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十一面観音巡りの旅(22)秋の京都 [2014秋の京都(三井寺・青蓮院・相国寺]

11/13(木)

 今年最後の旅も最終日になりました。さすがに昨日のハードスケジュールの疲れが残っていましたので、朝寝坊してゆっくり朝食をとり、チェックアウト。荷物を預けて相国寺(初訪問)へ。京都御所からも近く同志社大学の構内に隣接しています。

☆相国寺

 足利義満(三代将軍)が後小松天皇の勅命を受け1392年に完成させた臨済宗大本山です。その後、応仁の乱の兵火で焼失したこともありましたが、禅宗行政の中心地として多くの高僧を輩出。豊臣家の庇護のもと秀頼が現在の法堂を建立。その後の大火にも被害を受けながらも1807年に至って、桃園天皇皇后の下賜を受け堂宇の整備が進みました。

↓ 参道を進みますと右手に鐘楼(1843再建)

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↓ 受付のある門~大きい破風や壁面が印象的な庫裏

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↓ 庫裏の西側に方丈(1807再建)があり、江戸時代に描かれた「観音菩薩」(加藤信清筆)など見学カメラ禁止のため絵葉書です。法華経の経文の文字によって描かれているそうですが、近くでは見られないので、判別できませんでした。

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↓方丈の裏に庭園があります。江戸時代作の枯山水式。

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↓ 方丈の南に建っているのが法堂(はっとう)です。重文。天井には狩野光信によって描かれた大迫力の蟠龍図。鳴き龍としても有名なので、私も手を叩いて鳴かせてみました。ここもカメラ禁止なので絵葉書です。

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 この後は夢想国師像を安置している開山塔へ。ここは別料金なのでひっそりしていましたが、円山応挙と応端の杉戸に描かれた可愛らしい「芭蕉小狗子図」があり、白砂の庭園もうっとりするほど美しく、お勧めです。

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↓開山塔庭園(江戸時代、枯山水式)

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 そして相国寺で忘れていけないのは境内にある美術館です。

☆承天閣美術館

 相国寺をはじめ金閣寺、銀閣寺などに伝わる国宝、重文を展示しています。なかでも伊藤若冲の「鹿苑寺大書院旧障壁画」の一部を移設しているのが見所です。来年の春まで特別展「花鳥画展」を開催中。

↓ 境内の樹木に囲まれたアプローチも素敵

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↓ 開山塔で拝見したばかりの円山応挙が4点。そのうちの「豆狗子図」と応端の「朝顔狗子図」(絵葉書)

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 長谷川等伯の「竹林猿猴図」、伊藤若冲の「鹿苑寺大書院旧障壁画」は書院造りの一部を移設した「葡萄小禽図床貼付」と「月夜芭蕉図床貼付」がガラス越しがちょっぴり残念ながら、見学者もまばらななかで、落ち着いて鑑賞できました。

↓総門を抜けて

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↓同志社大学の煉瓦壁の校舎を眺めながら

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 地下鉄とタクシーを乗り継いでホテルへ戻り、荷物を受け取り京都駅へ。デパ地下で京都の漬物などのおみやげや関空までの列車内でいただいた和久傳のお弁当などのお買い物。このお弁当は以前は予約が必要?だったかで、数も少なかったのですが、今は大量生産みたいで、その分味も落ちた気がしました。

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 関空から札幌に順調に帰途につきました。ヨーロッパからはほとんどお土産なしで帰国しますが、京都からは美味しいお土産がいっぱいなので、家人の受けも良いようで…笑。

 紅葉の時期の京都は外国からのツーリストも多く混雑していましたが、有名な観光寺などからちょっとはずれると閑静な古寺巡りを堪能することができました。私の旅のテーマである十一面観音さまにお会いするには外れた部分も多かったのですが、またの機会を楽しみにしつつ、終わります~♪


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十一面観音巡りの旅(21)秋の滋賀と京都 [2014秋の京都(三井寺・青蓮院・相国寺]

~続きです。 

 お正月はブログを終えてから心新たに迎えたいと思っていたのですが、いつもの計画倒れになりました。実は年末の掃除が、常日頃の手抜きがたたり手間取りました。その家事の合間に心忙しくブログを書いていたのですが、三井寺篇の後半を終わらせた段階でパソコンが不調…なんと!消えてしまいました。下書きはしないで、ときどき保存するスタイルで更新しているのですが、この時は焦ったのが、そもそもの間違いの元。しばらくはやる気をなくしてしまったというわけです・・・で、今は思い出しながら再度のチャレンジです。

 前回の三井寺の一切経蔵を見学後、金堂へ向かいました。

↓ 途中に池があり、私の足音を聞きつけて、鯉の稚魚でしょうか口を大きく開けて、エサのおねだり。その必死の形相が凄過ぎ・・・。哀れに感じてふと見ると、池の畔にエサの寄付箱が…エサくらいお寺のお金であげてよと思うものの、硬貨をポトリ。

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 ↓金堂(国宝) /現在の建物は桃山時代に北の政所によって再建されたもの。三井寺の総本堂です。写真では右が金堂(西側)突き当りが閼伽井屋です。

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 金堂の本尊は天智天皇が信仰されていたと伝えられる弥勒菩薩ですが、絶対秘仏とのこと。↓の御朱印状をいただいたとき、お坊様に確認したところ、誰もその霊像を見た人はいないそうです。

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↓ 閼伽井屋(右)と金堂(左)、軒を接しています。

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 閼伽井屋(重文)は天智、天武、持統の三天皇が産湯に用いたという泉を護っている小さな建物で、1600年の建立。

