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(5-2&6.7)アルサゴ・セプリオ~ガッララーテ~ミラノ&帰国 [2016初秋 ミラノ(ロンバルディア)の旅]

~続きです。

 行き先は「アルサゴ・セプリオ」までと いうと、えっ?と聞き直し「ああ、アルサーゴ・セプリーオね。」。発音が・・・汗。ガッララーテから北西に7Kほどの距離なので、10分ほどでサン・ヴィットーレ教会に到着。30分ほど待っててもらい、またガッララーテに戻ることにしました。14:30からのオープンまでまだ10分あります。洗礼堂の北側にイタリア人のシニアのご夫婦がすでに待っていました。奥さんの話ではどこそこに電話したら15:00に開けるといったそうです。そ、それは困ります。タクシーを待たせているのですから。私の情報では14:30からなのに、まったくあてにならないと嘆いていましたら、自転車に乗った年配の男性がかなりなスピードで境内へ入ってきて、私たちに目もくれず教会の北側の出入り口へ。ハッとして時計を見たら14:30ジャスト!おかげさまで無事に洗礼堂も見学できました。この係の方は時間厳守、愛想なしのイタリア人とは思えない人でしたが、私にとっては天使(笑)でした。

 ☆ サン・ヴィットーレ聖堂と洗礼堂/Basilica di San Vittole&Battistere  ロンバルディア・ロマネスクのなかでも重要な建築とされ、聖堂は9-12世紀、隣接する八角形の洗礼堂は12世紀半ばに建立。聖堂内部の円柱柱頭にローマ時代のものが一部転用されています。隣接して町立考古学博物館があり、ローマ時代やランゴバルド時代の出土品を展示。ここは日曜日の15:00からと張り紙があり、先に待っていた方はここと勘違いされたのかと思います。博物館のほうは時間もなくパス。

↓洗礼堂西側から

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↓洗礼堂と教会とはぴったり寄り添うように建てられています

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↓北側から。一辺が5Mの八角形の洗礼堂。南北に扉口があり、その上の二連窓と他の壁面に小さな開口窓だけのシンプルな基層部分。上層はクーポラになっていて、半円アーチと刳り抜かれたクロスや丸い形が見えます。

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↓洗礼堂内部

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 ↓モノトーンに近い堂内にロンバルディア帯のアーチは煉瓦のアクセント。昨日訪れたサン・トメに似た上部は半円アーケードの並ぶギャラリーになっていますが、手すり部分はなく、ここに上ることは見るからに危険ですし、禁止されています。

 

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堂内床中央に洗礼盤が置かれていましたが、それほど古いものではなさそうでした。柱頭彫刻も特に惹かれるものもなく撮りませんでした。

↓サン・ヴィットーレ聖堂、北側から。

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↓ 内部は三廊式のバシリカスタイル。基本の構造はオリジナルですが、バロックの祭壇や壁面の塗装など、古めかしさの残る洗礼堂を見た後なので、残念。でも現役の教会としては致し方ありませんね。

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↓アプスの半蓋ドーム にうっすらと残るクロスのモザイク?は古そうですが

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↓側廊 

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↓後陣外観は隣接する運動公園や建物にさえぎられて観られませんでした。洗礼堂から続く並木道は墓地 につながっています。「ゆりかごから墓場まで」この町で生まれ、洗礼を受け、人生を送った人達が眠っています。初秋の木洩れ日が優しく目に映りました。

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↓タクシーに乗る前にもう一枚 

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 ガッララーテに戻りサン・ピエトロ教会の前で降車(タクシー代はチップを含めて45€)。運転している間はずーっと携帯電話(耳にイヤホーンつけて)しているので、かえって気づまりでなくて良かったです。

☆サン・ピエトロ 教会/san Pietro   ガッララーテに残る12世紀のロマネスク様式の教会。Fs駅から徒歩数分の町の中心の広場に建っています。

↓西側ファサード。扉口上の交差アーチや菱形のモチーフ、右付け柱中央の素朴な浮彫がロマネスク。内部は閉鎖されていました。

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↓後背部は店舗が間近に迫っています。近年整備修復されたようですが、なかなか美しい連続する交差アーチと小開廊。

