会等の装飾画の大作にも力を注いだ。
↓パリ/ルーヴル美術館の民衆を導く自由の女神
↓同上の怒れるメディア
↓同上の戯れる若いタイガーと母親
↓ヴィンタートゥール(スイス)/オスカー・ラインハルト・コレクションの精神病舎の中のタッソ
↓パリ/オルセー美術館のライオン狩り
↓モンペリエ/ファーブル美術館の室内のアルジェの女たち
ドラン Andre Drain(仏)1880~1954
フォーヴィスムの画家。パリで絵を学び、マティスやヴラマンクと知り合う。05年にマティスとともに南仏のコリウールに滞在し、その時制作した固有色を無視し対象を大胆にデフォルメした作品が評判となる。その後ピカソと知り合いキュビズムに接近。第一次大戦後は挿絵や舞台装置などにも精力的に取り組んだ。
↓パリ市立近代美術館の芝生の上の3人の男
↓サンクトペテルブルク/エルミタージュ美術館のル・アーヴルの港
↓パリ/オランジェリー美術館のルート
ドルエ Francois-Hubert Drouais(仏)1727~1775
ドルエはルイ15世の宮廷画家としてナティエの後継者でした。 彼は、王と彼の2人の最も有名な愛人、ポンパドゥール夫人とバリー夫人、そして芸術家とプロのクラスの著名なメンバーを含む、彼の時代の主要人物のほとんどを描写しました。 ドルエの作品は彼の生涯で賞賛され、彼の人気と顧客はサロンのレビューで発表された時折の不利な判断から衰えることはありませんでした。父はミニチュアの肖像画で有名な画家で、 Drouaisは、彼の父と、Carle van Loo、Natoire、Boucherなどの他の有名な画家によって訓練されました。 彼は1758年にアカデミーの会員になり、1755年から彼の死の年までサロンに定期的に出展しました。
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーのポンパドゥール夫人
ドローネー Robert Delauney(仏)1885~1941
キュビスムと新印象主義の影響をもとに出発し、幾何学的な構成に色彩と運動感を取り入れて、独自の画風に達した。アトリエから眺めたパリの風物(エッフェル塔など)を描写。
↓パリ市立近代美術館のエッフェル塔
↓同上のカーディフ・チーム
↓ニューヨーク/グッケンハイム美術館の赤いエッフェル塔
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(ドガ)]
特別編
ドガ Edgar Degas (仏)1834~1917
印象派の代表的画家。エコール・デ・ボザールに入門、アングルと出会う。56~59年イタリア各地を訪問。ルネサンスの画家たちの作品を研究。初期は主に肖像画や歴史画を制作。65年以降は競馬、バレエの踊り子、カフェなどの市井の近代生活をモティーフに制作。ドガ芸術の最高課題は、人間の動きに潜む動静の本質を的確な素描と慎重な構成を持って画面に定着させることだった。とりわけ古典バレエの踊り子を描いた作品群にその明晰な才能をみることができる。
↓ヴィンタートゥール(スイス)/オスカー・ラインハルト・コレクションの楽屋の踊り子
↓同上の素描(ジュリエッタ・ベッレイリ嬢)
↓ミュンヘン/ノイエ・ピナコテークのアイロンをかける女
↓同上のうなじをふく女
↓バーゼル国立美術館の湯上りにショコラ(ココアのカップ)
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーの浴後(体をふく女)
↓同上の髪を梳いてもらう女
↓同上のフェルナンド・サーカスのララ嬢
↓ロンドン/テイト・ギャラリーの浴室で髪を梳く女
↓ロンドン/コート―ルド美術研究所の舞台の2人の踊り子
↓エディンバラ/スコットランド国立美術館のディエゴ・マルテッリ(美術評論家、画家の友人)
↓東京/吉野石膏コレクションの踊り子たち(ピンクとグリーン)
↓パリ/オルセー美術館のアプサント(カフェにて)
↓同上の浴後(うなじをふく女)
↓同上の花束を持って挨拶する踊り子
↓同上のアイロンをかける女たち
↓同上の髪を梳く女
↓同上の踊り子たち
↓同上の浴槽
↓同上のダンス教室
↓同上のオペラ座の稽古場
↓リヨン美術館の舞台の上の踊り子たち
↓同上のカフェ・コンセール(大使たちの?)
