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2015春(長崎・平戸カトリック教会群) ブログトップ
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(6)長崎~札幌 [2015春(長崎・平戸カトリック教会群)]

5/10(日)

 今日は飛行機の出発まで、長崎市内の3つの教会を訪れます。朝食を済ませチェックアウト、バスと徒歩でグラバー邸へのエスカレーターの乗り場へ。丘の上から大浦天主堂まで降りて見学する方が楽なのです。20年前くらいに来たときはオランダ坂を登り、かなり歩いた記憶があります。あのころとはかなり変わって、綺麗に整備され、クルーズ船から寄港した中国人のツアー客も大挙して押し寄せてました。

↓グラバー邸のローズ・ガーデンから港に停泊中の大型客船が見えました。船名にサファイア・プリンセスとあります。なんと!10年前に夫とオセアニアク・ルーズで乗った船でした。

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↓グラバー邸

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↓三浦環のマダムバタフライ像

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↓ ようやく大浦天主堂に到着。

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☆大浦天主堂  「日本二十六聖殉教者」に捧げられた教会は日本最古の現存するキリスト教建築物として国宝に指定されています。1864年に完成した教会は木造のリブ・ヴォールトを戴く三廊式の構成で、ゴシック様式の身廊と新古典主義とバロック様式の混ざり合った正面でしたが、1879年には信者の増加により五廊式に増築、正面もゴシック様式に統一されました。

↓かなり階段を登って、ようやく玄関廊に辿り着きましたが

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↓内部は写真は禁止なので入り口付近から

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 やはり16世紀のイエズス会の宣教からの長い歴史を感じさせる由緒ある大教会です。20年ぶりの再訪なのですが、ほとんど何も覚えてないのに愕然。教会までの長い階段も苦になった記憶もなく…若かったわ。

↓教会裏のグラバー園への道と隣接する建物は司教館?(見学不可)

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↓1865年の長崎での「信徒発見」から今年は150周年です。

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 集合時間まで枇杷の生ジュースでお茶タイム。再びバスに乗り伊王島へ。昨日訪れた神ノ島とは長崎湾を挟んで対岸に浮かぶ島です。

↓女神大橋の南側を走り、伊王大橋を渡ると、まもなく

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↓馬込教会が見えてきました。バスを降り坂道を登ります。健脚の方たちはすでに教会前に到達してます。

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↓教会前の坂道から海が見えます。今日も快晴で暑いくらいの陽気です。

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↓花畑にゼラニウムがすでに咲いていました。北海道では夏に、しかも鉢物でしか見たことはありません。

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☆馬込教会   伊王島は昔は離れ島でしたから、潜伏キリシタンの里でした。禁教令が解除され、明治12年に木造教会が建てられましたが、昭和50年新教会建立に伴い、古い教会は現在愛知県犬山市の明治村に移転復元されています。明治村は未訪問なので、足が丈夫なうちに(かなり歩きそう)行ってみたいと思っています。現在の建物はコンクリート造りのゴシック様式。

↓正面/白い外壁にココア色のアクセント。尖頭形アーチの窓や開口部が並んでいます。大小さまざまな尖塔が並び、高台に建つ立地ということもあり、聳えているという印象が強いです。

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↓ 内部/三廊式、リヴ・ボールトの天井の青が空のよう。大アーケードには扇風機がズラリと設置されています。

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↓側廊

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↓ステンド・グラスもシック。ロマネスクにこだわらなければ(笑)鄙にはまれなと言っていいほど、洗練された聖堂です。

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↓玄関廊から

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↓裏手の高台からの眺めも素晴らしい~!

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↓夏の花のグラジオラスも野生で5月に咲いています。

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↓坂道を降りてバスに乗る前にパチリ。きばなコスモスに似た花の群生の向こうに湾と対岸の島。

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 そして、今回の旅では最後になる浦上教会へ。

☆浦上教会   旧浦上天主堂は無原罪の聖母に捧げられた教会として明治28年に着工され、大正4年に竣工。レンガ造りのロマネスク様式の大教会でしたが、第二次大戦時に長崎に落とされた原爆により崩壊しました。現在の教会は昭和34年に鉄筋コンクリートで再建され、外壁は後に煉瓦張りになりました。

↓正面/ロマネスク様式のファサード。半円アーチの中央扉口。

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↓飾りコーニスに乙女たちのモディリオン

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↓扉口左に「信徒発見150周年記念」の浮彫レリーフ

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↓教会前左側に小さなコーナーがあり、原爆投下後に残った像などが展示されています。

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↓倒壊を免れた聖シチリア像

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↓内部は撮影禁止でしたが、新聞のパネルはOKでした。

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 決して風化させてはいけないし、戦争につながるような安保法案の無理押しはもってのほかです。戦後70年の2015年に長崎に来たことの意味を、人の生き方を改めて問われたような気持になりました。