↓正面上部に左甚五郎作の龍の彫刻が掲げられています。

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↓ 金堂の境内には「三井の晩鐘」(重文)として知られている鐘楼があり、今の建物は1602年の建立。小さなくぐり戸から中に入りました。丁度、若い女性が鐘を突くところでしたが、かなり力が要るとのことで、私は試しませんでした。有料です。

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↓ 金堂の階段を下って

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 ↓三井寺見学の最後は光浄院客殿でしたが、門を入ってからは一切カメラ禁止とのことで外側から。先に見学した勧学院客殿と同じ書院造で1601年に豊臣秀吉に仕え、三井寺の僧でもあった山岡道阿弥によって建立。広縁からの庭も障壁画(狩野山楽ほか)も日本文化の清明さが現れた素晴らしい空間で観ることができました。

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 余談ですが私が訪れる前の10/31にここで記念の大茶会が開かれ、裏千家の教授をしている札幌の友人がお点前をしたそうです。狩野派の障壁画の前ではさすがに風炉先の屏風は2重に置かれたとのこと。

 仁王門から境内の外へ。仁王門前には広い駐車場や土産物兼レストランがあり、遅くなった昼食はここでお蕎麦をいただきました。疏水べりに沿って三井寺駅に戻り、膳所で電車を乗り継いで京都駅に戻りました。ホテルに戻る前にもう一か所見学予定があります。ここも疲れたからといっても外せません。バスの経路が掴めず、タクシーで東山粟田口の青蓮院門跡(初訪問)へ。

☆青蓮院門跡  

 最澄が比叡山に住坊として開いた「青蓮院」を起源として平安時代に創建されました。三千院、妙法院とともに天台宗の三門跡寺院として知られています。皇室や摂関家の師弟が入寺する門跡として、多くの法親王が門主を務め、高い格式を誇っています。

↓江戸時代中期の建造物だけでなく庭園の美しさも格別です。淡く色づき始めた紅葉の美しさは北海道のナチュラルな紅葉とは違う品格のようなものを感じさせます。

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↓青蓮院の青竹の林も散策

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 青蓮院では将軍塚に青龍殿(飛地境内)を新たに建立しました。それを記念してこの秋に国宝「青不動明王」をご開帳。なお模写した青不動は青蓮院にて公開されています。青蓮院の前から将軍塚までライトアップのためのシャトルバスが出ています(30分毎)。道路を隔てた向かいにカフェがあり、バスを待ちながらコーヒータイム。暗くなった夜道を蹴上を経由して東山山頂へ。

☆将軍塚青龍殿

↓10月に落慶されたばかりの青龍殿

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↓ 国宝の「不動明王二童子(青不動)」絹本着色 203.5×148.8  11世紀半ば

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 青不動の実物は上の絵葉書より色鮮やかでした。平成21年に創建以来初めて青蓮院でご開帳があった時に写した写真でしょう。その後文化庁による3年間の修理を経て、この秋に再びご開帳になったのです。憤怒の形相の青不動は人々の救いを願う大日如来の化身です。画面下の両脇に侍者の二童子、背景の燃え盛る火焔に火の鳥が七羽描かれています。平安仏画の最高傑作の名に恥じない堂々たる迫力です。この日は偶然三井寺の黄不動も立像ながら拝観できましたし、なんとなくご利益がありそうな気持になり、珍しく家族の健康を祈願してお札(ふだ)を収めました。なお赤不動は高野山にあるそうです。

 ↓外に出て裏手に回ると大舞台があり、ここから京都の夜景を一望できます。

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↓ 庭の紅葉もライトアップ。奥に見える小高いところが将軍塚。桓武天皇が784年に奈良から長岡京に移ったのですが、事故が続いたため、この東山山頂から京都盆地を見下ろして、都の場所にふさわしいと794年に平安遷都をすることになったのです。そして都の鎮護のために武装姿の将軍の像を塚に埋めたのです。

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 青蓮院までシャトルバスで戻りました。青蓮院でもライトアップの庭園が観れたのですが、さすがに疲れてここはパスしました。近くのバス停から京都駅まで。Iデパートの韓国食堂でビールとビビンバの夕食。ホテルのシャトルバスもあるのですが、9時を回っていて乗り遅れ。地下鉄とタクシーを乗り継いで、二条城近くの宿に戻りました。ようやく長い一日が終わりました。

 

 


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十一面観音巡りの旅(20)秋の滋賀 [2014秋の京都(三井寺・青蓮院・相国寺]

11/12(水)

 素敵な庭園を眺めながら、ブッフェの朝ごはん。さすがANAのホテル、コーヒーがマシーンのセルフサービスでなくポットで。

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 JRで京都駅から膳所駅/京阪電車に乗換て三井駅へ。待ち時間を含めても40分ほどで到着。

↓膳所駅で坂本行きの電車

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↓三井寺駅

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 三井寺(園城寺)は有名な古刹であり、宗祖の生誕1200年記念の今秋には大規模な特別拝観の時期。さぞかし、電車も混んでいると思ったですが、降車する人もまばら。拍子抜けでした。

↓三井寺駅から琵琶湖の疏水に沿って歩きます。

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↓間もなく山の中腹の三井寺が見え隠れしてきます。

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↓ 琵琶湖疏水のトンネル。京都まで流れていきます。

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↓ 徒歩数分、道の突き当りに看板があり左折、

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 ↓三井寺観音堂の参道入り口の左に古い神社(長等神社と馬神神社)が見えました。狛犬もキリリとしてて立派です。

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 少し先には拝観受付があり、NETで事前申し込みを忘れていた国宝の2客殿のことをききましたら、今はどなたでも見学できるとのこと。ラッキー~!入山料500円のほかに、特別公開はそのつど拝観料が必要とのこと。境内は広大なうえに見るべきものも多く、時間もお金もかかりました。。。

☆三井寺(園城寺)

