(7)東京(美術館&コンサート)(8)歌舞伎&帰札 [2015秋奈良・滋賀(ミュージアム巡り)]
9/19(土)
午前中はSさんと根津美術館へ。青山のホテルからも1Kくらいなので徒歩で向かいましたが、途中で道に迷ってしまい、かなり大回りして30分くらい歩き美術館の裏側から到着。何度か来ていますが、地下鉄からのアプローチでしたので、青山墓地方向から来たので、目新しかったのは良かったです。この周辺もハイソなマンションが目の前に建って、リッチな雰囲気。
1階ホールだけは写真OKです。
↓「四面仏碑像」中国北魏時代6世紀 脚を交差させた中央の弥勒菩薩さまは獅子座に座っています。左右の頬杖の脇侍(半跏思惟像)とともに穏やかな表情が好ましい。
↓「如来立像」中国北斉時代6世紀
↓上の飛天だけアップ。羽衣の流れがダイナミック。
この日の特別展は財団創立75周年記念「根津青山の至宝」-初代根津嘉一郎コレクションの軌跡-と銘打ったもの。茶道具掛け軸などのコレクションは今まで鑑賞した中では最高のものが揃っていてました。前日の藤田美術館展で観た「交趾大亀香合」の色違い(こちらの方が地味な配色)が展示されていました。藤田所有のほうが逸品だそうで、オークションで根津さんが負けたようです。
この美術館で一番の見どころは中国古代の青銅器です。中国の殷時代(紀元前13-12世紀)のころの饕餮文方盉(重文)や饕餮文尊(重文)などが展示室一室を占めて圧巻。そのうちの双羊尊は美術館のチケットにもプリントされています。
ランチはホテルの裏側にあるレストランで。Sさんが散策中に偶然発見したトリュフ料理の店TERRES DE TRUFFESです。予約はとれていなかったのですが、少し時間をずらして1時過ぎに寄ってみました。私たちの食いしんぼ的熱意に動かされたのか?数分テラスで待たされましたが、個室が空きましたと案内されました。
↓外観
↓お料理の前に見せていただけるトリュフ
アミューズからデザートまで、トリュフの香りを楽しみながらの贅沢ランチ。個室なので気兼ねなく、それぞれ違うお皿をオーダーして、シェアしていただきました。お味はもちろんのこと洗練されたサービスも良かったです。
合わせたワインも素晴らしく、ホテルに戻って心地よく午睡。夕方目覚めて上野へ。
♪~英国ロイヤル・オペラ特別演奏会@東京文化会館大ホール 19:00~
指揮:アントニオ・パッパーノ ソプラノ:アルビナ・シャギムラトヴァ メゾ・ソプラノ:ジョイス・ディドナート ソプラノ:ユリア・レジネヴァ バス・バリトン:イルデブランド・ダルカンジェロ
演奏:ロイヤル・オペラハウス管弦楽団
曲目は前半が歌手それぞれモーツアルトのアリアを歌い、後半はモーツアルトのレクイエム ニ短調K626というプログラム。ヴィラゾンは不調のため残念ながら後半はキャンセルになりましたが、久しぶりのモーツアルトのレクイエムを生で聴けましたし、前半のレジネヴァのアリアも素晴らしく、次回はいつ聴けるのかと、ちょっぴり感傷的になったり・・・。
お昼にごちそうを食べたので、空腹感もなくホテルに帰り余りもので夜食をとり就寝
9/20(日)翌日は赤坂ACTシアターでの「赤坂大歌舞伎」を観て、夕方の便で札幌に帰りました。
☆松竹創業120周年「赤坂歌舞伎2015」
演目は舞踊の「操り三番叟」と「お染の七役」で、中村勘九郎と七之助兄弟がそれぞれの持ち味を生かした役柄をつとめ、大いに楽しませていただきました。
