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十一面観音巡りの旅(21)秋の滋賀と京都 [2014秋の京都(三井寺・青蓮院・相国寺]

~続きです。 

 お正月はブログを終えてから心新たに迎えたいと思っていたのですが、いつもの計画倒れになりました。実は年末の掃除が、常日頃の手抜きがたたり手間取りました。その家事の合間に心忙しくブログを書いていたのですが、三井寺篇の後半を終わらせた段階でパソコンが不調…なんと!消えてしまいました。下書きはしないで、ときどき保存するスタイルで更新しているのですが、この時は焦ったのが、そもそもの間違いの元。しばらくはやる気をなくしてしまったというわけです・・・で、今は思い出しながら再度のチャレンジです。

 前回の三井寺の一切経蔵を見学後、金堂へ向かいました。

↓ 途中に池があり、私の足音を聞きつけて、鯉の稚魚でしょうか口を大きく開けて、エサのおねだり。その必死の形相が凄過ぎ・・・。哀れに感じてふと見ると、池の畔にエサの寄付箱が…エサくらいお寺のお金であげてよと思うものの、硬貨をポトリ。

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 ↓金堂(国宝) /現在の建物は桃山時代に北の政所によって再建されたもの。三井寺の総本堂です。写真では右が金堂(西側)突き当りが閼伽井屋です。

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 金堂の本尊は天智天皇が信仰されていたと伝えられる弥勒菩薩ですが、絶対秘仏とのこと。↓の御朱印状をいただいたとき、お坊様に確認したところ、誰もその霊像を見た人はいないそうです。

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↓ 閼伽井屋(右)と金堂(左)、軒を接しています。

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 閼伽井屋(重文)は天智、天武、持統の三天皇が産湯に用いたという泉を護っている小さな建物で、1600年の建立。

↓正面上部に左甚五郎作の龍の彫刻が掲げられています。

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↓ 金堂の境内には「三井の晩鐘」(重文)として知られている鐘楼があり、今の建物は1602年の建立。小さなくぐり戸から中に入りました。丁度、若い女性が鐘を突くところでしたが、かなり力が要るとのことで、私は試しませんでした。有料です。

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↓ 金堂の階段を下って

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 ↓三井寺見学の最後は光浄院客殿でしたが、門を入ってからは一切カメラ禁止とのことで外側から。先に見学した勧学院客殿と同じ書院造で1601年に豊臣秀吉に仕え、三井寺の僧でもあった山岡道阿弥によって建立。広縁からの庭も障壁画(狩野山楽ほか)も日本文化の清明さが現れた素晴らしい空間で観ることができました。

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 余談ですが私が訪れる前の10/31にここで記念の大茶会が開かれ、裏千家の教授をしている札幌の友人がお点前をしたそうです。狩野派の障壁画の前ではさすがに風炉先の屏風は2重に置かれたとのこと。

 仁王門から境内の外へ。仁王門前には広い駐車場や土産物兼レストランがあり、遅くなった昼食はここでお蕎麦をいただきました。疏水べりに沿って三井寺駅に戻り、膳所で電車を乗り継いで京都駅に戻りました。ホテルに戻る前にもう一か所見学予定があります。ここも疲れたからといっても外せません。バスの経路が掴めず、タクシーで東山粟田口の青蓮院門跡(初訪問)へ。

☆青蓮院門跡  

 最澄が比叡山に住坊として開いた「青蓮院」を起源として平安時代に創建されました。三千院、妙法院とともに天台宗の三門跡寺院として知られています。皇室や摂関家の師弟が入寺する門跡として、多くの法親王が門主を務め、高い格式を誇っています。

↓江戸時代中期の建造物だけでなく庭園の美しさも格別です。淡く色づき始めた紅葉の美しさは北海道のナチュラルな紅葉とは違う品格のようなものを感じさせます。

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↓青蓮院の青竹の林も散策

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 青蓮院では将軍塚に青龍殿(飛地境内)を新たに建立しました。それを記念してこの秋に国宝「青不動明王」をご開帳。なお模写した青不動は青蓮院にて公開されています。青蓮院の前から将軍塚までライトアップのためのシャトルバスが出ています(30分毎)。道路を隔てた向かいにカフェがあり、バスを待ちながらコーヒータイム。暗くなった夜道を蹴上を経由して東山山頂へ。

☆将軍塚青龍殿

↓10月に落慶されたばかりの青龍殿

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↓ 国宝の「不動明王二童子(青不動)」絹本着色 203.5×148.8  11世紀半ば

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 青不動の実物は上の絵葉書より色鮮やかでした。平成21年に創建以来初めて青蓮院でご開帳があった時に写した写真でしょう。その後文化庁による3年間の修理を経て、この秋に再びご開帳になったのです。憤怒の形相の青不動は人々の救いを願う大日如来の化身です。画面下の両脇に侍者の二童子、背景の燃え盛る火焔に火の鳥が七羽描かれています。平安仏画の最高傑作の名に恥じない堂々たる迫力です。この日は偶然三井寺の黄不動も立像ながら拝観できましたし、なんとなくご利益がありそうな気持になり、珍しく家族の健康を祈願してお札(ふだ)を収めました。なお赤不動は高野山にあるそうです。

 ↓外に出て裏手に回ると大舞台があり、ここから京都の夜景を一望できます。

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↓ 庭の紅葉もライトアップ。奥に見える小高いところが将軍塚。桓武天皇が784年に奈良から長岡京に移ったのですが、事故が続いたため、この東山山頂から京都盆地を見下ろして、都の場所にふさわしいと794年に平安遷都をすることになったのです。そして都の鎮護のために武装姿の将軍の像を塚に埋めたのです。

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 青蓮院までシャトルバスで戻りました。青蓮院でもライトアップの庭園が観れたのですが、さすがに疲れてここはパスしました。近くのバス停から京都駅まで。Iデパートの韓国食堂でビールとビビンバの夕食。ホテルのシャトルバスもあるのですが、9時を回っていて乗り遅れ。地下鉄とタクシーを乗り継いで、二条城近くの宿に戻りました。ようやく長い一日が終わりました。

 

 


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