 天台寺門宗の総本山。平安時代に第五代天台座主の智証大師円珍和尚によって、天台別院として中興され、以来一千百余年にわたって法灯を今日に伝えています。長い歴史の中で、再三兵火に遭いますが、源氏や足利家、戦国時代には豊臣、徳川両家によって再興され、現在も国宝、重要文化財など貴重な寺宝を数多く保存、伝えています。

 今秋は「宗祖 智証大師 生誕1200年慶讃大法会」が開催され、秘仏や黄不動、一般公開されていない客殿などが特別公開されます。

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↓ しょっぱなから苦行の階段。勾配も急で120段以上はありました。

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↓ようやく観音堂が見えてきました。

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 一直線に観音堂へ向かいました。なにしろ33年毎しか開扉されない秘仏の如意輪観音坐像のご開帳なのです。当然写真は禁止なので図像は三井寺のHPから拝借しました。

↓如意輪観音坐像(重文・平安時代10世紀)

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 観音堂の一番奥に「お久しぶりね~」とでも言いたげに優雅な微笑みのご本尊。瓔珞も華やかでいかにも平安朝の観音様です。しかし、そのオーラたるや凄いものがありました。お顔一つに腕が6本ある一面六臂(ひじ)の密教系の観音様は桧の寄木造りですが、後の時代に漆箔が施され、きらびやかな印象です。特筆すべきは御手から観音堂を横切って繋がれた慈悲の心の綱(5色)です。繋がれた先は太い5色によられ、それを引っ張って観音様に心を添わせて、祈ります。こういう経験は初めてでした。

 観音堂から棟続きに写真展「三井寺讃仰」(井浦新)の会場があり、寄ってみました。この後観ることのできた十一面観音や訶梨帝母倚像(かりていもいぞう)などの写真を拝見。観音堂に付随した広いお座敷でゆったり鑑賞できました。

 ↓ 観音堂の広い境内からの眺望。街の向こうは琵琶湖です。

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↓観月舞台(1849)

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↓百体堂(1753)や鐘楼(1814)も建ち並んでいます。

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 上の小さな鐘楼の脇から少し坂道を降りて、毘沙門堂~文化財収蔵庫~微妙寺と回りました。

↓参道わきにひっそり建つ毘沙門堂(重文/1616年建立)

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↓文化財収蔵庫

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 智証大師 生誕1200年の記念事業として10月に開館したばかりです。ここには三井寺に伝わる国宝や重文の仏像、襖絵など53点の宝物が展示されています。そのなかで印象に残ったものいくつかアップしましょう。

(1)朝鮮鐘(高麗時代 重文)1022年の年記あり。この装飾文様が美しい飛天なのです。鐘の写真の右下にありますが、はっきりしませんので入山料を払うとき戴いたチケットをスキャンしました。飛天は仏像と違って、古寺のメインに位置することはありませんが、美しき脇役として、装飾的に時々姿を現します。こうして思いがけないところでの出会いは嬉しいものです

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(2)訶梨帝母倚像(かりていもいぞう)重要文化財 鎌倉時代(十三世紀前半)/木造 彩色 玉眼 像高43.9cm (絵葉書 部分)右手に柘榴を持ち幼児を抱く慈愛に満ちた女神像はキリスト教の聖母子像を思わせる写実的な造形です。日本にキリスト教が伝来するのが一応は16世紀なので、まったく影響がないのでしょうか・・・謎めいてます。

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追記:訶梨帝母は別名鬼子母神といい、ガンダーラの影響を受けています。<インドでは、とりわけ子授け、安産、子育てのとして祀られ、日本でも密教の盛行に伴い、小児の息災や福徳を求めて、鬼子母神を本尊とする訶梨帝法が修せられたり、上層貴族の間では、安産を願って訶梨帝像を祀り、訶梨帝法を修している。 また、法華経において鬼子母神は、十羅刹女(じゅうらせつにょ)と共に法華信仰者の擁護と法華経の弘通を妨げる者を処罰することを誓っていることから、日蓮はこれに基づき文字で表現した法華曼荼羅に鬼子母神の号を連ね、鬼子母神と十羅刹女に母子の関係を設定している。>wikipediaより

(3)十一面観音立像  重要文化財 平安時代(九世紀)/木造 彩色 像高81.8cm(絵葉書 部分)台座から頭部まで桧の一木で彫刻されています。この収蔵館ができる前まで、つい1か月前までは境内の微妙寺に安置されていました。頭でっかちの4頭身なので、一見へんちくりんな印象を受けましたが、これは檀像の特色のひとつで、良く見ると緻密に施された彫刻や古色が美しく残っています。全身が豊かな肉づけと柔和なお顔。小さいながら風格を感じさせる仏様です。

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 他にも智証大師坐像、勧学院の障壁図(狩野光信筆)などを鑑賞しました。ミュージアムの向かいに建つ十一面観音の元の場所微妙寺にも寄ってみました。係りのおばさんは少し淋しそうでしたが、大事な仏像だから、きちんと管理されるのは安心なのと、つぶやきながらご朱印を書いてくださいました。

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↓ 微妙寺に掲げてあった「湖国十一面観音巡り」の案内板。十一面観音は秘仏が多いので、回るのは苦労ですが・・・。

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 そして特別拝観の勧学院~唐院~一切経蔵へ。

↓勧学院(国宝) 1312年三井寺における学問所として建立。現在の客殿は豊臣秀吉により破却されたあとは秀頼の命で毛利輝元によって1600年に再建されたもの。日本を代表する書院建築。

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↓ 唐院(重文) 参道より一段高く塀に囲まれた一郭に三重塔や大師堂が建っています。智証大師の御廟を中心とした神聖な場所。今回は記念の特別拝観で秘仏の「黄不動尊立像」が開扉されました。