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↓南側面。壁面上部にも小開廊。

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 日曜日の夕方、広場の市場もそろそろ店じまいです。近隣の農家からの出店もあり、はちみつやジャムなど美味しそうでしたが、重そうなのであきらめて、駅へ戻りました。

ガッララーテ15:58→ミラノ16:31  ミラノはガリバルディ駅行きでしたので、地下鉄に乗り換えてホテルに帰着。久しぶりにガリバルディ駅を通りましたが、改装されてすっかり立派になっていました。

↓ひと休みしてホテルのレストランへ。この夜は中国人の団体さんで混雑。出遅れたこともあって良い席はとれませんでしたが、ここの食事に少々飽きたものの、最後まで食欲は衰えず・・・満腹。

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荷物の整理を済ませ帰国の準備も整いました。お風呂に入って就寝。

9/26(月)

 5泊して、元気に未訪問のロンバルディア・ロマネスク を巡りました。オペラもひとつだけですが大好きなポッペアも鑑賞できて、短いながら中身の濃い旅でした。8:30ごろには朝食を済ませチェックアウト。リナーテ空港へは中央駅近くからミニバス(5€)で。

ミラノ(LIN)11:00→パリ(CDG)12:30/20:30→

 ミラノからのパリ便も乗り換え時間の適当なフライトは取れなくて、おまけにスーツケースを1度受け取りターミナル移動しなければなりません。しんどくてサンリスへ行く気力もわきません。結局JALのカウンターが開くまで近くのポール・ブラッセリーで昼食。PAULといえば最近は札幌駅構内にも出店している有名なパン屋&カフェ です。そのCDG2の店がひどくつっけんどんなサービスで唖然。笑顔無しはまだしも、いやいやながら働いてるモード満載なのです。アジア系なので馬鹿にしてるのかなと思ったのですが、白人系にも同じ調子、オーダーを受けにもいかないので、しびれを切らして席を立つ人も。空港ですものスピーディじゃないとね~お昼の一皿+飲み物の定食16.9€。味は普通。

JALのカウンターが開くのを待ちかねて、チェックイン・カウンターへ。プレミアエコノミーなのでラウンジが使えます。機内食はまた不味いかもと、おつまみや ワインなどいただき、日本の新聞も久しぶりに読めて、のんびりできました。搭乗口に行く前にこの旅の最初で最後のおみやげ、定番のマカロンやチョコ、紅茶などショッピング。

プレミア・エコノミーは帰りも満席でした。食事は羽田→パリよりはましでしたが、ラウンジでかなり食べていたのでほとんど残し、映画『レヴェナント: 蘇えりし者』を見ました。残酷なシーンに辟易しながら(歳とともに苦手になってます)。そうそう『ジャングル・ブック』も観たのですが、すでに忘却の彼方。。。

9/27(火)

→羽田15:25/17:30→札幌19:00

 1週間の留守でしたが、夫も変わりないものの、ほっとした様子で出迎えてくれました。「悪妻我が家に帰る」の図?(笑)

好天に恵まれたこともあり 、元気にロンバルディアの町や村を歩くことができました。許される範囲でまだまだ一人旅ができそうです。今夏は夫の退院後に私の人間ドックでの膵臓がんの疑い(精密検査の結果1か月後にシロ)騒動があり、大層心労が重なった日々でした。実家の両親は60歳前後にガンで亡くなっていますし、死を想わなかったといえば噓になります。それだけにイタリアの青空が生の喜びに満ちて映り、エネルギーをもらいました。

短い海外遠征なので、思いつくままだらだらと書いてしまいました。読んでくださった皆様に感謝しつつ、終わります。 

 

 

 

 

 

 

 


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(5-1)ミラノ~ガッララーテ [2016初秋 ミラノ(ロンバルディア)の旅]

9/25(日)