↓ 最後に側面からの教会も眺めて、お別れ。。。

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 ランチは土産物店の2階で中華料理。長崎の中華はこんなものではないでしょうという味に苦虫。私たちのほかはお客さんも見当たらず・・・。味もここに限らず全般に、昨年の五島列島に比べると良くなくてがっかりでした。出発まで近くの平和公園まで散策。途中のカステラ屋さんでお土産を購入しました。早めに長崎空港に着きましたので、最後のお土産漁り(からすみや明太子など)と五島列島もご一緒した方たちと最後のお喋りを楽しんで、搭乗。羽田乗り換えで札幌へ。我が家に着いたのは10時半ごろ。長崎のお土産ににっこりの夫と娘でした。(終)

 長崎16:30→羽田18:15/19:30→札幌21:00


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(5-2)佐世保~長崎 [2015春(長崎・平戸カトリック教会群)]

~続きです。

 大野教会から国道沿いに南下すること3Kほどで、出津(しつ)教会です。ここは長崎市内からも比較的近いこともあって、急にツーリストが多くなりました。

☆出津教会   出津も禁教時代には時の大村藩による迫害があり、多くの「潜伏キリシタン」が居ました。禁教が解けた明治15年、当時の司祭だったド・ロ神父の設計と指導により、信者たちと共に完成させた教会が残っています。後に信者が増えたためド・ロ神父により2度増築されています。海岸からも近い山間部に建っています。外壁は煉瓦、内部は木造。

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↓全景/上の道路から撮ったものですが、正面切り妻屋根の上に乗った方形の鐘塔がやたら大きく見え、バランスが悪いです。

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↓側面/後陣に長く伸びて、扉口が2つずつ。

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↓後背部/雨が降ったのでなおさら白い壁が灰色に

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 内部はあまり記憶に残っていませんが、撮影禁止だったようです。資料によると三廊式で、天井は折り上げ式、窓の上部は半円アーチですが、特にロマネスク様式を意識したものではないとのこと。

↓ 近くには「ド・ロ神父記念館」があり見学しました。

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↓ここら先はカメラ禁止です。

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 ド・ロ神父はフランス・ノルマンディー地方のバイユー(タペスリーで有名な)の近くの貴族の家に生まれバイユーの神学校を卒業後、パリ外国宣教会に入会。1868年28歳で長崎に赴任しました。石版印刷の技術者でもあった神父は74歳で亡くなるまでの46年間を日本で宣教と社会福祉、産業開発のために力を尽くしました。ここで展示された遺品をを見て驚くのはその深い人間愛と共に当時の日本では考えられない産業水準の高さです。自身の財産をつぎ込んで、村人たちの貧困を救うために建設した授産、福祉施設、マカロニ工場など。今もって、ド・ロ神父の偉業、遺徳を慕う外海の人々の心がこもった記念館です。この記念館は明治18年に建てられた鰯網工場を利用したものです。

↓そして、隣接する「旧出津救助院」(明治16年竣工)です。

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↓このころから雨もすっかり上がり、青空も。出津教会の周りは散歩道になっています。

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↓そして、バスで「道の駅夕陽丘そとめ」へ行きランチ。遠くに先ほど訪れた出津教会が見えました。

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道の駅の近くに遠藤周作文学館があり、「沈黙」をこの旅の予習として位置づけしてこられた方たちは食後走るようにして見学へ。私は五島列島へ行ったとき、「読まなきゃー」と思いつつ、すっかり忘却の彼方でした(汗)。文学館へ行かない不真面目組とゆったりコーヒーを飲んでお茶タイム&ショッピング。

 そして、出津からさらに南東に3Kほどの黒崎の里へ。教会へは後陣方向からのアプローチ。

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☆黒崎教会   黒崎も外海の潜伏キリシタンの里でした。禁教令が廃止される前の「信徒発見」以降からの再宣教の活動も早く、明治3年には仮教会ができ、明治30年にはド・ロ神父の指導の下で教会の建設の機運はあったのですが、資金が不足して工事は中断。大正9年にようやく竣工の運びとなりました。棟梁は川原忠蔵と記録されています。 

↓正面/切妻の単層で、大きな玄関ポーチが付随。煉瓦造り。白い上部のアクセントをつけた控え壁が平板な印象のファサードを飾っています。

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↓内部/三廊式、木造。天井のリブ・ヴォールトが美しい半円を描き、色彩感の統一もあって、スタイリッシュな空間。ただし、大アーケードに並ぶ照明器具がいまいちマッチしていないような・・・。