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 不動明王立像(黄不動) 重要文化財 鎌倉時代 十三世紀/木造彩色 像高159.8cm

 お堂の外からの拝観だったこともあり、人も多く、あまりじっくり見ていません。画像も発見できず、すでに記憶もおぼろです。↓ご朱印だけは戴いてきてました。

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↓ 一切経蔵(重文) 1602年に山口市の国清寺にあったものを毛利輝元の寄進によって移築されました。内部中央に高麗版の一切経を収める八角形の輪蔵があり、中心軸で回転するようになっています。

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続きます~



 


 


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十一面観音巡りの旅(19)秋の京都 [2014秋の京都(三井寺・青蓮院・相国寺]

11/8(土)~11/10(月) 福井市に住む次女一家を訪ねて3泊しました。奈良から京都乗り換えで富山行きの特急サンダーバードに乗車。

奈良JR9:54→京都10:41/12:10→福井13:33

↓京都駅のホームで。表示に札幌行のトワイライト・エクスプレスの文字…。来春で廃線になってしまうので、その前になんとか乗りたかったのですが、切符入手は困難であきらめムード。うらめしく出発ボードを見上げました。

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↓特急サンダーバードは琵琶湖の西を走ります。京都デパ地下で買ったお弁当を食べながら越前へ。

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↓ 越前ガニ解禁2日目に福井入りして、今年も越前ガニとセイコ蟹を堪能。

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↓福井の地酒、飲み比べセット。普段は日本酒よりワインかビールなのですが、福井では断然!日本酒。旨いカニに合うのはここの地酒です。梵とか黒龍は有名ですが、桜ばしは初めてだったかも。

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 孫たち(小3女の子&4歳幼稚園児男の子)に会うのは夏以来ですが、3か月でも子供の成長は早いのに驚きました。春休みには札幌に来てくれるので、また楽しみ~♪

11/11(火) 福井10:42→京都12:09

 福井に3泊して連夜の越前ガニ賞味という贅沢なグルメ体験(一生に一度かも 笑)。さて昨年に比べるとさほど寒くなかった福井から京都へ移動。京都は海外からの観光客が今までになく多く、駅構内のコインロッカーも空きを見つけるのは困難な状態でした。地下に行ってようやく荷物を出している人を見つけ即確保。二条城近くのANAクラウンプラザホテルに投宿する前に京都国立博物館などの見学をしたかったのです。

↓Iデパートのレストラン街で京都の湯葉料理のヘルシー・ランチを済ませ、

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 駅前から行列、混雑しているバスで京都国立博物館へ。入口にはやはり待ち時間90分、入場してから50分という看板が・・・殺人的な混みようです。ここは夕方ぎりぎりに来ることにして、未訪問だった近隣の智積院へ。

☆智積院

 真言宗智山派の総本山。真言宗は弘法大師空海によって開宗されたのですが、平安末期には衰退しました。しかし、その後興教大師によって再興され、上人が晩年移り住んだ紀州の根来寺は大寺として隆盛をきわめました。しかし、1585年豊臣秀吉によって全山焼き払いにあい、当時の智積院の学頭は学僧たちと共に高野山や京都に逃れました。その後、1615年徳川家康によって建立された祥雲禅寺を智積院に寄進され、真言宗の学山として現在に至っています。

↓ 紅葉にはまだ早かったのですが、利休好みとされる美しい庭園があります。

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 また、ここ智積院で忘れてはならないのが寺院内に残る長谷川等伯の国宝障壁画です。多くの愛好家を集めています。そういう私も安部龍太郎「等伯」を読んでますますファンになった一人です。東京国立博物館に出品された「松に秋草図」は10月中旬に観ていましたので、ここではなんといっても等伯の息子で26歳で急逝した長谷川久蔵の描いた「桜図」とその翌年描かれた父等伯の「楓図」の二枚です。久蔵の桜図は生の歓びに若々しくあふれています。それだからこそ、息子の亡き後に描かれた等伯の「楓図」には自分と息子とが合体したような命のパワーが輝いていて驚くばかり。

↓長谷川久蔵「桜図」

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↓長谷川等伯「楓図」

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 鬼気迫る作品の鑑賞のあとは、少々茫然状態で縁側に座り、庭園を眺めていました。

 さて、まだ京博のご近所に寄るところがありました。三十三間堂です。半世紀以上前に修学旅行で訪れたお寺の中ではかなりインパクト大でした。とはいえずらりと並ぶ千体千手観音立像に驚いただけですが・・・。その後新婚旅行も含めて何度かここに来ました。そのたびに「仏像の森」(1001体)に圧倒され、厳かな気持ちになります。たとえどんなに修学旅行の生徒さんたちでごった返そうと、私独りと仏像さまたちのご対面です。千手であり十一面観音さま、正しくは「十一面千手千眼観世音」といいます。

↓ それに観音様たちがまつられている建物の三十三間堂(国宝)が好き。長さは約120メートルの総檜造り。

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 薄暮のころに京博へ。行列は覚悟のうえでしたが、入館まで1時間+展示室にたどり着くまで30分の大苦行。。。

↓明治古都館前

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↓行列していると新しい博物館も見えましたが、入館する時間も体力も残っていませんでした。

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 ☆「国宝 鳥獣戯画と高山寺」@京都国立博物館明治古都館

 現代漫画の原点と言われ親しまれている「鳥獣人物戯画」(高山寺蔵)の修復が朝日新聞文化財団の助成により完成。それを記念して一般公開されました。余談ですが、東京のOL時代(50年前!)に今ほど情報もなく高山寺へ行けばみられると思いこんで、開通したばかりの新幹線に乗って栂尾まで行ったことがあります。当然観ることかなわず、気の毒に思われたのでしょうか、お座敷でお茶をごちそうになったことも、里に広がる紅葉も懐かしい・・・。その高山寺に伝わる宝物なども数多く展示されていました。これだけ大勢のお客さんですから、絵巻物に辿り着いてからも足を止めてみることは許されません。流れ作業ならぬ流れ鑑賞でした。でも満足でした。何しろ50年来の望みがかなったわけですから(笑)