 早くも今日が最後の観光日となりました。明日は長い飛行機の旅が控えています。この日は比較的軽めの行程にしたので、気が緩んでいたのかもしれません 。

朝食を済ませ未訪問のミラノ近代美術館(メトロのPalestro駅近く)へ。Palestroの行き方はCentorale FsからDuomo経由とLima経由とがあります。Duomo方面は混むから避けようと初めは考えていましたが、ホテルそばから地下道を降りてメトロへ行くと、Duomo方面への改札がすぐにあり、「まあいいか」と、切符を買って電車に乗り込みました。この時点でお財布をポシェットに入れたのを見られていたようです。入口ドア付近が混んでいたので、奥へ行こうとしたら、前の若い女がよけてくれず、自分のリュックを前に私を押し戻します。「変だな!」と思ったその時ポシェットが引っ張られたのを感じて、私の周りがスリの集団(多分女3人)だと気が付きました。同時に次の駅についてドアが開き、女たちはさ~っと降りて居なくなり、ポシェットのファスナーが開いて、財布がなくなっているのに気が付きました。この間数秒、彼女たちの後ろ姿が3Mほどの改札の前(人で詰まっていた)に見えました。「マイ ウォーレット ストールン!!」慌てて私も降りようとしたその時、女が振り返りざま、私の足元に向けて、お財布を投げて寄こしたのです。「え~っ!!」改札は詰まっているし、追いつかれて騒がれたら逃げ場がなかったし、私を押し戻した女の顔も見られています。お財布を拾って、中身を確かめ(キャッシュもカードも無事)てるうちに、ドアが閉まり発車・・・しばらく胸の動悸が収まりませんでした。リュックのファスナーも開けられていたので、点検していましたら、前に座っていた人が「リュックは狙われるから財布は入れたらだめだよ」とかいろいろ注意してくれました。スリ集団に囲まれたときに注意してほしかったわ(汗)

 被害がなかったとはいえ、自分の緩さ加減には大いに反省しつつPalestro駅から地上へ。そういえば海外旅行中にスリにあったのは17年前のミラノ中央駅ででした。それ以来ということになります。

☆ミラノ近代美術館GALLERIA D'ARTE MODERNA  1865年に創設されたときはスフォルツェスコ城でしたが、1921年に現在のヴィラ・レアーレ(Villa Reale)に移動。主に19世紀アートのコレクションを展示しています。

↓広壮なヴィラの美術館はネオ・クラシック様式。道路を隔てて向かい側に大きな公園、ヴィラの裏側にも緑の庭園の広がる環境にあります。カメラOK。チケットは5€でしたが、4:30Pm(火は2:30pm)からは無料です。月休。

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 ミラノには有名な美術館や教会が多く、ここを訪れる観光客はほとんどいませんし、日曜日はファミリーで過ごすためでしょうか、地元の方も数えるほどでした。コレクションで有名なのはセガンティーニとモランディくらいで、貸出されて観られないものもいくつかありました。セガンティーニはミラノのブレラ美術学校で学びましたから、さすがに大作2点が並んでいます。

↓ジョヴァンニ・セガンティーニ「生命の天使 Angelo della vita」(1894)  276×217 三股になった樹幹に我が子を抱く母が描かれています。図像学上の主題である「枯れ木の聖母」との関連があるようです。

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↓セガンティーニのサイン 

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もう一点は↓「異教の女神 Dea Pagana」(1894-97)220×144 撮影に失敗しましたのでNETから拝借。画家が晩年好んだ絵画的寓話の一つ。実物のほうが赤い色が強かったような・・・。

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 帰国して気が付いたのですが、実はセガンティーニの主要な作品がもう一点あったのです。見逃したのか貸出されていたのか?それはイタリア美術史上最初の象徴派展(1891)に出品された「二つの母性」です。再訪できるでしょうか・・・。

イタリアの19世紀美術はについては注目度はかなり低く、詳しくもありません。新古典主義から印象派、象徴主義までの有名どころはフランス、ドイツ、オーストリアなどに多いのも一因かもしれません。したがって、ミラノ近代美術館の広い館内を占めるほとんどの作品は初めて目にするものが多数でした。

↓Giovanni Sottocornola「娘のアニータ」

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↓作者不明ですが「ロメオとジュリエット」アイエツを想わせロマンティック

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↓Giuseppe de Nittis「ポジリッポの夕食」イタリア人の画家ですが、38歳の若さでフランスで亡くなっています。ルノアールやドガの影響大。

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↓展示室の途中に豪華なサロン

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↓ウンベルト・ボッチョーニ「シニョーラ・カサノヴァ」1911-1916 