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ド・ロ神父の故郷ノルマンディーのロマネスク教会に似たイメージと言われています。2006年に神父の生家に近いCeanを中心にいくつかまわったことがあります。↓参考にZodiaque の写真(CeanのLA TRINITEトリニテ教会)

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↓パイプオルガンが設置されています

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↓明るいステンドグラスに祈るマリア様の像

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↓側廊

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↓側面と後陣外観/煉瓦と水色の窓の配色が新鮮。正面と同じ控え壁が窓と交互に並んで素敵です。

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大野教会に続いてド・ロ神父の想いの詰まった教会を後に・・・。

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 次は昨年秋に長崎と五島間のフェリーからも眺められた神ノ島へ向かいました。長崎港に近く、本土とは1960年の埋め立てで地続きになっています。

☆神ノ島教会  禁教時代には離れ小島だったので、多くのキリシタンが潜伏していました。禁教令が解除された後明治9年に仮教会が設けられ、明治14年に建てられたラゲ神父の木造教会、そして現在の教会は煉瓦造りで、デュラン神父により明治30年に完成しました。

↓正面/壁全体が白く塗られています。中央ポーチ両脇の控え壁が上の鐘塔へ伸びています。その上昇感と切妻屋根の傾斜との美しいバランスが印象的です。

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ファサードは西向きですが、北裏に山が迫っています。

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↓内部/三廊式、木目を生かした白と茶色のシックな塗装、おおらかな半円のリブ・ヴォールトの天井

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↓大アーケードに並ぶ束ね柱も高低差をつけ、照明器具も、半円アーチトップから吊るされて、これならあまり違和感もなく

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↓ シックなインテリアにカラフルでモダンな意匠のステンド・グラス

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↓海の方向にあるステンドグラスから、丸窓に教会前の十字架がはまるようになっています。

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↓玄関ポーチの天井に燕の巣。ここに限らず低空で飛んでいる燕が多いのも道産子の私には珍しい風景でした。

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↓裏山に少し登ると教会と長崎の湾の素晴らしい眺めが!

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↓教会前からの眺め。長崎女神大橋が左に見えます。

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↓ハーバーの近くに降りて教会を振り返ると

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↓大橋の名前にも付いた女神=マリア像

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 近くの保育園から子供たちの賑やかな声(母親のお迎えタイムらしい)、浜辺で遊ぶ小学生たちの姿、ここは長崎のベットタウンなのでしょう。昨年訪れた過疎に悩む五島列島をいやでも思い出してしまいました。

 長崎のホテルは新地中華街にあり、周囲は食べ物屋さんが軒を並べています。夕食はフリーなのでせっかくだから卓袱料理を食べてみたいと思って、持参のi Padで検索したのですが、めぼしいところは前日まで予約が必要とのことで、諦めました。徒歩で思案橋方面に歩き、食べログでチョイスした海鮮&寿司のお店へ。ご一緒していただいた方と長崎の味を堪能しました。

↓葡萄海老のお造り(まだ動いていました!)

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↓からすみ

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↓てんぷら(穴子と野菜)

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↓おこぜのから揚げ

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〆にお寿司を3貫ほどいただいて、長崎グルメは終了。

↓ホテルの部屋はシングルですが、ベットも大きくこんな感じ。

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(5-1)佐世保~長崎 [2015春(長崎・平戸カトリック教会群)]

5/9(土)

 今日は外海(そとめ)の教会を幾つか訪れるのですが、あいにくの雨でがっかり。↓ホテルから見える佐世保駅(中央奥)とブッフェの朝食

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 ホテルをチェックアウトして、まずは西彼杵半島北部の西海上に浮かぶ大島へ。大島大橋で本土と結ばれています。外海といわれる西彼杵半島の西岸一帯は16世紀末からキリシタンの本拠地で、出津(しつ)、黒崎地区はほとんど全戸カトリックだそうです。

☆太田尾教会 大島の太田尾地区は「隠れキリシタンの里」として知られていました。現在の教会は昭和7年に建立された木造建築です。

↓正面/切妻屋根、中央の大きく張り出したポーチのほかに左右に小さな玄関、壁の尖頭アーチの小窓が面白いデザイン。

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↓内部/単廊式、吊り天井とその天井から続くリブ・ヴォールトの連続、大きな傘を広げたような空間がユニーク。グレーシュな白がモダンな中に爽やかな印象を与え、両壁に並ぶゴシック・スタイルのステンドグラス窓もリズミカル。

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 雨が降っていたからでしょうか、側面外観の写真を撮り忘れたようです。次は本島に戻って20Kほど南下し、角力灘(すもうなだ)を臨む海岸沿いから傾斜地にある大野の里へ入りました。大型バスは入れないので、国道から坂道を登ります(20~30分)。

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 ↓ ド・ロ神父が信者と共に積んだ石壁の教会は林のなかにひっそりと佇んで・・・徐々に見えてきます。ナチュラルなお花もアクセントの素晴らしいアプローチ!