幕間にいただいた「赤坂有職」のちまき弁当がとても美味しかったです。以前のお店は定宿にしていた赤坂のホテルから近かったので、帰札するとき夕ご飯用やおみやげ用に購入したことがあったのですが、いつの間にか移転していました。本当に久しぶりでした。赤坂のTBSのあった付近も十数年ぶりですが、違う街みたい・・・。オリンピックまでに東京はまだまだ変貌するのでしょうね。一方には深刻な地方の衰退もあり、複雑な想いで東京を離れました。
8日間の留守で、札幌はすでに秋らしい気候になっていました。そろそろ衣替えかな~と主婦のお仕事に気分も切り替えです。(終)
(6)東京(オペラと美術館) [2015秋奈良・滋賀(ミュージアム巡り)]
9/18(金)
↓朝ごはん@部屋
ミニキッチンには冷蔵庫、電子レンジ、一口の電磁コンロ、最小限の食器や鍋がついています。新聞はロビー階まで取りに行かなければなりませんが。今日は夕方のオペラの前に六本木のサントリー美術館の特別展へ出かけました。
★藤田美術館の至宝展(国宝 曜変天目茶碗と日本の美)@サントリー美術館
大阪の藤田美術館は未訪問ですが、明治の実業家藤田傳三郎氏(1841~1912)と子息2人の2代に渡る収集品をもとに造られた美術館とのこと。明治維新後の廃仏毀釈による仏教美術品の失われ散逸することの危機感から生まれた仏像や仏具の収集。加えて傳三郎氏の趣味である茶道に象徴される日本の美術工芸品の収集は国宝9点を含んでいます。大阪の藤田美術館は常設ではないそうですし、東京でも初めての展覧会とのこと。観ることができてラッキーでした。
↓曜変天目茶碗(国宝/中国・南宋時代 12~13世紀)写真は絵葉書です。照明を落とした部屋にガラス張りのケースに収められ、スポットライトを浴びて、青の濃淡がキラキラ輝いて観る場所で変化するさまを愛でて一回り。
他の茶道具の目玉は傳三郎氏が亡くなる10日前に念願かなって入手したという「交趾大亀香合」こうちおおがめこうごう (中国・明~清時代 17世紀)です。これが本当に何億円もしたという名品なのでしょうか。亀さんの背の甲羅を眺めるのみ・・・。
↓「千体聖観音菩薩立像」(平安時代12世紀)
他には快慶作「地蔵菩薩立像」(国宝/鎌倉時代13世紀)、紫式部日記絵詞(国宝/鎌倉時代13世紀)など。
昼食は東京ミッドタウン内の和食屋「酢重ダイニング六角」で。おばんざい銀ダラセットにシャルドネも飲んでしまいました。
何も買いませんがきょろきょろおのぼりさんをしてウィンドー・ショッピング&コーヒーブレイク@ジャン・ポウル エヴァン(ここは最近札幌三越に出店)。コーヒーとマロングラッセを1個だけで我慢(高いから)。今夜のアフター・オペラの部屋飲みのためのお惣菜を買ってホテルに戻りました。
♪~ヴェルディ『マクベス』@東京文化会館18:30~
指揮:アントニオ・パッパーノ 演出:フィリダ・ロイド
マクベス:サイモン・キーンリーサイド マクベス夫人:リュドミラ・モナスティルスカ
バンクォー:ライモンド・アチェト マクダフ:テオドール・イリンカイ
マルコム:サミュエル・サッカー 医師:ジフーン・キム
ロイヤル・オペラ合唱団/ロイヤルオペラ管弦楽団
キーンリーサイドが日本に到着したという写真があるFBに出て、ようやく高いチケット(それでも3番目のカテゴリー)を購入した甲斐があったと胸をなでおろしました。「マクベス」は生舞台は初めて。ホントはキーンリーサイド&ネトレプコで観たかったのですが・・・そういえば、ロンドンでの評判はどうだったのかしら?オーケストラは昨夜のモーツアルトよりはまだましでしたし、キーンリーサイドも、これはひいき目かもですが(笑)、パワーは多少衰え感がありましたが、表現力でカバーした、素晴らしいマクベスでした。マクベス夫人のモナスティルスカは高音が時々絶倒調になり、耳を防ぎたくなったりでしたが、後半になるにつれて声に余裕ができて、狂死した場面のアリアは花丸でした。魔女や子供の黙役が登場したり、それなりに舞台に変化があり楽しめました。