↓ニューヨーク/メトロポリタン美術館のピンクとグリーンの踊り子たち
↓同上の舞台稽古
↓同上の菊のある婦人像(ヴァルパンソン夫人?)
↓ニューヨーク/フリック・コレクションのリハーサル
↓ニューヨーク近代美術館MoMAの帽子屋にて
↓ワシントン・ナショナル・ギャラリーのバレエの前
↓シカゴ美術館の婦人帽子店にて
↓パサディナ(米)/ノートン・サイモン美術館の待つ
↓ウィリアムズタウン(米)/クラーク美術研究所のダンスのレッスン
↓同上の舞台の袖の踊り子たち
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ美術館のドレスメーカーで
↓サンクトペテルブルク/エルミタージュ美術館の化粧室で髪を梳く女
↓
タグ:ドガ
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(トー1)]
トゥーラ Cosme (Cosimo) Tura(伊)1430頃~1495
イタリア15世紀、フェラーラ派絵画の創始者。エステ家の宮廷画家として活躍し、フェラーラ派絵画の形成に大きな影響を及ぼした。マンテーニャの影響を示す線的、彫刻的様式。強烈な内面感情を示す表現主義的な人物や衣装が特徴。その奇想、幻想に満ちた表現は他の追随を許さない独自性がある。
↓ヴェネツィア/コレル美術館のピエタ
↓ベルガモ(伊)/アカデミア・カッラ―ラ美術館の聖母子
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーの春の寓意像
↓同上の玉座の聖母子
↓アジャクシオ(仏コルシカ島)/フェッシュ美術館の二人の聖人を伴う聖母子
↓フェラーラ(伊)国立絵画館の聖マウレリウスの殉教
↓同上の聖マウレリウスの連行
↓フェッラーラ(伊)大聖堂付属美術館の受胎告知
↓同上の聖ゲオルギウスと龍
↓ドレスデン国立美術館の聖セバスチャンの殉教
ド・スタール Nicolas de Stael(仏)1914~1955
戦後のエコール・ド・パリで最も重要な画家の1人。ロシア貴族の子。革命でポーランドに亡命、その後1938年よりパリに住む。マティエールの強い色面構成の画面から、最も抽象的なコンポジションシリーズと向かい、並行して風景を独自の画風で描いた。晩年には人物や静物を具象的に描き独自の作風を確立したが、41歳で自死。
↓レンヌ(仏)美術館のコンポジション1949
↓ワシントンDC/フィリップ・コレクションのFugueフーガ1952
↓パリ/ポンピドー・センター・近代美術館のLes Toiits(屋根)1952
↓同上のグランド・コンポジション・ブルー
↓同上のPasage,Marine(港の眺め)1954
↓同上のシチリアの眺め1954
↓同上のマリーン1955
↓同上のラヴァンドゥ1952
↓同上の青色を背景にしたアトリエの隅1955
↓同上のプリンセスたちの公園
↓同上の楽士たち1953
↓同上の夜のパリ1954
↓アンティーブ(仏)/ピカソ美術館のコンサート1955
↓同上のアンティーブのLa Fort-Carre
↓ヴィンタートゥール(スイス)/国立美術館のLes Martigues1954
↓エクサン・プロヴァンス/グラネ美術館のセザンヌからマティスの偉大なアトリエの午後
↓ロンドン/テイト・ギャラリーの眺めの学習?1952
ドッシ Dosso Dossi(伊)1474/79頃~1542
16世紀北イタリアの画家。ヴェネツィア派のジョルジョーネ、ティツィアーノらの影響を受け、マントヴァ公のための仕事を受け、フェッラーラのエステ家の宮廷画家となる。フェッラーラでは詩人のアリオストと組んで、宮廷劇や祝典の演出にも携わった。
↓ローマ/ボルゲーゼ美術館の魔女キルケ
トゥルーズ・ロートレック Toulouse Lautrec(仏)1864~1901