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☆大野教会   フランス人のド・ロ神父によって1893年に建てられた小さな巡回教会。創建当時は長方形の身廊の奥に祭壇があるだけでした。現在の教会は後任のブルトン神父によって司祭室が増築されています。北側に会堂部、南側に司祭室部。

↓北西側から 手前左が入口ですが内部は見学不可です。会堂部の3面は地元産の玄武岩割り石と漆喰モルタルで固めた特殊な壁面(ド・ロ壁)。その上に洋式のキングポット(真束しんづか)を持つ木造小屋根を架けたもの。

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↓白壁のところからが通り抜けになった前廊部。軒先にも施された装飾が見えました。

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↓「ド・ロ壁」と呼ばれる独特の荒い石積み

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↓山側側面/石壁と木の開口部分が美しく調和した出窓の表情。半円アーチの上部はここだけ煉瓦積。

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↓奥の出っ張った部分は増築された司祭室です。

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↓入口の扉に小さな窓があり、そこからガラス越しに撮りました。民家のような和風の棹縁天井と板張りの床が簡素な趣。

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↓外の緑がガラス窓に反射しましたが、内部です。

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↓ 後背部に回って

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↓大野教会の周りには雨に濡れてしっとり、可憐に咲く花たち。

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 ド・ロ神父の想いがいっぱい詰まった心に残る教会でした。

↓つづら折りの坂道から海を眺め、国道から再びバスに乗り、次の目的地に向かいました。 

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続きます~。 


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(4-2)佐世保 [2015春(長崎・平戸カトリック教会群)]

~続きです。

 浅子教会を後に佐世保の景勝地、弓張岳展望台へ。↓入口に野良猫?それにしては太ってます。観光客は餌もくれないし、フンと見向きもしません。

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↓野口雨情の詩、わらべ歌でしょうか?望むのは矢も弦も要らない世界。。。

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↓佐世保港

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↓九十九島の眺め

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夕暮れに近くなり、ホテル近くの三浦町教会へ向かいました

☆三浦町教会   佐世保駅近くの高台に建つゴシック様式の教会。明治期に海軍が置かれ、造船業も発展する佐世保の街に信者が集まり、明治30年に初めての教会が設立。現在の教会は昭和6年に完成した鉄筋コンクリート造りのもの。第二次大戦では軍港のある佐世保の街は大きな被害を受けたのですが、教会は無事でした。

↓正面/ゴシックの尖塔が大小3つ並ぶ堂々たる姿。大通りを渡ったところからでないと全体が写せません。

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↓ 本日最後の力を振り絞って階段を登りました。

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↓内部/三廊式、張り巡らされた尖頭アーチに囲まれた空間。緊張感のなかに信仰心が試されるかのような祈りの場。

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 教会から駅に向かって200mほどでホテルです。↓夕食はホテル内の和食レストランで。

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ビジネスホテルのよいところはコインランドリーが設置されていることです。汚れ物を持って歩くのが嫌なので、せめて3日に一度は手洗いでなくお洗濯できるのは有難いです。食事の合間に乾燥もできてパーフェクト!いよいよ明日は外海から最終地の長崎へ向かいます。


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(4-1)佐世保 [2015春(長崎・平戸カトリック教会群)]

5/8(金)

 佐世保駅前のリソルホテルは福岡で泊まったばかりのホテルと同じ系列のビジネス・ホテルです。ブッフェ朝ごはんも美味しくいただきました。佐世保は20年以上も前に山の手のほうの旅館に泊まって、有田や九十九島などを巡った懐かしいところです。今日はその時には少しの関心もなかった教会建築を佐世保から黒島へ渡り見学するのです。黒島は九十九島のなかの一番大きな島だそうで、相浦港からフェリーで訪れました。

↓相浦港

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↓相浦港を後に

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 ぼんやり海を眺めているうちに黒島に到着(所要50分)

↓港から教会までは徒歩です。1.5Kくらいですが坂道を登るので、30分くらいかかりました。

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↓ ようやく見えてきました

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☆黒島教会  国の重要文化財に指定されている煉瓦造りの教会。かっては「隠れキリシタンの島」と呼ばれ、現在でも島民の9割がカトリック信者です。フランスから着任したマルマン神父の設計と指導のもと信者たちの献金と労働奉仕により1902年(明治35)に完成しました。

↓正面/北向きのファサード。教会前のテラスは狭いので真正面からは撮れません。方形の鐘塔、深いポーチ、一部は島内で焼かれたという煉瓦や黒島で採掘された御影石が使われています。

