私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(シ-3)]
シャルダン Jean Baptiste simeon Chardin(仏)1699~1779
18世紀フランスの静物、風俗画家。1728年より王立アカデミーの会員となる。1755年よりパリで暮らし、貴族社会からも好評を博しながら、慎ましい市民の日常生活の断片を描く。理知的で堅牢な造形、繊細な色彩、柔らかい光に特徴がある。晩年は視力も衰え不遇であったが、パステル画に新境地を開いた。
↓サンクトペテルブルク/エルミタージュ美術館の食前の祈り
↓ワシントンD.C・ナショナル・ギャラリーの病後の食事(思いやりのある看護人)
↓ニューヨーク・フリック・コレクションのセリネット(鳥風琴)
↓同上の静物、プラム
↓パリ・ルーヴル美術館の食卓(Buffet)
↓同上の赤鱏
↓同上のサイコロ独楽に見入る宝石商ゴドフロワ氏の息子
↓同上の働き者の母親
↓同上の買い物帰りの女中
↓同上のデッサンする青年
↓パリ/ジャックマール-アンドレ美術館の科学の寓意
↓同上の芸術の寓意
ヴィンタートゥール(スイス)/オスカー・ラインハルト・コレクションの静物(ガラスのコップ、フルーツ)
↓同上のクルミとフルーツ
↓同上のトランプの城
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーのトランプの城
↓レンヌ(仏)美術館の桃と葡萄、ガラスの鉢
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ美術館のつるされた赤鱏(えい)と狙う猫
↓ミュンヘン/アルト・ピナコテークの台所の女
↓東京/富士美術館のデッサンの勉強
↓エジンバラ/スコットランド国立美術館の花瓶の花
シーレ Egon Scchiele(オーストリア)1890~1918
オーストリア表現主義の画家。17歳でクリムトの影響を受けた作品を制作し始めるが、1910年には人物像において独自の表現主義的作風を確立。だが一般に言われている表現主義とは一線を画するきわめて個性的なもので、激しく、悲痛、不安感が漂う。28歳でスペイン風邪のため死亡。
↓ウィーン/レオポルド美術館のほおずきの実のある自画像
↓同上の縞のドレスのエデット・シーレ
↓同上の死の都Ⅲ
ウィーン/美術史美術館の向日葵
↓ウィーン/アルベルティ―ナ美術館のクルマウの古い家
↓同上の座っている?エディット・シーレの肖像
↓同上の農民の思春期の娘
↓同上の黒髪の少女
↓ウィーン/オーストリア美術館(ベルヴェデーレ宮)の死と乙女
↓同上の家の壁
↓同上の家族
↓同上の母と二人の子供
↓シュトゥットガルト(独)州立美術館の郊外の町
↓バーゼル美術館のErich Ledererの肖像
↓チューリッヒ美術館の死の都
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ美術館の河畔の家
ジャンモ Louis Janmot(仏)1814~1892
19世紀フランスのリヨン派の画家、詩人。ジャンモはロマン派と象徴主義の間を繋ぐ人物として見られており、ドイツのナザレ派(en)やイギリスのラファエル前派と同様な神秘主義的、理想主義を有すると共にカトリック的傾向を強く有する画家であった。
↓リヨン美術館の野の花
↓同上の魂の飛翔(油彩画のシリーズ/魂の詩)
シンべリ Hugo Simberg (フィンランド)1873~1917
フィンランドの象徴主義画家、グラフィックデザイナー。シンベルグ、シンバーグとも表記される。 1895年、シンベリはルオヴェシで、アクセリ・ガッレン=カッレラの個人的な弟子となった。 シンベリが自作で最も多く取り上げた2つのキャラクターは「Poor Devil」と「死」である。
↓ヘルシンキ/アテネウム美術館の傷ついた天使
↓同上の春の宵
↓同上の夢
↓同上のクロスロード
↓同上のポットを持つ悪魔
↓同上の祈り
シャーン Ben Shahn(米)1898~1969
社会派リアリズムを代表する画家。リトア二アからアメリカに移住。石版画工房で働きながら大学やアートアカデミーで学ぶ。30年に初個展。同年から33年にかけて、ドレフィス事件などのテーマを取り上げ発表、注目される。戦後は農作業のリトグラフやポスター制作にもかかわり、第五福竜丸事件を主題にした作品でも知られている。
↓ニューヨーク/ホイットニー美術館のサッコとヴァンゼッテイの受難
↓姫路市立美術館の至福
シモン・サン-ジャン Simon Saint-Jean(仏)1808~1860
19世紀フランスの画家。主に花の絵で認められたが、「食堂の絵」として批判もあった。
↓リヨン美術館の女庭師
シンケル Karl Friedrich Sahinkel(独)1781~1841
↓ベルリン・ナショナル・ギャラリーの川沿いの中世の町・大聖堂
↓ミュンヘン/ノイエ・ピナコテークのライン川沿いの町・大聖堂