フランス世紀末の画家。アルビの貴族の嫡男として生まれるが、少年期の事故により、下半身の成長が止まる後遺症にあい、絵筆を与えられ成長。18歳の時パリに出てアトリエで絵を学ぶ。パリの歓楽街を舞台に素早く正確なデッサン力をもとに描く。印象派や浮世絵の影響も大きい。ポスターも手掛け注目を浴びたが、精神錯乱とアルコール中毒のため故郷で没。母親がアトリエに残された作品をアルビに寄贈。
↓パリ/オルセー美術館の化粧(背を向けて座るモデル)
↓プライベート・コレクションのポスター4枚
↓ロンドン/コート―ルド美術研究所の手袋をはめるジャヌ・アヴリル
↓同上のTête-à -tête Supper
↓ミュンヘン/ノイエ・ピナコテークの女性の肖像
↓アルビ/ロートレック美術館の帽子屋の女
↓同上のグラスの前の自画像
↓同上のマルメロのサロンにおけるロートレック伯爵夫人
↓同上のムーラン街のサロンにて
↓同上の下着を脱ぐ女
↓ヴィンタートゥール(スイス)/オスカー・ラインハルト・コレクションのLa Clowness
↓ニューヨーク近代美術館MoMAのムーランルージュのClowness(上記の習作)
↓同上の座るClowness(Elles)
↓シカゴ美術館のムーランルージュにて
チボー Edouard Cibot(仏)1799~1877
パリ生まれの19世紀の画家。キャリアの最初は歴史画に専念。晩年は風景画も制作した。主な作品はパリ市内の教会で観ることができる。
↓オータン(仏)ロアン美術館のロンドン塔のアン・ブーリン
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(テ-2)]
デューラー Albrecht Durer (独)1471~1528
ドイツ・ルネサンスを代表する画家。国際ゴシック様式の絵画、版画を学んだ後修行先のイタリアでベッリーニに出会い私淑する。以後、人体比例や遠近法を研究(没後人体比例論を刊行)。1512年皇帝マクシミリアンの宮廷画家となる。また木版画、銅版画の傑作を残し、版画を一つのジャンルとして確立。
↓ミュンヘン/アルト・ピナコテークの4人の使徒
↓同上のカーネーションの聖母子
↓同上のオスヴァルト・クレル
↓パリ/ルーヴル美術館の1493年の自画像
↓マドリード/プラド美術館の1498年の自画像
↓同上のアダムとエヴァ
↓ウィーン/アルベルティ―ナ美術館のうさぎ
↓同上の青い翼
↓ウィーン/美術史美術館の切った梨を持つ聖母子
↓同上の若いヴェネツィア婦人の肖像
↓ベルリン国立絵画館の祈る聖母マリア
↓フランクフルト/シュテーデル美術研究所のヨブとその妻
デルヴォー Paul Delvaux(ベルギー)1897~1994
ベルギーのシュルレアリスムを代表する画家。写実主義、新印象派に続いて、ヴラマンクやアンソールの影響を受けシュルレアリスムに入っていく。幻想的な特質を持つ。
↓St Idesbald(べルギー)/ポール・デルヴォー財団のスピッツナー陳列館
↓ブリュッセル/王立美術館の公道
↓同上のノクターン
↓同上の夜汽車
↓同上のピュグマリオン
↓ウィーン/アルベルティ―ナ美術館の街灯の風景
↓
テルブリュッヘン Hendrick Terbrugghen(オランダ)1588~1629
ユトレフトのマニエリスムの画家。イタリア留学(1604~14)時にカラヴァッジョ派の強烈な明暗法を学び、20年代にはホントホルストとともに、ユトレヒトのカラヴァッジョ派の指導者となる。しかし中間色を好み、人体の彫塑に対する無関心さは、むしろカラヴァッジョとは相反するものであった。そのためフェルメールに影響を与えた。
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーのコンサート
↓パリ/ルーヴル美術館のデュオ
↓ユトレヒト中央美術館の酔っ払い
テルボルフ Gerard ter Borch(オランダ)1617~1681
17世紀オランダの風俗画家、肖像画家。ハールレムでの修行の後、ヨーロッパ各地を旅行。45~48ドイツのミュンスターで肖像画家として活動。風俗画は初めは庶民や兵士の生活を描いていたが、次第に上流社会に取材したものとなる。娼婦を題材にしたものも多い。