この夜は道草せずにホテルに戻り、Sさんとささやかながら持ち寄り宴会。もう~札幌に帰りたくない気分。
(5)東京(オペラと美術館) [2015秋奈良・滋賀(ミュージアム巡り)]
9/17(木)石山→京都(昼ごろ)→東京
東急青山ステイプレミア3泊
京都で新幹線に乗り換え東京へ。次女一家の住む福井には寄らないので、お詫び?の標に京都駅のデパ地下で漬物をみつくろって送り、同じセットを札幌の自宅へも配送してもらいました。京都の漬物屋さんは札幌のデパートにも出店していますが、やはり京都で買った方が美味しいのです。新幹線の車内でいただく和久傳穴子ちらし弁当もゲット↓
東京のホテルはキッチン(小)&洗濯機の設備に交通便利でリーズナブル。最近の定宿になっています。ホテルにチェックインして夕方のオペラまで仮眠。今回の旅は英国ロイヤルオペラの日本公演に合わせたスケジュールです。チケットは正規にピアから購入しましたが、売れ行きはあまり良くなかったそうで、友人たちは公演近くになってから放出された格安券を手に入れたそうです(ずるい~笑)。
♪~モーツアルト『ドン・ジョヴァンニ』18:30~@NHKホール
指揮:アントニオ・パッパーノ 演出:カスパー・ホルテン
ドン・ジョヴァンニ:イルデブランド・ダルカンジェロ レポレッロ:アレックス・エスポージト
ドンナ・アンナ:アルビナ・シャギムラトヴァ ドン・オッターヴィオ:ローランド・ヴィラゾン
騎士長: ライモンド・アチェト ドンナ・エルヴィーラ :ジョイス・ディドナート
ツェルリーナ: ユリア・レジネヴァ マゼット: マシュー・ローズ
フォルテピアノ アントニオ・パッパーノ
ロイヤル・オペラ合唱団 / ロイヤル・オペラハウス管弦楽団
海外公演でもなかなかお目にかかれない豪華キャストですが、それぞれが持ち味を発揮しているかといえば、少々苦しいかたも・・・。最大のがっかりはオーケストラで、モーツアルトの愉悦感がサッパリで、躍動感にも欠けていました。ロイヤルオペラの二軍クラスかなと思ったり。歌手の中ではダルカンジェロのドン・ジョバンニとしてのカリスマ性やスケール感が物足りなかったのが淋しく、ヴィラゾンも苦しげ(役には合ってるけれど)で、はらはら。春にウィーンで初めて聴いてきたエスポジート、生き生きしたレポレッロで拍手!ディドナートは声はますます重くなったようでモーツアルトはどうかな?でしたが貫録で押し切り。レジネヴァはお芝居はあまり上手とは言えませんが、チャーミングなツェルリーナを歌い、ほぼ満足。演出では通常ドン・ジョバンニは地獄落ちになるのですが、それはなく情けなく蹲るだけでした。以前パリで観たのは洋服ダンスに入っていくというのもありましたが・・・。舞台はプロダクションマッピングを使っていたのが印象に残ったくらいで、今や忘却の彼方(汗)
帰途は札幌の友人(同じホテル)2人と共に、外苑前のカフェバーで夜食がてらオペラ談義。愉しくて時間も忘れます~♪
ホテルの朝食は1200円ですが美味しくないので、パンや果物など近くの成城石井で調達してホテルに戻りました。
(4)石山(ミホ・ミュージアム&佐川美術館) [2015秋奈良・滋賀(ミュージアム巡り)]
9/16(水)石山9:10→ミホ・ミュージアム10:00/13:00→石山13:50/14:06→守山14:20....佐川美術館15:00頃/16:40→守山17:11/17:36→石山17:51
