私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(エー1)]
エイク Jan van Eyck(ネーデルランド)1390頃~1440/41
15世紀ネーデルランド絵画の創始者。バイエルンやブルゴーニュの宮廷画家として活躍。終生ブルゴーニュのフィリップ善良公の寵愛を受けながら「ヘントの祭壇画」を制作。兄ヒューベルトの死後制作を受け継ぎ1432年に完成。細油彩画法を完成に導き、透徹した写実性と空間表現で初期ネーデルランド絵画にイタリアル・ネッサンスに比肩する革命をもたらした。
↓ロッテルダム/ボイマンス・ファン・ブニンヘン美術館のキリストの墓を訪れる聖女たち(兄ヒューベルトとの共作?)
↓ゲント(ベルギー)/シント・バーフ大聖堂のヘントの祭壇画
↓フランクフルト/シュテーデル美術研究所のルッカの聖母子(通称)
↓ブルージュ市立美術館のヴァン・デル・パーレの聖母子
↓同上のマルガレーテ・ヴァン・エイク
↓ブカレスト(ルーマニア)国立美術館収蔵(パリ/ジャックマール-アンドレMでの特別展で)の金細工師の肖像
↓ワシントン・ナショナル・ギャラリーの受胎告知
↓ドレスデン国立絵画館のドレスデンの祭壇画
↓同上の受胎告知
↓アントワープ王立美術館の噴水の傍らの聖母子
↓同上の聖バルバラ
↓ウィーン美術史美術館の枢機卿ニッコロ‣アルベルガティ
↓ベルリン国立絵画館の聖堂の中の聖母子
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーのアルノフィー二夫妻
↓同上の赤いターバンをかぶった男の肖像
↓パリ/ルーヴル美術館の宰相ニコラ・ロランの聖母子
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ・コレクションの受胎告知
↓ニューヨーク/フリック・コレクションの聖母子と2聖女、修道士(ロスチャイルド家の聖母子)
エル・グレコ El Greco(西)1541~1614
マニエリスムの最後を飾る国際画家。生地のクレタ島からイタリアへ。ベェネツィアの色彩やミケランジェロの量体表現、マニエリスムの引き延ばされた人体比率などを学びスペインへ。トレドの宗教関係者からの支持を得た。
↓マドリード/プラド美術館の聖三位一体
↓同上の聖霊降誕
↓同上の受胎告知
↓トレド・タヴェラ病院のキリストの洗礼
↓同上の聖家族と聖アンナ
↓トレド・サンタ・クルス聖堂の聖母の被昇天
↓トレド・大聖堂の悔悛する聖ペトロ
↓トレド/エル・グレコ美術館のトレドの眺望と地図
↓同上の聖ヤコブ(St.James)
↓ニューヨーク・メトロポリタン美術館のトレドの眺望
↓シカゴ・美術研究所の聖母の被昇天
↓ロサンゼルス郊外/ポール・ゲッティ美術館のキリストの磔刑
↓ヴィンタートゥール(スイス)/オスカー・ラインハルト美術館のある枢機卿の肖像
↓ミュンヘン/アルト・ピナコテークの聖衣剝奪
↓ボストン美術館の修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノ
↓トレド/サント・トメ聖堂のオルガス伯爵の埋葬
↓ブダペスト国立美術館の聖家族と聖エリザベス
↓ストラスブール市立美術館の哀しみの聖母
エルスハイマー Adam Elsheimer(独)1578~1610
主にローマで活躍したドイツの画家。細密描写的であり、詩情豊かな夜景表現に優れて、名声を得た。小型の銅版に油彩で描かれた彼の作品は銅版画にされ広まった。ルーベンスやレンブラントも彼の「エジプトへの逃避」に触発されたといわれる。
↓ミュンヘン/アルト・ピナコテークのエジプトへの逃避
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーのキリストの洗礼
↓フランクフルト・シュテーデル美術研究所の聖十字架の発見と崇拝の祭壇画(皇母へレナの乗船)
↓同上の聖十字架の発見と崇拝の祭壇画(十字架の発掘)
↓同上の聖十字架の発見と崇拝の祭壇画(聖十字架を担ぐ皇帝へラクリウス)
↓同上の聖十字架の発見と崇拝の祭壇画(ユダへの質問)
↓同上の聖十字架の発見と崇拝の祭壇画(聖十字架を携えた馬上の皇帝へラクリウス)
↓同上の聖十字架と発見と崇拝の祭壇画(聖十字架を担ぐ皇帝へラクリウス)
↓同上の聖十字架の発見と崇拝の祭壇画(中央部分・聖十字架の崇拝)
↓ブラウンシュヴァイク(独)/アントン・ウルリッヒ美術館の朝の風景
エルンスト Max Ernst(独)1891~1976
ダダ、シュルレアリスムの画家。「ケルン・ダダ」を起こし、コラージュを駆使した作品を制作。パリに移住後、
シュルレアリスティックな作風を持つようになる。第二次大戦中に抑留生活からN・Yに逃れ、アメリカにシュルレアリスムの作品を紹介、普及した。
↓チューリッヒ美術館の都市の全体
↓フランクフルト/シュテーデル美術研究所のAquis submersus水に溺れる
↓ヴェネツィア/ペギー・グッケンハイム・コレクションのThe Antipope対立教皇
↓千葉/川村記念美術館の石化せる森