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↓内部/三廊式で、三層(大アーケード、トリビューン、クリアストーリー)構造の高さのある空間。天井のリブ・ヴォールトや束ね柱の木目は手書きされたものとか。祭壇の床は有田焼のタイルが貼られ、ステンド・グラスも建築当時からのもの。

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↓南側

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↓北側から後陣へ回って

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↓ 半円の後陣の瓦屋根が傘状になって、帽子をかぶってるみたい…いつまでも忘れない姿。

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教会の裏側西方向へ。昼食のための民宿まで少し行くと途中共同墓地に出ます。

↓マルマン神父の墓/フランスから1876年に来日して五島列島などで布教、黒島へは1987年に赴任。15年間黒島で働き、ここで1912年に永眠。金文字の刻まれた立派なお墓です。

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 ランチは数分歩いた民宿で。特に手がかかったお料理ではありませんが、心のこもったお膳、黒島の味を美味しくいただきました。

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 山道を下りフェリー乗り場に戻り、まもなくやってきた船で相浦港へ。港からは対岸になる入り江に建つ浅子教会を訪れました。

☆浅子教会 前は船着き場、背後は浅子岳という地区にある小さな教会です。明治17年頃、黒島から佐世保の造船業などの発展と共に移住してきた信者によって、仮教会が明治25年に建てられました。今の教会は昭和5年に竣工、後に修理された部分もあります。

↓正面/トンガリ屋根、下見板張り、単層の簡素かつ清楚な外観です。

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↓聖マリアの汚れ泣き聖心に捧げられた教会

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↓内部/三廊式、平天井に簡素な折り上げ風なアクセント、上部が楕円形のカーブを描くのが柔らかな印象を強めています。

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↓シンプルな方形祭室の天井にステンドグラスが映って綺麗~。

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↓天井にエアコン、冷暖房完備は珍しい

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↓イオニア風の柱頭彫刻や、天井と梁のコーナーの四つ葉文様もさりげなく可愛いアクセント

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↓カワイイ~!が続きます(笑)

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↓側廊

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↓窓辺に活けられたお花も良い雰囲気

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↓後背部から

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↓教会の左手の大木。樹木に詳しい方も分からなかった謎の樹

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続きます~。


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(3-2)平戸 [2015春(長崎・平戸カトリック教会群)]

~続きです。

☆紐差(ひもさし)教会   古い教会から数えて3代目の現在の教会は1929年に鉄川与助の設計施工によってコンクリート造で完成した大教会です。入口までの大階段が特徴のロマネスク様式の建築。明治中期に木造で建てられた2代目の教会は移築されて、佐賀県の馬渡島に残っています。

↓教会前景/二段構えになった大階段・・・青空に映える白亜の美しい教会に見とれつつ、息をきらせながら、頑張って登りました。

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↓側面/窓の表情が面白い

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↓ 斜面に建てられていますので、階段上の正面入り口は2階になります。

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↓内部/三廊式ですが、奥行きは7つのアーチが並ぶ広大なアーケードの身廊。外部から見た窓には明るいステンドグラスがはめられ、色彩があふれています。上部の丸窓がロマネスク風でいい感じ。天井は幾何学的な装飾の折り上げ形式。好みでいえば交差ヴォールトなのですが・・・。

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 見学が終わり、外階段を下りて行きますと、来るときは気が付かなかった小さな神社がひっそり建っています。和洋を問わず聖なる場所なのでしょう。潜伏キリシタンもお参りしていたのかも・・・。

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 次は紐差から北東へ5Kほどの宝亀教会を訪れました。

↓高台にある宝亀教会からの眺め

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☆宝亀(ほうき)教会   聖ヨセフに捧げられた教会は1898年に献堂。外海からこの地方に移住した潜伏キリストの子孫が、マタラ神父の指導により、建設に労働奉仕。明治初期にみられる洋館風な教会が完成しました。

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↓正面/南東向きのファサードは煉瓦造りのモルタル仕上げ。サーモンピンクに白のアクセント。ポーチや壁面は尖頭アーチが配されたシンメトリーなデザイン。洗練されたというよりお洒落~な(笑)感じ。

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↓ポーチは煉瓦積に白とグリーンの配色

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↓内部/三廊式。ゴシックの尖頭アーチのアーケード。交差リブ・ヴォールトの板張り天井。漆喰壁は信者さんたちが塗ったもの。尖頭アーチに囲まれた窓は掃出しとなっていて、明治の西洋館の雰囲気満点。柱頭のシンプルなデザインも新鮮に眼に映りました。

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↓外観/側面は木造で、両サイドにテラスが設けられています。