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↓閉館の声に押し出されるように外へ。

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次回の京都の旅で、新しいミュージアム館に訪れることを願いつつ、近くのバス停から京都駅に戻りました。夕食は駅ビルの中華レストランで、海鮮おこげ。

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 そして荷物をコインロッカーから出して、今夜から2泊するホテルへ。二条城の近くですが地下鉄からかなり歩くので、タクシーで。

この時期の京都は、なかなか宿も見つからず、1か月ほど前ようやく予約。室内は少し古いもの広く、宿泊料金も許容範囲。朝食も美味しかったので良かったです。

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 大苦行の割に腰の調子もまずまず。明日も遠出なので早めに就寝。

追記:この日いただいたご朱印です。左/智積院、右/三十三間堂(大悲殿 蓮華王院)

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十一面観音を巡る旅(18)秋の南山城 [2014秋の京都(三井寺・青蓮院・相国寺]

~続きです。

 加茂駅東口でバスを待っていましたら、さきほど海住山寺へのコミュニティバスで隣席だった若い女性が現れました。海住山寺からバスには乗らずに徒歩で降りてきたそうで、元気いっぱいです。岩船寺から浄瑠璃寺の道も歩くそうです。石仏巡りのコースだそうで勧められましたが、この時の私は体力の限界近くでした。無理はできないわと、バスで移動するつもりでした。

 加茂市の当尾の里は低い丘陵の連なる静かな山里です。バスは南下して秋の山里を走り、岩船寺へ。岩船寺は15年ほど前に一人旅で訪れてましたので再訪です。門前にお店が増えたほかは変わっていません。

☆岩船寺

 創立は天平元年(729)、聖武天皇が発願し、僧行基に命じて阿弥陀堂を建立したことが始りと伝えられています。その後も弘法大師や嵯峨天皇の関わりがあり、堂塔伽藍が整備され寺号も「岩船寺」として発展しました。最盛期には29の坊舎を有していたのですが、承久の乱(1221)の兵火により堂塔の大部分を失い、その後も再建しては兵火に遭うということで荒廃しました。江戸時代の徳川家の寄進による修復や昭和63年の本堂の再建により現在に至っています。静寂な境内には四季を通じて多くの花が咲き誇る「花の寺」としても有名です。

↓山門

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 まずはここの貴重な仏像たちの収蔵されている本堂へ。撮影は禁止ですので、パンフレットからスキャンしましたが、少々歪んでしまいました。

↓お目当ての十一面観音立像(左)と普賢菩薩騎象像(右)

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 十一面観音は鎌倉時代の製作。観音さまの装飾、光背の唐草文様や台座なども写実的で精巧な彫です。白象に乗る普賢菩薩さまは平安時代に作られた重要文化財で、もとは三重塔に収められていました。

↓三重塔(室町時代)重要文化財  内部の壁画は平成15年に復元されたもの。

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↓御朱印

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 十一面観音さまのパワーでしょうか、お陰様で疲労もずいぶん回復しました。看板の浄瑠璃寺まで2Kの表示を見て歩くことにしました。この散策コースは石仏の点在する道で、一緒に看板を見ていた60代くらいのご夫婦も歩いてみよう~と、先に行かれました。私もつられて後ろから歩くことにしました。

↓山道に入る前の集落に猫が道路の真ん中に寝そべっていました。

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↓ 何か頂戴!とねだるので、お昼に余った柿の葉寿司の鮭を上げたり遊んでいるうちに、前を歩いていたご夫婦が見えなくなって・・・

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↓急に歩くことに決めたので、地図の手持ちもありませんから、あわてて追いかけました。

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↓途中に石仏ありの表示があり

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↓急な階段の下に「不動明王」の石仏

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↓また少し歩きました。さきほどと同じような階段が見えたのですが、上り下りがきついのでパスしたのです。ここから降りると近道できたようです。

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↓ 先ほどの標識を見誤ったので、行けども行けども山道で浄瑠璃への道しるべがありません。「お~い!」北海道と違って熊はいないと思うけれど、蛇か猪でも出そう・・・。雨だったらぬかるんで悲惨でしたが、お天気が良かったのは不幸中の幸い。そのうち山道から抜け出て、見晴らしの良いところに。でも山ばかり・・・。

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↓ ようやく下の道にでました。道端に小さな石仏。でも最後の標識から1K以上は歩いたのに、浄瑠璃寺まであと2Kとあり目が点!

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↓ でも道端に瓢箪のなる畑が見えてきて、人里近いと安堵。

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↓そして大きな石仏のあるところに出ました。やれやれと水を飲んだりひと休みしていましたら、バスで一緒だった女性がひよこっと上の方から現れました!彼女は私たちの下り方向の安易な道でない山道の方向に行ったはずですが・・・。二人でどこを通ったのか、地図を見ても良くわかりません。私が遠回りをしたのは確かでしたが・・・不思議。そんな戸惑う私たちをみて微笑む「笑い仏」さま。写真では左の仏様が隠れてしまいましたが、阿弥陀三尊像(1299)です。

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ま、とにかく歩きましょう。この後は迷ったら困るので二人で歩きました。秋の日は早くも落ちてきて寒くなってきました。

↓畑や人家の見える里に下りると道角に「からすの壺2尊」(1343)と呼ばれる石仏が2体。「山中で迷子にならずに済みました。ありがとうございます」とお参り。正面は阿弥陀如来坐像と左側面に地蔵菩薩立像が彫られています。