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↓モランディの静物Natura morta3点。いずれも対象となる静物は空間に溶け込みそう。絞り込まれ、洗練された色彩の妙。モランディ後半期の作品。

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 美術館を出てみますと、自動車のエンジン音が響き、続々発車するクラシックカーに見物人が集まっています。私はあまり興味はないのですが、玩具のミニカー・コレクションに熱心な孫息子のためにパチリ。

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 ミラノ中央駅に戻り、構内でサンドイッチを買い、車内で簡単ランチ。この日の主要な目的地アルサゴ・セプリオへはバスの便が悪く、Gallarateガッララーテからタクシーで回ることにしました。

ミラノ13:29→ガッララーテ14:01 (片道4.8€)

 旅の前にGoogle earthのストリート・ビューで確認したところ、駅前にはタクシーが何台も並んでいたのですが・・・やはり、日曜日なのでゼロ。 タクシー乗り場の表示のところに電話のマークのスタンドを発見。受話器が付いていたので「タクシー、ぺルファボーレ」と言ってみましたが、返答無し。数分待ったところで、タクシーは現れず、近くのバールからでも呼んでもらおうと、歩き始めたところにやって来ました。

続きます~。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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(4-2)アルメンノ~ミラノ [2016初秋 ミラノ(ロンバルディア)の旅]

~続きです。

 独りで列車やバスを乗り継ぎ、最終は徒歩で ロマネスクの聖堂を巡るのは、73歳になった身には過酷であることは確かです。しかし、この苦行にはツアーで容易に巡れるロマネネスク訪問とは一線を画す大きな喜び、到達感が得られるのです。サンティャゴ巡礼の苦難の旅とは比較になりませんが、野道の先に姿を現したサン・トメ円形教会には心底感動しました。この小さな円堂が1000年にわたって受け入れてきた数多くの信者たち、巡礼たちのひとり(私の場合は無宗教なので美の巡礼ですが)となって拝観させていただきました。

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☆サン・トメ円形教会Rotonda di San Tomè.  ランゴバルド起源の説もありますが、今の教会は11~12世紀に建設されたロンバルディア・ロマネスク様式のものです、教会に隣接した建物は旧修道院で、現在はAntenna Europea del Romanicoの財団のボランティアの活動によりインフォメーション、ガイド、それに小さなカフェやショップも併設され、運営されています。

↓西扉口 /白っぽい石で3層に積まれた外観は小さな窓とロンバルディア・ベルト、刳り抜かれたクロス型の簡素な美。初秋の青空に映えて・・・。

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午後からの参観は14:30なので、バスで来たらしいツアーの方たちと一緒になりました。ガイドが始まる前に10分ほど時間があり、その間に扉口の彫刻など撮りました。

↓閉ざされた西扉口の柱頭彫刻

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↓堂内には南扉口から入ります

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堂内は写真禁止とのことで、見学が終わりいったん外へ。狭い堂内に団体さんと一緒では観た気がしませんから、またあとからゆっくり来ようと、カフェでお茶して絵葉書など買って30分ほどしてから、再び南扉口へ。そうするとなんと!カメラを手にしたおじさまが・・・。先ほどは「ノー・カメラ!」と厳しい表情だったガイドさんがニコニコ 。な、なんだと思いながら私も控えめながら(笑)便乗させていただきました。

↓淡いブルーに浮かぶドームのトップ

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↓階上のマトロネオ(婦人用特別席)への階段は閉鎖されていますので、絵葉書です。

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マトロネオの柱頭彫刻(絵葉書)

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↓階上を見上げたところ

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 さて、これから1階部分をカメラにと思ったところで、時間切れ…。あ~もう少し早く来ればよかった(涙)

↓参考書の『LONBARDIA ROMANICA』からスキャンしました。奥が祭室。

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 ↓サン・トメの断面図(左の飛び出た部分が祭室) 

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 ↓後背部へ

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↓後背部からは崖に面していて眺められませんので、夜景ですが絵葉書で。

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↓名残惜しみつつ(北側から)