昨夕からの雨が上がらず、結局この日は終日雨でした。美術館巡りにはさほど支障はありませんが・・・。無料の朝食はそれなりですが、コーヒーは自由に紙コップで部屋まで持ち帰りでき、味も〇。駅前から9:10発のバスでMIHO・MUSEUMミホ・ミュージアムへ。平日ですし天候も悪いので、半分ほどの乗客で出発。↓瀬田橋から瀬田川に沿って南下し、
↓途中東に折れ瀬田川の支流沿いに深い山に入り1時間弱でミホ・ミュージアムに到着。
★MIHO・MUSEUMミホ・ミュージアム(初) http://www.miho.or.jp/index.html
特別展はトライアスロンの世界チャンピオンだった[ジョン・C・ウェバーのコレクション展]でした。日本初公開とのことで、浮世絵や仏像、器などの日本美術をはじめレンブラントのエッチングや自画像など広範囲にまたがる美術品の数々を鑑賞。
↓ 喜多川歌麿「扇屋花扇図」江戸時代/ジョン・C・ウェバー・コレクションの絵葉書から。
↓「根来瓶子」室町時代/ジョン・C・ウェバー・コレクションの絵葉書から
↓観音立像(興福寺千体仏のうち)/ミホ・ミュージアムのコレクション(絵葉書)
↓飛天/ミホ・ミュージアムのコレクション(絵葉書)
↓「大山猫と鶏型リュトン」イランまたは中央アジア(前2世紀後期~前1世紀)部分
琵琶湖の南、緑の深い山中に埋もれるように建てられた美術館はガラス張りの素晴らしい建物。建築家I.M.ペイ氏(あのルーブルのガラスのピラミッドの設計者)によるもの。レセプション棟と本館の間は電気自動車で移動しますが徒歩でも10分弱です。ただ一つ気になったのが、美術館の母体は新興宗教という点・・・企業活動での利益で建てられた他の新興の美術館とは異なり、抵抗感は否めません。美術館から見える本部の建物の威容にも違和感が・・・。館内で黙々と働く係員たちの無表情な様子などに、マインドコントロール?などと思ったり、通常の美術館巡りでは考えない余計な部分に気をとられてしまいました。そのせいかここの収蔵品の若冲や仏像など、いまいち印象が薄いのです。
↓レセプション棟から電気自動車でミュージアムへ
↓ミホ・ミュージアム本館
↓館内(展示室以外はカメラOK)
↓館内のカフェでサンドイッチのランチ(外国人が多い)
↓帰途は歩いて橋を渡り、トンネルを抜け
↓ 再びバスに乗って石山駅に戻りました
石山駅から電車で守山駅に着きましたが丁度良いバスがなく、やむを得ず駅前からタクシーで15分ほどの佐川美術館へ。
★佐川美術館(初) http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/
佐川急便の創業40周年を記念して設立された美術館。日本画家の平山郁夫氏、彫刻家の佐藤忠良氏、陶芸家の樂吉左衞門氏の作品を中心に展示。琵琶湖の東畔に建つモダンな建物、その建築自体が素晴らしく、雨もまた良き風情でした。来館客もまばらで静かな館内をゆったり回りました。
↓雨の池に佇む少女像は佐藤忠良作
↓特別展はキース・へリング展。KEITH HARING(1958~1990)は80年代のストリート・カルチャーを代表するアーティストで、N・Yの地下鉄の壁や道路へのグラフィティーに影響を受けたアートで一躍注目されました。ストリートのライブペインティングのなかから20世紀のビジュアルランゲージともいえる数々のキャラクターを造りだし、90年に42歳で亡くなった後もシンプルな線と色とで構成された彼の絵は日本でも人気があります。
↓「Pop Shop Quad Ⅳ」(絵葉書)
↓平山郁夫「楼蘭の夕」1991
↓館内のカフェでバスの時間までひと休み
守山駅経由で石山のホテルに戻りました。夕食はホテル近くの「かもめ食堂」、何年か前に同名の映画がありました。あの素朴なヘルシンキの食堂とは趣は異なり、カジュアルな洋風居酒屋さん。カーテンで仕切られたペア席に案内されました。