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↓浄瑠璃寺近くの「藪の中の三尊」。右から十一面観音(長谷寺式)、地蔵菩薩、左の阿弥陀如来坐像は銘文によると1262の製作ですが、天平のお顔立ち。当尾の石仏の中では最古とのこと。藪の中といっても浄瑠璃寺近くの車道に面していますので、車での観光客も立ち寄っています。15年前にタクシーの運転手さんが案内してくれたのも多分ここだったのでしょう。忘却の彼方・・・。

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 そして、浄瑠璃寺に着きましたが予定より30分は遅れてます。奈良に戻るバスは1時間後の出発なので、急いで境内へ。同行していただいた彼女はここから加茂に戻り、京都に出るとのことでお別れ。歩くのが遅い私に合わせてくれたり、飾り気のないさっぱりしたなかに優しさを秘めた方でした。今回の私の旅の天使です~♪

↓浄瑠璃寺山門

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ここも再訪です。秘仏の「吉祥天女像」の開扉に合わせて15年前の秋に岩船寺と合わせて来ていました。懐かしい~。

☆浄瑠璃寺

 創建は1047年平安時代で、このとき本尊の薬師如来も製作されています。九体阿弥陀堂が建立されたのは1107年でした。その後、庭園の整備、本堂の移築と続き1178年に三重塔を京都から移築。秘仏のの吉祥天像が安置されたのは1212年の鎌倉時代のことです。寺名は創建のご本尊薬師仏の浄土である浄瑠璃世界からつけられました。

↓秘仏の吉祥天像(絵葉書)

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↓九体阿弥陀如来像(国宝)藤原時代の中央に座す阿弥陀如来中尊像の光背(部分)。千仏を背景に飛天の姿に魅かれました(絵葉書)

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 他にも秘仏になっている浄瑠璃寺創建当時の薬師如来像や大日如来像など、多くの優れた仏像の宝庫としても、境内の静寂美でも知られる名寺です。

↓三重塔(国宝)藤原時代  ここに奉じられている秘仏の薬師如来は明日が開扉とのこと。一日違いで見逃し・・・。

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↓九体阿弥陀堂(国宝)藤原時代   太陽の沈む西方浄土へ迎えてくれる阿弥陀仏を西に向かって拝めるように東向きにし、前に浄土の池をおき、その対岸から彼岸に来迎仏を拝ませる形にしたもの。

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 ↓池の畔の石灯籠から九体阿弥陀堂がみえます。お賽銭も写ってしまいました。

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↓御朱印

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 奈良行きのバスでホテルに戻りました。今回も友人のひろ子さんと同じ日に奈良に来ることになり、夕食を「温石」でご一緒しました。奈良の地酒「春鹿」で今年も正倉院展に来れましたと乾杯!カウンターでおまかせのコース料理をいただきました。全部カメラに収めたつもりでしたが、汁物とご飯ものが抜けたようですね?

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 相変わらず美味しい和食におかみさんや隣の席の方たちとも楽しくおしゃべり。奈良がすっかりおお気に入り&お馴染みになりました。南都の古寺巡りはまだまだ続きそう・・・だったらいいなぁ~と祈りつつホテルに戻りました。今日の古寺巡りは苦行続きでしたが、明日は福井の孫たちに会いに行く楽々旅です。杞憂していた腰も痛みも出なくて、安堵しつつ眠りにつきました。


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十一面観音巡りの旅(17)秋の南山城 [2014秋の京都(三井寺・青蓮院・相国寺]

11/7(金)

 この日は今春訪れた南山城の観音寺に続いて海住山寺へ行きました。奈良と京都の境を流れる木津川に沿っていくつかの十一面観音像のある古寺が点在しています。海住山寺のHPから「幻の都 恭仁京と名宝加茂の三塔を巡る観光」という優れもののページを発見。バスの時間表などもありとても参考になりました。モデルコースとは反対に海住山寺から南下して岩船寺と浄瑠璃寺の道をとりました。海住山寺は登りがある難所でしたから、先に行ったのは正解でした。

 朝食を遅めに済ませ出発。JR奈良9:47→加茂10:03に乗車。加茂駅から海住山寺入口まではコミュニティバスが出ます。加茂駅発10:20→海住山寺口10:30。ところがバスといっても小さなバンで8人が定員なのです。この日は土曜日ということもあって、丁度私が8人目。数名取り残されお気の毒でした。でも、後から分かったことですがが、間もなく来たタクシーに分乗されて、無事(というより、歩かずに)海住山寺へ直行されたそうです。バスは小さいはずで、川べりの土手の道やら村の細い道をくねくね走り、コスモスの咲き乱れる恭仁京跡地に独り立っていた若い女性を定員オーバーながら乗せてあげて、まもなく海住山寺入口に着きました。

↓ここから山道を1K以上も歩かなければなりません。

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 ↓瓶原(みかのはら)を見下ろす海住山の中腹まで30分くらい。

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↓ようやく山門が見えてきましたが・・・ぬか喜び。まだ100mほど先でした。

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↓上の山門の反対側

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↓道路わきに石仏…と思ってよく見ると「町石」と書かれた標が立っています。「町石ちょういし」とは寺院の参道に1町(約108M)ごとに立てられた石の道標とのこと。下は最初の町石で、阿弥陀坐像の浮彫。

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↓参道の石段下にようやく到着。

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↓かなり急な石段を最後の力を振り絞って登りました。大門をくぐると伽藍の並ぶ境内は目の前。

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↓ やまももの巨木のある境内から大門の方向

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☆海住山寺 かいじゅうせんじ

 東大寺大仏建立を発願した聖武天皇が天平7年(735)に良弁僧正に命じて一宇を建てさせ、十一面観音菩薩を安置し「藤尾山観音寺」と名づけたのが始りだと伝えられています。その後1137年にはほとんどの伽藍を焼失し、現在の堂塔は鎌倉時代以降の再建。