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 次の目的地に向かいましたが、さきほどサン・トメのインフォメーションでいただいたMAPのサン・ジョルジョ教会までの近道が見つかりません。サン・ジョルジョ教会の方向は自動車の多い大きな道で、先は陸橋になっていて、途中で教会への道に降りられそうもありません。すると、向かい側の小道から散歩の途中らしいおじいさんがでてきたので、訊きました。ここからは遠いし遠回りになるよと言われたのですが、ほかの道の説明も難しそうだったので、遠回りを覚悟して、その野道に入りました。カーブした野道を抜け畑や住宅が並んでいる道を1Kほど歩いたところに沼があり、そこで小さな男の子を含めたファミリーがバーベキューの用意をしています。突然現れた日本のおばあさんに驚いた様子でしたが、サン・ジョルジョ教会に行きたいというと、説明は面倒だから、車で送ってあげると若いパパ。「それがいいよ~」と優しい笑顔の皆さん。可愛い男の子にバイバイと見送られて

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 まだ1Kほどあった道を5分もしないで到着。疲れ果てていた私に助け舟の親切なかた、本当にありがとうございました。

↓サン・ジョルジョ教会。正面からのアプローチ

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↓両脇のかなり高さのある石積みの塀が素朴でイイ感じ。 

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↓西正面。サン・トメで一緒だったバスツアーの人達が見学を終えて帰るところでした

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☆サン・ジョルジョ・イン・レミーネ教会chiesa di San Giorgio in Lemine ここも古くはランゴバルドとのつながりがあるといわれている12世紀に建てられた教会です。何度か改装されたらしくロンバルディア・ロマネスク様式の典型とはいえませんが、素朴で、シンプルな佇まいは好感が持てます。北側に塀に囲まれた墓地が付随しています。

↓全景(絵葉書)

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↓内部は三廊式のバジリカスタイル。近年の修復中に発見されたというフレスコ画が壁面全体を覆っています。これがロマネスク期のものでないのは、一目瞭然(13世紀以降14~15世紀?)なので、さーっとひと巡りで終了。堂内にはサン・トメと同じ財団の管理になっていて、ガイドのおじさんがひとり、手持無沙汰なようでしたが、イタリア語はわからないし、時間もないからとお断りしました。

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↓木の天井が古めかしくて素敵でした。

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↓サン・ジョルジョを描いたフレスコ

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↓後背部

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 ↓その時パカパカと乗馬のひとたち。この辺の舗装のない道を歩いているのでしょうか。

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↓ 教会の南側面と乗馬の人たち

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 早めにバス停に 行こうと歩き始めたのはいいのですが、反対方向へ行ってしまって、途中で気が付きもう一度教会に戻りました。田舎道でほとんど人影はありません。そこへ若い女性が歩いてきました。停留所はわからないけれど、と携帯電話をだして検索して、自分のうちの方向だからと送ってくれました。教会の後陣から東へ300メートルのところ、彼女の家から200メートルくらいですが、このラインのバスには乗ったことはないそうです。握手してお別れ。幸運にも親切な人たちに出会えたおかげで、無事に目的をクリアできました。感謝の気持ちでいっぱいです。

↓ バス停のあるサン・マルティーノ通り

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 サン・マルティーノ16:41(バス)→ ポンテ・サン・ピエトロ16:59/17:30→モンツァ18:10/18:27→ミラノ中央駅18:40

 ほぼ時間通りに来たバスで ポンテ・サン・ピエトロのFS駅に戻りました。駅では切符を売ってなくて、タバッキも閉店、結局バールでミラノまでの切符を買い(4.8€)、エスプレッソを飲んで、トイレタイム(鍵を借りる→用が済んだら鍵を閉めて返す)。モンツァ経由でしたが、遅れもなくミラノ中央駅にたどり着きました。

 ホテルの夕食は今日は土曜日なので豪華に手長エビやステーキが出ました。後から明細みましたが、やはり週末はホテル代も高いみたいです。平均して1泊2食付きで24000円でした。ややお高いですが、定宿にしているアンバサダーが朝食だけで、ほぼ同じ価格でしたから、何か見本市でもあったのかもしれません。 

 一番難関だったこの日の探訪もなんとか終了できて、ほっとしたのでしょう。翌日は気が抜けて?17年ぶりのスリにあってしまったのです。。。被害はなかったものの(いったん掏られた財布を返してきて)それでも悔しい~!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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(4-1)ミラノ~モンツァ~アルメンノ [2016初秋 ミラノ(ロンバルディア)の旅]