↓ベルリン国立絵画館の父の訓戒(通称)
↓同上のチェロを弾く婦人
↓アムステルダム国立美術館のヘレーナ・ファン・デル・スハルケ
↓デン・ハーグ(オランダ)/マウリッツハイス美術館の手紙を書く婦人
↓ロッテルダム/ボイマンス美術館の糸を紡ぐ人
↓パリ/ルーヴル美術館のレッスン(画家の弟モーゼスに)
↓フランクフルト/シュテーデル美術研究所のワイングラスを手にする婦人
↓ニューヨーク/メトロポリタン美術館の好奇心
↓ロンドン/ウォーレス・コレクションの手紙を読む婦人
↓ワシントン・ナショナル・ギャラリーの訪問
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(テー1)]
ティエポロ Giovani Battista Tiepolo(伊)1696~1770
18世紀最大のヴェネツィア派の画家。正確な遠近法空間の中に配された演劇性豊かな人物群像を名人芸的な大装飾壁画の名手として国際的に活躍。代表作の多くは貴族の邸宅、司教館、王宮のフレスコ装飾である。
↓パリ/ジャックマール・アンドレ美術館のアンリ3世の訪問を知らせる空中を舞う天使たち
↓同上のアンリ3世の到着を出迎えるフェデリコ‣コンタリーニ
↓シカゴ美術館のアルミーダに魔法をかけられたリナルド
ティソ James Tissot(仏)1836~1902
19世紀フランスの画家。物語的内容の濃い風俗画で人気を博す。パリ・コミューンの一員として戦い、ロンドンに亡命。社交界を描いた肖像画で成功。82年パリに戻り、当時流行のパステル画の肖像画で再び人気になる。その後一転して宗教画に向かい聖書の挿絵は商業的にも成功したが、没後次第に忘れ去られていった。
↓パリ/オルセー美術館の舞踏会
ディックス Otto Dix(独)
ティントレット Tintoretto(伊)1518~1594
ヴェロネーゼと並んで16世紀後半のヴェネツィアを代表する画家。引き延ばされた人体プロポーション、ねじれた姿勢、極端な短縮法、超現実的な明暗の鋭い対比によって、バロックを先取りする動的で、ドラマティックな画面を創造した。
↓ヴェネツィア/スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコの羊飼いの礼拝
↓同上の受胎告知
↓同上のエジプトへの逃避
↓同上の読書するマグダラのマリア
↓同上の瞑想するエジプトの聖マリア
↓同上の聖母被昇天
↓同上のピラトの前のキリスト
↓ヴェネツィア/サン・マルティレ・ムラーノ教会のキリストの洗礼
↓ウィーン美術史美術館のスザンナの水浴
↓ヴェネツィア/サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の聖ステファノの殉教
↓ミラノ/ブレラ美術館の聖マルコの奇跡
↓ミュンヘン/アルト・ピナコテークのヴィーナスとウルカヌス、マルス
↓リヨン美術館のダナエ
↓同上の聖母子と聖人たち
↓フィレンツェ/ウフィツィ美術館のレダと白鳥
デ・クーニング Willem de Kooning(米)1904~1997
20世紀のオランダ出身の画家。主にアメリカで活動した。抽象表現主義の画家で、具象とも抽象ともつかない表現と激しい筆触が特色である。 デ・クーニングは、ジャクソン・ポロックと並ぶ「アクション・ペインティング」の代表的作家であり、抽象表現主義の創始者の一人として、20世紀美術史の上に重要な位置を占める。
↓ニューヨーク近代美術館MoMAの女
テニールス David Teniers(フランドル)1610~1690
17世紀フランドルの画家。37年ヤン・ブリューゲルの娘と結婚。47年ネーデルランド総督の宮廷画家、56年美術アカデミーの初代院長となった。農民の風俗画が主だが、宗教画風景画なども描いた。繊細で洗練された画風のため、17~18世紀の貴族に好まれたため、多くの追随者を生んだ。
↓ウィーン/美術史美術館のレオポルド大公の絵画コレクション
↓ブリュッセル王立美術館のレオポルド・ヴェルヘルム大公の画廊