前菜3種やシラスのアヒージョなどいただいて(味はそこそこ)もちろんワインも飲み、ほろ酔いでホテルに戻りました。
(3)奈良(十輪院・今西家書院)~石山 [2015秋奈良・滋賀(ミュージアム巡り)]
9/15(火)
今日も秋晴れの良い天気です。ただ昨日の疲れが残っていますので、朝は遅めに起床、朝食も9時ごろにとり10時にチェックアウト。荷物をホテルに預け、奈良の半日観光に出かけました。駅前から市内循環バスに乗り「田中町」で下車。十輪院へは昨日訪れた元興寺への道を辿り、手前から右折します。ほぼ20年前に一人旅で奈良を回ったことがあり、春日大社~志賀直哉旧居~十輪院と歩きました。ただ十輪院で観たはずの仏像の記憶が薄く、再訪することにしました。以前は土塀の続く狭い路を辿って訪問した覚えがあるのですが、やはり20年の歳月は近くにお洒落なカフェもできて、それなりに観光地らしい雰囲気。↓「フランツ・カフカ」というカフェ
↓十輪院の南門をくぐるとすぐに本堂(鎌倉時代前期/国宝)
↓軒が低く正面は広縁になった、開放感のあるお寺っぽくない印象の御堂です。
↓早速ここのご本尊石仏龕を拝観させていただきました。中央に地蔵菩薩、左右に釈迦如来、弥勒菩薩の浮き彫り。花崗岩の切り石で造られています。写真はもちろん禁止なので、サイトから小さな画像を拝借しました。荒くなりましたのでお地蔵様の顔を別に添付。
素朴で優しいかすかな微笑み・・・好みにドンぴしゃなのに何故記憶になかったのでしょうか?謎です。
↓小さな寺院に似合った小さな庭園ですが、石塔やここでは満開だった萩の花やすすきが初秋の古都の趣でした。
十輪院から次の目的である今西家書院へは車が1台ようやく通れるくらいの狭い道を行きました。そのせいか道に迷って、人に尋ねながら少々遠回りで到着。
↓今西家書院(室町時代初期の書院造)正面。民間所有(春鹿酒造)の建造物として、昭和12年に国宝に指定されましたが、その後の文化財保護法の施行に伴い、昭和25(1950)年、重要文化財となっています。
↓入口は正面右の門から
見学者は先ほど訪れた十輪院同様、私独りでした。東大寺や奈良公園の付近は外国人を含めた観光客でごった返していますが、ちょっと観光ルートをはずれると、めっきり静かな南都奈良の散策を楽しめます。
↓ガイドさんの案内で書院造の内部を見学。写真もOKです。
↓庭にキジバトが飛来
↓茶室
↓網代天井
↓喫茶室で休憩
元来た道を戻る途中にあった町家風イタリアレストランでランチ。お味は普通でしたが、カウンターだったので、シェフとお喋り、ワインも飲んで心地良い時間を過ごしました。
バスでホテルに戻り、荷物をピックアップして、奈良から京都経由で石山へ。石山駅に着いた頃にお天気が崩れてきました。石山駅はエスカレーターも完備なので、駅から100Mほどのホテルに楽に移動できました。ホテルはビジネスホテルタイプの簡素な宿です。レイアホテル大津石山に2泊しました。
↓狭いけれどセミダブルベットのシングルルームで、上階にコインランドリーも有り便利。京都にも近いですし、滋賀を中心に回るには穴場でしょう。1泊5000円(無料朝食付き)くらいでした。
夕食はフロントのおすすめレストランから駅近くの居酒屋さんへ。庶民的な居酒屋さんがほとんどですが、そのなかでは女一人でもあまり違和感の無さそうなお店を選びました。サラダ、鱧の洗い、おでんなど。ここも味は普通でしたが、カウンターでいただいたので、ご主人とお喋り。なんと!洞爺湖温泉旅館で料理修業したそうで、奥さんは道産子とのこと。北海道のお客さんは滅多に来ないそうで、懐かしがっていただきました。