3/24(土)

 昨夜は早くベットに入り良く眠れたのですが、4時ごろ目が覚めてしまいました。今日の予定のメインはミラノから北東50Kほどのアルメンノ(サン・トメ)なのですが、列車やバスの移動の多いコースなので不安です。ランゴバルドがらみで、モンツァも訪れるため、平常のベルガモ経由とは違うコースになりますし・・・考え始めると、眠れそうもなく早めに起床。朝食は週末なので7時からです。

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 ミラノ10:20→モンツァ10:31(2.2€)

 今日も朝は12度くらいですが、徐々に気温が上がって10:00にホテルを出発するころは20度以上になり青空の広がる好い天気になりました。中央駅から乗った電車はウィーク・エンドとあってコモ湖方面に遊びに行く人たちで満員電車並みに混雑。10分ほど遅れてモンツァに到着しました。ミラノから北に15K、列車で10分という近さのモンツァですが、今回初めて訪れました。娘たちが10代のころ、F-1グランプリの大ファンだったので、名前は知っていたのですが、ロマネスク美術に興味を持つようになったころ、エミール・マールの『ロマネスクの図像学』にモンツァの名前を発見。ようやく来れました~いそいそと

↓モンツァ駅に降り立ちました。

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↓駅から数百メートルで旧市街に入ります。

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 ドゥオーモを目指したのですが、行き過ぎてArengario(旧市庁舎)まできてしまいました。この周辺は大きな広場もあるのにドゥオーモの塔も見えなくて迷いやすいところです。

↓赤煉瓦造のArengario にアルトン・セナのポスター。レース中に事故死してから20年以上経ってますが、人々の記憶から(特にここモンツァの)消えることはないのでしょう。

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 上のアレンガリオを背に狭い通りを行くとドゥオーモ広場です。

↓ モンツァのドゥオーモ  修復中の足場がかかり、せっかくの美しい姿が・・・。

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↓それに結婚式が行われているようです。白い素敵なオープンカーが新婚カップルを待っています。

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☆モンツァのドゥオーモ  オリジナルはランゴバルド王国の妃テオドリンダが6~7世紀にかけて建設させた聖堂でしたが、現在の大聖堂は13-14世紀にゴシック様式で改築されたものです。 白と灰緑色の大理石をランダムに組み合わせたファサードは中央にバラ窓、それを囲むような格子柄の意匠が特徴。ゴシックの尖塔をいただいた付け柱も左右対称に6本。左に見える鐘塔は1592-1606に建設されたもの。

↓堂内は17~18世紀にバロック様式に改装されています。結婚式の真っ最中なので遠慮しました。

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↓北側廊から中庭に抜け宝物殿へ。

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↓中庭から階段を降りると展示室です

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☆モンツァ大聖堂付属博物館 Museo e Tesoro del Duomo  古くはランゴバルド時代の遺物からルネッサンス時代のものまで。カメラ禁止。 一番観たかったものは「モンツァの香油瓶」です。想像していたより小さくて(5~7cm)16個がガラスの箱に並んでいました。画像は博物館のHPから拝借しました。

↓「 モンツァの香油瓶」鉛と錫の合金製(6世紀終わりごろ~7世紀中ごろ)ランゴバルドの王妃テオドリンダのギフトでパレスティナの聖地から運ばれたものだそうです。緻密に刻まれた福音書に由来するキリストの諸場面は目を凝らしてもようやく読み取れるかどうか…ルーペが必要です。

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 エミール・マールの『ロマネスクの図像学 上』にいくつかの記述がみられます。モンツァの香油瓶のパレスティナ的図像が12世紀のロマネスク美術にもたらした影響の大きさについて。「受胎告知」「ご訪問」「キリストの洗礼」などのシリア型図像について具体的な解説。また磔刑のキリストが着衣(長いチュニック)なのはシリア型と初めて知ったのも新鮮な驚きでした。ロマネスク美術に興味を持ったひとつのきっかけともいえるモンツァの香油瓶。細部まで見るのは困難でしたが感慨深いものがありました。