↓五重塔(国宝 鎌倉時代) 初層内陣扉絵の特別拝観のため紅白の幕で囲っていました。「扉絵」も国宝で、観音開きの扉は4方とも開けられ、各一体の立像(梵天、帝釈天など)が描かれています。カメラ禁止。

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↓本堂に安置された本尊の十一面観音立像。(重要文化財、平安時代)木造・素地 167.9cm。

がっしりした肩の上に大きな頭部が乗り、尖った眉や秀でた鼻梁という硬質な感じがする彫。胸部の瓔珞もつけず、飾り気なしの素朴な力強いお姿です。実際の製作された年代より古い上代のイメージ。一方ではいささか重苦しさも覚えました。

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 ↓海住山寺にはもう一体の十一面観音立像がありますが、現在は奈良国立博物館に委託されています。こちらのほうが像高45.5cmと小ぶりです。

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↓本坊の美しい庭園(江戸時代)

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↓御朱印もいただいて

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 バスの時間に合わせて帰ります。

↓山門近くの細い山道(ハイキングコース)に入って、石仏をカメラに収めました。摩耗しているので鮮明には写りませんでしたが、打ち捨てられた風情の石仏たちが心に残りました。

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 バス停近くの道端で奈良駅で購入してきた柿の葉寿司の昼食。まもなくやってきたコミュニティバスで加茂駅に戻りました。海住山寺口12:46→加茂駅西口12:56/加茂駅東口13:16→岩船寺13:32と乗り換えもスムーズでした。

続きます~。


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十一面観音巡りの旅(16)秋の大和路 [2014秋の京都(三井寺・青蓮院・相国寺]

~続きです。

 ☆「第66回正倉院展」 10/24~11/12 

 今年は天皇皇后陛下傘寿記念とサブタイトルがついています。それだけに出品された収蔵物の数々は名品揃いです。今回も十一面観音の秘仏公開の時期にあわせて来館できました。昨年も夕方に訪れ、並ばずに済みました。今回もチケットはネットで手配したので、スムーズに入館できました。

 正倉院の宝物の特徴は(1)国際性に富む、(2)豊富な素材と多彩な工芸技術、(3)保存状態が良い、(4)芸術性が高いということです。

 ↓「伎楽面・崑崙」 絵葉書

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 崑崙という名前が2007年に訪れた中国の崑崙山脈を想い出ださせます。でも解説には崑崙は中国では南方の黒人を指したらしいとのことで、山脈とは何の関係もなさそうです。西域シルクロードから伝来したものを手本に752年の大仏開眼会用に作られたものではないでしょうか。崑崙面はほかの面に比べると一回り大きく、見開いた両目、獣形の耳、牙をむき出した怪異な相貌です。この崑崙を演じた人物の楽舞用の下着やくつしたにそれらを包んでいた風呂敷など。今は途絶えてしまった伎楽のいくつかの伎楽面も並んでいました。

↓ 「桑木阮咸 くわのきげんかん」

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 円形の胴を持つ4元の弦楽器。蘇芳で染められた木部に中央に円形に描かれた八弁の赤い花と緑の竹や松を背景に囲碁を楽しむ3人の高士が優雅。東大寺で使われていたもの。

 ↓「衲御礼履 のうのごらいり」

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 儀式用の靴。外面は赤く染めた牛革、内面は白い鹿革が用いられています。花形の飾りは銀製鍍金、花芯は真珠、その他も瑠璃や水晶をはめた豪華なもの。752年の大仏開眼会に聖武天皇が履かれたものと推察されています。

 ↓「鳥毛立女屏風 とりげりつじょのびょうぶ」 

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鳥毛貼りの屏風4扇。各扇に樹下の一人の女性が描かれています。全部で6扇ありすべて現存しています。そのうちの2.4.5.6の4扇が出品されていました。それぞれ縦136横56センチの大きさに豊麗な女性像に背景は奇怪な樹木。唐代の美人(楊貴妃に代表される)を踏襲したと考えられる女性は眉太く赤い唇の天平美人たち。女性の着衣や樹木、鳥などの表面は宝物の名称の由来となった鳥毛を張り付けて仕上げられています。羽毛は日本産のヤマドリのもの。752~756までに制作。追記:10月中旬に上京して見に行った東京国立博物館の「国宝展」にも1.3の2扇出品されていました。↓は第四扇の部分

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 ↓「白石鎮子 はくせきちんず」 (午、未の大理石のレリーフ)

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 長方形(21.4×33.8)の区画の中に十二支の午うまと未ひつじが絡み合う姿で表され、周囲は雲気文。四神と十二支を各面に2体ずつ表した計八面のレリーフのひとつ。大理石のレリーフは日本では珍しいと思ったら、中国の隋から初唐期に製作され、伝わったものだそうです。

↓「鳥獣花背方鏡 ちょうじゅうかはいのほうきょう」

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 白銅鋳製の方鏡。鏡面も光沢を残し、背面の装飾も生き生きとした文様表現が見事です。中央にうずくまる獅子型の鈕を置き、葡萄唐草文様に狻猊(さんげい)と呼ばれる西アジア起源の獅子に蝶や蜂などの昆虫を加え、外縁帯はパルメット文。葡萄の実の立体感も素晴らしい。唐からの渡来品。同じく円形の「鳥獣花背円鏡 ちょうじゅうかはいのえんきょう」 一般に「海獣葡萄鏡」と呼ばれている円鏡。大きくうねる葡萄唐草文のなかに疾駆する獣や佇む鳥が華やか。