駅に向かって右にバスターミナルがあり、ここからミホ・ミュージアムに行くバスが出ますので、乗り場と時間を確認してホテルに戻りました。夜にはとうとう雨になりました。当初は湖南の十一面観音巡り数か所を予定していたのですが、出発前にお寺に連絡を入れてもほとんど通じず、出ても今は見学できないとかの返事ではどうすることもできません。悪天候ではハイキングがてらという訳にも行きませんので、計画を変更してミホ・ミュージアムの後は琵琶湖畔東に位置する守山の佐川美術館を訪れることに決定。お天気の回復を願いつつ就寝。
(2)奈良(白毫寺、新薬師寺、元興寺、文殊院) [2015秋奈良・滋賀(ミュージアム巡り)]
9/14(月)
種類の豊富なビュッフェの美味しい朝ごはんをお腹いっぱいいただいて、奈良駅前からバスで白毫寺へ。青空の広がる良い天気。
白毫寺のバス停で数人下車。そのグループの方たちの後について行きました。「えっ!ここが近道?」と思うような民家の横に近道の看板。
ここから林に入ると右手に墓地が200Mほど続きます。民家の並ぶ道をまっすぐ300Mほどで白毫寺の参道が見えてきます。この辺りは「山の辺の道」の一部とは知りませんでした。
↓大友家持の歌碑「おみなえし(女郎花) 秋萩しのぎ さ雄鹿の 露別け鳴かむ 高円の野ぞ」万葉集巻20-4297も、道端に板が古くなって打ち捨てられそう・・・。
さて、参道の下から見上げて、あれれ!9月中旬と聞いていた萩の花が・・・がっかりしてよろよろ登って、上の受付で尋ねましたら「お彼岸にならなければ咲きまへん」とのこと。1週間早かったのです(涙)
↓曼珠沙華
↓境内の日当たりの良いところでは少し咲いていました。後方は本堂。白毫寺は花の寺としても有名で、萩のほか五色椿(4月上旬から中旬)も知られています(関西花の寺第18番札所)。
↓背後に高円山をひかえた白毫寺から大和の眺め
↓ご朱印と版画の絵葉書。
宝蔵で白毫寺由来の阿弥陀如来坐像、地蔵菩薩立像など、平安から鎌倉期製作の仏像を見学後、↓下に見える山門からさらに参道を下り
↓元来た道の途中から右折し新薬師寺へ向かいました。
道は複雑で、途中何度も人に尋ねて、ようやく新薬師寺へ。のんびり歩いて30分ほど。新薬師寺から歩くよりは先に白毫寺に行った方が下りになるので、良かったのではないかしら。新薬師寺は昨年4月5日の「おたいまつ」に来ていましたが、あの時は夜で人出も多かったので、今回は観光客も少なく、じっくり薬師如来坐像や十二神将立像にお参りができました。↓ご朱印もいただきました。
↓昨年は気が付かなかった會津八一歌碑「ちかづきてあふぎみれども みほとけのみそなはすどもあらぬさびしさ」この歌は香薬師さまと呼ばれた小さな薬師如来立像(飛鳥時代)を詠んだ歌だそうですが、昭和時代に寺外に持ち出され、今も行方不明とのこと。
↓こちらの歌碑は南門外に掲げられていました。藤原広嗣「この花の一節(ひとよ)のうちに、百種(ももくさ)の、言(こと)ぞ隠れる、おほろかにすな」万葉集巻8-1456 この花とは桜のことで、春の相聞歌。
↓近くに入江泰吉記念写真美術館があり、寄ってみましたが月曜日で休館でした。残念。
ここから高畑町のバス停までてくてく歩き、奈良の中心街へ戻り、元興寺(がんごうじ)へ。このお寺は初訪問です。ならまちに近いので、散策の途中に寄ってみようかなという程度の気持ちでしたが、このお寺はなかなか立派な寺歴があります。あの飛鳥寺が平城遷都に伴って718年に官大寺として新築移転されたのが元興寺なのです。現在は寺の伽藍は大半はならまちの下に埋もれてしまっていますので、残った元興寺極楽坊の見学をしました。あまり広いとは言えない境内ですが、花があちこちに咲き乱れ、石仏が並ぶすがすがしくも心温まるお寺です。