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↓ 宝亀教会で一番好きな部分。フランス風のエレガントなテラスです。

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↓後陣はシンプルな方形、横板張り。

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そして、平戸島から離れ、今日最後の田平教会へ。

↓平戸大橋を渡り、2Kほど南へ。昨夜泊まったホテルとは湾を挟んだ向かい側が田平です。田平と言えば日本最西端の鉄道駅のあるところです。一人旅であの駅に降り立ったことを思い出しながら、バスに揺られて・・・。

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☆田平(たびら)教会  明治初期に着任したド・ロ神父たちの尽力により、出津や黒島から信徒たちが開拓移住。明治12年に小さな仮教会を設けたのですが、信者が増えたため大正7年に中田藤吉神父の指導と鉄川与助の設計施工により新教会を建立。日本26聖人に捧げられたレンガ造りの教会です。

↓駐車場のある後背部から

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↓南側面/上部の壁は木の板張り

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↓風格のある南側ポーチ/半円アーチ

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↓正面/西側に向いた三層からなるファサード、方形の鐘塔

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↓西正面ポーチ

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↓内部/三廊式、三層(大アーケード、トリビューン、クリアストーリー)の完成度の高いロマネスクの空間。板張りの内装が日本的な趣を持ち、和洋の美しい混淆にうっとり。鉄川与助の最後の煉瓦造りの教会であり高い評価を得ていますが、残念なことに手前に柵が設けられ、先へ進めませんでした。下の写真はすべて、戸口近くから撮ったものです。

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↓ステンドグラス

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↓北側外観/墓地の方向から

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↓ 田平の天使

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敷地内に「貝殻焼き場」の跡。煉瓦のつなぎ目に使うアマカワを自分たちで持ち寄った貝殻を焼いて造ったそうです。

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↓ 最後に正面の石段から

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 田平から南へ30Kほどの佐世保市へ。2泊するホテルリソル佐世保にチェックインしました。夕食はツアーに含まれていませんので、添乗員さんたちと駅近くの居酒屋で。近辺で獲れるお魚を主体にいろいろ食べましたが・・・安いのが取り柄でした。


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(3-1)平戸~佐世保 [2015春(長崎・平戸カトリック教会群)]

5/7(木)

 昨日は午後からお天気が崩れそうだったのですが、やはり朝から雨になってしまいました。今日は平戸周辺の5つの教会を訪れます。添乗員さんも前回の五島列島の時と同じ男性、参加者も2/3が前回参加されたお仲間とあって、違和感も少なく気軽に行動できたように思えます。

さて、バスはホテルから西へ10Kほどの山野教会へ。平戸の北にある安満岳(標高500m)の中腹に建つ教会です。

☆山野教会  教会を囲んで集落がひっそり並んでいます。最初の住民は幕府の禁教時代には五島に移住したのですが、結局は再移住して平戸島に戻ってきたと言われています。1887年その信者たちがラゲ神父の尽力により最初の仮の教会を建築。現在の教会は1924年に献堂され1981年増改築されています。

↓正面/ファサードは東向き。木造、煉瓦柄の新建材が張られています。小教会の屋根に小さな塔。

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↓ 聖ヨハネに捧げられた教会なので、門の前に聖ヨハネの像が立っています。

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↓新建材の外観に少々気落ちしましたが内部は三廊式で、改築前の姿をとどめています。大きな半円を描くアーチが多用され、おおらかな印象です。

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↓身廊を仕切る列柱に特徴があります。四角面に半円のつけ柱を付け加えています。コリント風の鮮やかに塗られた植物文様が明るさを添えて。

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↓ステンドグラスは半円と長方形のコンビ

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↓後陣と側面

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↓教会の前の坂道を少し下ると、水をたたえた段状の水田(棚田)。その向こうは東シナ海につながる湾。

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 ようやく雨も上がって青空が見えてきました。山野教会からまた西へ走り生月大橋を渡り、生月島へ。バスの窓が着色されているので、ブルーっぽく写ります。

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生月島は外海の隠れキリシタンの里として知られています。戦国時代にはイエズス会宣教師による布教により島民全員が信者だったと言われています。禁教時代には仏教徒のふりをして生き残る道を選んだ「潜伏キリシタン」も多かったようです。しかし、200年もの間宣教師のいない状態が続き、信仰の内容も次第に土着化。それが祈祷文「オラショ」として残っているのです。バスを降りて数百メートル、畑や人家のなかの道はすれ違う車もほとんどなく、のどかな風景でした。

↓路傍に野あざみ

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↓畑の向こうに山田教会が見えてきました。

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↓野菜売りの無人スタンドと動物注意(牛?)の立札

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☆山田教会   1912年に鉄川与助の設計施工によって完成。七つの秘跡/七つの御哀しみの聖母マリアに捧げられた教会です。