他は黒漆塗りの豪華な献物箱や花喰鳥を描いた献物用の台、中近東から伝わったとされるガラスの水差しなど。正倉院に伝わる宝物の中でも白眉とされる品々に目がくらみそうになりながら鑑賞。古文書は読めないしで素通りしましたが、ほぼ2時間…疲れました。

 ↓抹茶と和菓子をいただきながらお庭を眺めてひと休み

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 ↓バス停からの奈良国立博物館。 すぐ近くまで現れた鹿、暗闇で目が光っています。

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 ホテル内のレストランでビュッフェの夕食。お隣のテーブルに一人旅の40代くらいの横浜の女性が座りました。やはり正倉院展に合わせて1泊で来られたとか、無口な方であまり話も弾みませんでした。ここ奈良日航ホテルには大きなお風呂もありますが、浴衣はないですし、入浴後洋服に着替えるのも面倒なので、部屋のバスタブで温まり、就寝。


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十一面観音巡りの旅(15)秋の大和路 [2014秋の京都(三井寺・青蓮院・相国寺]

11/5(水) 千歳11:50→関空14:05(JAL)/14:35→大阪難波15:13(南海)

 大阪国立文楽劇場の夜の部公演が 16:00開演なのでなるべく劇場に近いホテルと、ちょっぴり贅沢な「スイスホテル南海大阪」に1泊。改札を出たところからホテルへ行けるのですが、チェックインした後部屋に入ったりして、開幕に間に合わなくなり結局タクシーで劇場へ。開幕ベルが鳴る中を走って着席。今春の人間国宝竹本住大夫さんの引退公演は盛況でしたが、この日はガラ空き、60%ほどしか席は埋まっていません。7月には同じく人間国宝の竹本源大夫さん(82歳)も引退されましたし、このまま低迷が続くのでしょうか。。。伝統芸能の文楽の素晴らしさに私自身も最近になって目覚めたばかりですから、エラそうなことは言えませんが、なるべく機会をつくって通いたいと思っています。この日の演目は「奥州安達ヶ原」の4幕もの。悪魔のような老女「岩手」の登場する段はあまり上演されないそうですが、やはり残酷な場面。衝撃的でした。各地に伝わる鬼婆伝説の中でも能の「安達原」(黒塚)を再現したものとか。己の信じるもの、忠誠心(背景が封建社会)、欲望のために大なり小なり人間は狂い、悲劇が生まれるのです。幼いころの思い出ですが、隣家のおばさんがお話上手で、鬼婆伝説をよく聞かせてくれました。小さい子に怖い話は今はご法度でしょうね。

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 芝居の途中ではあまり空腹感はなく、ホテルに戻る前に隣の高島屋でベトナム料理の店を見つけ夜食(フォー、生春巻き、ビール)。

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↓部屋からの夜景

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11/6(木)

 「スイスホテル南海大阪」は外国人の宿泊者が多く、まるで外国のホテルにいるような雰囲気。

↓ホテルの朝ごはん。ブッフェ形式、コーヒーは自動のうえカップの受け皿なし。

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 午前中はチェックアウトまで部屋で読書やネットで調べものの後、黒門市場まで散策。

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 「まぐろや黒銀」の店先カウンターで鮪丼をいただきました。美味しかったけれど私には量が多すぎ。そのうえカウンターのおじさんが2切れサービスしてくれて、「う~ん」満腹・・・。

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 ホテルに戻り、預けた荷物を受け取り、近鉄電車で次の宿泊地奈良に向かいました。循環バスでJR奈良駅に移動。駅に隣接する「ホテル日航奈良」に2泊。 荷物を部屋に入れて、早速外出しました。駅前からバスに乗り大安寺へ。昨年の春から始めた十一面観音巡りのうち「大和路秀麗八十八面観音巡礼」の最後の観音様のお参りです。

 「大安寺」バス停から1Kくらい歩きます。参道の看板が見えました。昔はここから大安寺の敷地だったのです。

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 その大寺も今はひっそり、訪れる人もまばらな古寺です。10/1~11/30まで本尊の「十一面観音立像」が特別公開されています。

☆大安寺

 代々の天皇ゆかりの大寺として繁栄した大安寺は、聖徳太子が創建した熊凝精舎が始りと伝えられています。710年に聖武天皇が平城遷都の折に大安寺も遷され、大規模な造営が始まりました。大和国出身の道慈が長安に学び、唐の西明寺を模して大安寺を作ったと言われています。広大な寺域には金堂・講堂を中心とする主要伽藍と僧坊が建ち並び、その中に887人もの僧侶が居住して勉学修行に励みました。829年には真言密教を伝えた空海も一時ここで別当と補され、活躍。しかし度重なる火災や平安遷都により、次第に衰退してゆきました。秀吉の時代の1596年の大地震で殆どの伽藍が壊滅。再建が難しくなり、明治時代になって個人の私財によって小堂と庫裏一棟を建立。昭和になってから旧境内288.000㎡が「史跡大安寺旧境内」として史跡指定されました。

↓南都七大寺の大安寺。ガン封じのお寺としても知られています。

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↓ 大安寺の十一面観音立像(秘仏) 国重要文化財(奈良時代)像高190.5

カメラ禁止の注意書きがなかったので一枚だけ撮らせていただきました。上にたれた幕が邪魔で下にしゃがまなければ、お顔が見えません。左手に宝瓶を執り、右手は垂れて与願の印を結ぶお姿。写真よりも優美な観音さま。胸部の瓔珞は精巧華麗に刻み出され、体部と柔らかい衣の流れ。全身に自然体なオーラが漂う表現が素晴らしい。

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 御朱印をいただいて、元の道を戻り奈良駅へ。バスを乗り換えて奈良国立博物館に向かいました。

 続きます~

 

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