↓重文の東門から入ります
↓極楽坊本堂(国宝)
↓極楽坊本堂の裏手の禅堂(国宝)。ここは萩が満開です。
↓桔梗
↓禅堂に向かって並ぶ石仏たちの間に桔梗や月見草の花が可憐です。
↓奥に進みますと木陰にも石塔、石仏が散見されます
↓秋明菊と石仏
朝ごはんを沢山食べたので、あまりお腹がすきません。元興寺から北のならまち大通りにある樫舎という和菓子屋さんにより、干菓子のおみやげを買っていましたら、美味しそうなかき氷を2階の喫茶室に運んでいくのが目に入りました。2階の席を勧められましたが、古い木の階段が急で怖かったので、1階脇の小上りで↓かき氷(ボリュームたっぷり)をいただきました。
おみやげの薄焼きせんべいもとても美味しかったので、次回奈良に来たときはまた寄ってみましょう。さて、今日はもうひとつ目的のお寺が残っています。いったんホテルに戻り、途中で買ってきた中谷堂のお餅をランチ代わりにいただいて休憩後、奈良駅から桜井駅へ。
桜井駅からはバスの便が悪いので、往復タクシーで安倍文殊院を訪れました。健脚の方は歩ける距離です。私はここまで7Kくらいは歩いて疲れてましたので楽することにしました。ここ文殊院には東京の国宝展で観た善財童子をはじめ鎌倉時代(1203年)の仏師快慶による仏像が何点もあるとのことで、楽しみにしていました。すでに4時を回っていましたので、最終入場者だったようです。参拝のルートも決まっていて「まず、金閣浮御堂でお参りを」と急かされました。「七まいり」といって厄災を払うために↓のお堂の回廊を7回まわり7枚のお札を収めるのです。無宗教の私にとってはやや苦痛でしたが、ここはこのお寺の作法と心得て観念して回りました。
↓御堂の浮かぶ文殊池の近くには史跡の文殊院古墳(645年頃)があります。
↓内部にも入ってみました。花崗岩の切り石仕上げは当時のまま、天井は一枚岩で仕上げられています。
↓そしてようやく本堂へ。
靴を脱いで上がりますと、まずお座敷で薄茶とお菓子をいただきます。そしてようやく本堂の渡海文殊菩薩群像にお詣りできます。645年安倍一族発祥の地に創建された古い寺院は奈良時代の遣唐使であった安倍仲麻呂や平安時代の大陰陽師だった安倍清明が出生したところで、ご祈祷の寺として守られてきました。その御本尊は中央の大きな獅子に乗った文殊菩薩像です。像高7Mのパワフルで気高いお姿に打たれました。その足元で善財童子の振り返りながら無心に祈る姿も可愛らしく、お互いに引き立てあって素晴らしい。↓文殊院のHPから拝借しました。
↓ご朱印も戴いて、コース終了。
↓文殊院はコスモスのお寺として売り出し中?まだ咲き始めたばかりでした。
お休みどころのそばにタクシーを呼ぶ専用電話もあり便利、まもなく迎えに来たタクシーで桜井駅へ。電車に乗り換え奈良駅へ帰りました。夕食はホテルの和食堂で、大和鍋という豆乳仕立てのスープに大和芋のから揚げのはいったお鍋をいただきました。
(1)札幌~奈良(白鳳展) [2015秋奈良・滋賀(ミュージアム巡り)]
9/13(日) 千歳10:55→関空13:05
ここ3年ほどは秋に関西を旅することが多くなっていました。それは気候的なこともありますが「正倉院展」の見学にも合わせたスケジユールでした。今年は奈良国立博物館の開館120周年の特別展「白鳳/花開く仏教美術」があり、この時期に関西を回り、帰途東京でイギリスのロイヤル・オペラ日本公演を観るという旅になりました。
日程は札幌~奈良(2)~石山(2)~東京(3)~札幌の7泊8日
MAP