↓正面/南東に面した石張りのファサードは昭和45年の増改築で鉄筋コンクリートに変わりました。P1080339.JPG 

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↓内部/半円アーチがロマネスク。木張りの天井も趣がありますが、アーケードの上部のモザイク模様が装飾過多です。「七つの秘跡」を描いたとのことですが、このロマネスクの空間に抽象的な装飾はいかがなものでしょうか・・・。

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↓側面/煉瓦壁の元の建築部分が残っています。手入れの行き届いた小さな花畑。

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↓教会前の庭

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↓遠くに生月大橋が見えました

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 山田教会の近くの「黒瀬の辻」へ。この島で信仰に生きた福者ガスパル西玄可が1609年に殉教した聖地です。「ガスパル様」と信者さんたちから呼ばれ崇められています。中央のパネルには殉教の時の悲痛な様子が刻まれています。

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 バスに戻りさらに北に走り、塩俵の断崖へ。

↓断崖の下は塩俵を積み重ねたようになった絶壁。

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さらにお天気も良くなってきました。再び平戸島に戻り昼食をいただいてから、島の中央に位置する紐差教会へ。

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続きます~。

  


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(2-2)福岡~平戸 [2015春(長崎・平戸カトリック教会群)]

~続きです。

 さて、福岡県の久留米市から一路西へ。140Kほどのドライブで平戸へ向かいました。ランチをどこでいただいたのか全然記憶になく、パンフレットを調べてみました。なんと!昼はついていません。ということは、どこかのドライブインで各自軽食で済ませたものと思います。道の駅は何処も同じような造りなので、余計に記憶に残りません・・・汗。

↓平戸大橋を渡って

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 次第に曇り空が広がる夕刻近くに、平戸の市内に入り、ザビエル記念教会の見学をしました。東シナ海に面した良港を抱えた平戸は歴史的にも重要な貿易の拠点でした。フランシスコ・ザビエルも1550年に鹿児島から上陸し、平戸を訪れています。当時の松浦氏が貿易のため布教をゆるし、平戸島や生月島にも多くの信者ができました。江戸時代の禁教令の後は潜伏したキリシタンによって信仰は受け継がれていきました。

☆平戸ザビエル記念教会  この教会の歴史は比較的新しく、現在の教会は大正2年に仮教会、昭和6年に現在の教会が建てられました。鉄筋コンクリートのゴシック様式。

↓正面/丘の上の階段を登ったところに聳えています。やや北東向き。淡いグリーンと白の配色がすっきりした印象。

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↓内部/三廊式 白が基調の明るい空間。尖頭アーチのアーケード。アーチを分断する太い柱が上部に伸びて、上へ、上へのゴシックが強調されています。

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↓木彫の柱頭。黒く塗装されていてはっきり見えません。柱は一見マーブルですが、木にプリントされたものでしょう。

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↓後陣外観 下に並んでいる白い箱は空調ですか、南国ですから。

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↓案内板

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↓丘の上から

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↓すぐ近くに光明寺という大きなお寺とその墓地があり、お寺と教会の尖塔が望まれる場所があるのですが、時間もなく絵葉書を購入。

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↓上の絵葉書にある土塀を少し先まで行き、遠くに平戸城を遠望。

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 これで今日の予定は終了して、今夜の宿「ホテル蘭風」に向かいました。「ホテル蘭風」といえば…20年ほど前一人旅で北九州を回ったことがありました。平戸のここに泊まろうと代理店に予約をお願いしたのですが、ここも他も満室。結局平戸はあきらめて、伊万里から松浦鉄道で日本最西端の田平平戸口駅を迂回して佐世保に抜けたのです。「ホテル蘭風」は当時は人気の宿だったのですが、現在は建物が立派な分古さもめだってきています。

↓部屋は広くベランダからの眺めは海

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↓ 一風呂浴びてからショー付きの夕食

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 宿泊客はほとんどが団体様で、韓国からのツアーも。大きなレストランは劇場スタイルで、階段状にテーブル席が設けられ、中国雑技団のショーなど観ながら、ビールも飲んでリラックス~。


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(2-1)福岡~平戸 [2015春(長崎・平戸カトリック教会群)]

5/6(水)

↓朝の福岡であい橋

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 東京からのツアーの皆さんは福岡空港着10時10分とのこと。朝食も余裕で済ませ、チェックアウト。空港へ向かいました。到着ロビーにはどうやら同じツアーに参加される気配の2人のシニアの女性の姿。声をかけてみようかしら?などと思っているうちに、飛行機は定刻に到着。昨年9月五島列島のツアーで一緒だった方が8名!再会を喜び合いました。

MAP

 

早速バスで南下、30Kほど走り福岡県三井郡大刀洗町へ。この町は久留米市を中心にした筑後平野に在り、キリシタン大名のもとキリスト教が深い信仰を集めた場所でした。幕府による禁教の後も100戸を超えるキリシタンの家族が潜伏していました。

☆今村教会  禁教令が廃止(1873)された後、フランス人の宣教師が着任。明治14に初めて木造教会が建てられました。現在の教会は明治41年に鉄川与助が設計施工したもので、レンガ造り。ドイツからの寄付と信者さんたちの労働奉仕によって、立派な教会ができました。

↓西正面/ 両脇に八角形の双塔。4月に巡ってきたばかりのドイツのロマネスク教会を想起させます。

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↓内部/三廊式で、木造の軽やかなロマネスク様式。天井の板張りと半円形アーチを交差させたリブ・ヴォールトがのびやか。アーケードやトリビューンの濃い色が全体を引き締め、洗練された祈りの空間です。

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↓北西外観

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↓ 南側面外観/車いす専用スリープも完備

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↓後陣外観/塀や付属の物置などが邪魔しています・・・。

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↓大刀洗町の町外れ、後陣方向の道から。

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 バスに再び乗車、筑後川を渡り久留米市内に入りました。次は久留米聖マリア病院の敷地に建つ付属礼拝堂です。

☆旧大名町教会  この教会は以前は福岡市中央区大名町にあった明治27年築の天主堂でしたが、1984年に解体され、1986年に現在の久留米聖マリア病院の敷地に復元移築されたものです。教会の歴史は先の今村教会と同様に禁教令が廃止されてから、フランスからベレール神父が来られ、26年にわたり宣教に努められました。この教会もベレール神父の設計とフランスからの寄付で建設されました。

↓聖マリア病院の駐車場から病院(本館?)の正面を通り、奥にある礼拝堂へ。

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↓正面は南側に面しています(病院から出入りしやすくなっています)。簡素なファサード、切妻屋根につけ柱がロンバルディア・ロマネスク風。

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↓内部/三廊式の小さなチャペル。奥の祭壇に聖母マリアの像、小さいながらパイプオルガンも完備されています。病院内の礼拝堂という性格もありましょう。写真では表すことのできない濃密な祈りの空間がそこには確かに、厳しく存在していました。

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 信者ではないけれど、こういう場所で心安らかに終わりの日を迎えるのも・・・実際そうして逝ってしまった多くの魂、清き想いがここには充ちているようでした。

↓後陣外観

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↓ 西側面の端正な煉瓦積

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↓名残惜しく振り返りながら

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続きます~


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(1-2)福岡 [2015春(長崎・平戸カトリック教会群)]

~続きです。

 樟の大木に囲まれた観世音寺を後にバスに乗車。先ほど降りた西鉄5条駅や太宰府駅を経由して、15分ほどの天満宮の近くで降車。初めての大宰府天満宮の見学をしました。

↓ここにも樹齢1500年と言われる樟の大木。若葉の季節なのでなおさら緑鮮やかです。「くすの木千年 さらに 今年の若葉なり」(荻原井泉水)

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↓ 御本殿(重文)  菅原道真公の墓所に門弟が919に祠廟として建立したことが始りとされています。その後何度かの兵火による焼失などを経て、1591に新しく造営。桃山時代の豪壮華麗な様式を今に伝えています。天神さま 菅原道真公は「学問・至誠しせい・厄除けの神様。この日は子供の日ということもあって、合格祈願やお礼詣でのお祓いが行われていました。

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↓境内で。鯉のぼりに子供たちの御神籤が結ばれていました。

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↓楼門

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↓心字池の親子亀

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 ↓延寿王院山門付近

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↓道真公の歌碑「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘れそ」

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ここですでに夕方近くになり、疲れたこともあって宝物殿と九州国立博物館はパスして帰ることにしました。駅までの道はお土産屋さんが軒を並べています。疲労回復には甘いモノ~と、名物の梅が枝餅をぱくぱく立ち食い、焼き立てて美味しかったです。そして太宰府駅から天神駅へ。そして徒歩でホテル戻りました。

 夕食はホテルのお向かいの居酒屋さんで。混んでいましたが、カウンター席が空いていてラッキー!

↓目の前は日本酒がズラリ・・・。

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明太子いりだしまき卵焼き~玄界灘のお刺身盛り合わせ~のどぐろの煮つけなどいただきました。お隣は西宮からのシニアのご夫婦。関西弁がきつくなくてお話ししやすいので、旅の話題で楽しく食事ができました。

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↓部屋の窓から、夜の那珂川が見えました。

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