関空からは奈良行きのバスでJR奈良駅へ。駅に隣接する日航奈良ホテルにチェックイン。「白鳳展」のチケット(1500円)が2泊したので2枚付いたリーズナブルな料金でした。部屋に荷物を置いて早速、奈良博へ。正倉院展の時と違って人影まばら、のんびりと草をはむ鹿さん。
★「白鳳展~花ひらく仏教美術」のチケットとカタログ
カタログは重いので、札幌の自宅まで送ってもらいました。展示は予想通り素晴らしいもので、3時半くらいから7時の閉館近くまで頑張って鑑賞しました。
「白鳳」とは7世紀半ばから平城遷都の710年までの時代をさし、建築史、美術史、考古学などで用いられてきた言葉です。飛鳥時代と奈良時代の間に独自の個性を持つ時代として捉えられています。白鳳時代を代表する寺院として有名なのが平城の薬師寺です。上のカタログの表紙にもあるのが現在は改修中の東塔(創世期の建造物)の水煙です。2013秋に薬師寺境内での特別展で、すでに観ていました。「もう、逢えないと思っていたのよ~」と飛天たちに再会できてハッピーな私でした。
展示順に<白鳳の幕開け>セクションから
↓「三尊塼仏せんぶつ」川原寺裏山遺跡出土(奈良明日香村教育委員会収蔵)絵葉書/塼仏せんぶつとはかつて中国の北魏から唐代に発展し、日本には7世紀に伝来し、発達したレリーフ形式の仏像のこと。
他には大阪・観心寺「観音菩薩立像」白鳳時代7世紀や同じく大阪・野中寺の「弥勒菩薩半跏像」天智天皇5年(666)など。両寺ともいつか訪れてみたいところです。
次は<山田寺の創建>です。15.6年前に飛鳥を旅したことがあり、山田寺の遺構の近くまで行ったのですが、ガイドさんがもう何も残っていないからと寄ってくれなかったので、少々心残りでした。今はGoogle Mapで鳥のように俯瞰できます。山田寺は大化の改新の始まりの乙巳の変の立役者のひとり蘇我倉山田石川麻呂が飛鳥の地に建立した寺院です。山田寺の仏像は罹災で頭部だけ残り、現在は興福寺に収蔵されています。当時は荘厳であったという山田寺の遺構からは多くの塼仏や瓦、金工品などが発掘されました。
↓山田寺の仏頭(白鳳時代天武天皇14年685)奈良興福寺収蔵
そして<金銅仏の諸相Ⅰ>へ。ここでは白鳳美術の魅力とされ、全国各地に所在している金銅仏のうち東京・深大寺の「釈迦如来倚像(白鳳時代7世紀)、兵庫・鶴林寺の観音菩薩立像など10体。
↓滋賀・真光寺の「観音菩薩立像」(白鳳から奈良時代7~8世紀)素朴で愛らしい小さな仏様。像高27.8
<薬師寺の創建>セクションでは水煙や聖観音菩薩立像などに続いて、<金銅仏の諸相Ⅱ>では大阪・観心寺の「菩薩半跏像」、鳥取・大山寺の「菩薩立像」など、インドや中国、朝鮮半島からもたらされ、日本独特の様式をとげた数多くの仏像が22体!
そして<法隆寺の白鳳>へ。法隆寺は飛鳥美術の宝庫として有名ですが、白鳳時代の金銅仏、金工品、染織品も多数収蔵されています。観音菩薩立像(夢違観音)をはじめ、他を圧するような存在感を見せる法隆寺の仏像たち。でも私の好みはやはり飛天たち。
↓金銅天蓋付属品のうち「縦笛の飛天」(絵葉書)
<法隆寺金堂壁画と大型多尊塼仏>では昭和24年に焼損した壁画を精巧な模写によってよみがえった姿を見ることができました。切手にもなった美しいインド風の菩薩の顔がなぜか昭和の時代も想わせ、ノスタルジック。切手発行は1951年とのこと。
このへんから疲労感が強く、休み休み喘ぎながらも<白鳳の工芸>~<押出仏・塑像と塼仏>~<藤原京の造営>~<古墳の終焉>と巡り、終了。
博物館前からバスでホテルに戻りました。初日から頑張りましたから夕食はホテル内の中華レストランで済ませました。宿泊客は割引があるのでコースで。↓写真は前菜だけ