↓ 「七匹の雛と雌鶏」銀に金メッキ/6世紀

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↓ 「ランゴバルド王アジルフォの十字架」金/6世紀

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↓「スティリコの2つ折りの祭壇画」象牙/5世紀  スティリコ(Stilicho 365 - 408)西ローマ帝国の軍人

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 またカール4世の生誕700年記念の特別展が開催されていました。ここへ来てから下のポスターを見て、初めて知ったので、時間もなくパス。

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* 帰国後、気になって 調べてみました。↓プラハやニュルンベルクでも特別展があったようです。

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 大聖堂に戻ると結婚式は終わっていましたが、テオドリンダの「鉄の王冠」のある礼拝室はカーテンが閉められています。次の見学時間は12:30との表示にがっくり。10:30からずーっと開けてあるとばかり…早とちりでした。当然礼拝堂の壁画(1444年にテオドリンダの生涯を描いたもの)も見学不可で涙。

↓テオドリンダの礼拝室 

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↓ 観られなかった「鉄の王冠」(5~8世紀)金に宝石をちりばめ、内側に張られた鉄はキリストの磔刑に用いられた釘を鋳直したものと伝えられています。代々、イタリア王の戴冠に使われました。

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↓結婚式が終わって 

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 アレンガリオの近くのカフェで、注文してから作ってくれた焼き立ての美味しいパニーニとカプチーノの簡単ランチを済ませ、駅に戻りました。

モンツァ12:49→ポンテ・サン・ピエトロ13:26/13:39(バス)→アルメンノ・サン・バルトロメオ(Ca del Luf)13:49 

 モンツァからの列車は順調に走り、ポンテ・サン・ピエトロ駅に到着。

↓バスの切符は 駅に向かって左側のタバッキで購入し、アルメンノ・サン・バルトロメオ行のバス停を教えてもらいました。

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バス停はすぐ向かい側のバールの前です。乗客の姿が見えないと、時間前でも出発される恐れありなので、そばに張り付いてました。幸いほぼ時間通りにバスがきて、乗車10分で「Ca del Luf」という停留所に到着。Google earthのストリート・ビューで確かめてあったのですが、一応運転手さんに訊いてから降車。何年か前にロマネスクの先輩kukoさんも歩かれた道を辿りました。不思議に独りぼっちでないような、Kikukoさんも一緒のような安心感がありました。バス停から来た方向に10mほど戻り左折すると↓のような1本の長い道

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↓10分ほど歩くと 、ようやくサン・トメ聖堂の案内板

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↓さらに数分で突き当りのピンクの家。ここから狭い道になります。

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↓ 見晴らしの良い場所にでます。この一本道(左は住宅、右は崖の緑)を進みます。

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↓住宅が途切れて、車は行き止まりの山道へ。

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↓ サン・トメの案内板も 

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↓昼間でも薄暗い山道ですが、100mほど歩くと見えてきます。

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↓ 歩きの人でしか味わえないナイスなアプローチです。

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 続きます~。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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(3-2)パヴィア~ロメッロ~ミラノ [2016初秋 ミラノ(ロンバルディア)の旅]

~続きです。

 さて、橋を眺めながらジェラート を食べて休息。ロメッロに向かう前にランチを取らなければなりません。以前来たことのあるレストランを探したのですが、Google Mapでも確認してきたのに発見できず・・・。結局、サン・ミケーレ聖堂まで戻り、近くのピッツエリアへ。

↓14年前、左の黄色い建物の洋品店はサン・ミケーレ書店でした。 

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↓ その奥のピッツエリアの自転車のディスプレイが可愛い~!となかへ。

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↓明るく清潔な店内

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↓サービスの若い女性も感じよく、オイリーでないのが食べたいと言うと 、おすすめは「ファリナーテ」というので、そのメニューから「アルべンガのカルチョーフィ」を注文しました。カルチョーフィのほろりとした苦みがなんとも美味しかったのですが、食べきれない量です。残した分はパックして持たせてくれました。

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 それをリュックに詰めて、駅へ戻りました。少し早めに着いたのですが、出発の表示には 調べてきた時間より10分早くなっています。

パヴィア14:05→ロメッロ14:40(3.6€)

急いで窓口で切符を買い、ホームへ。列車は通学の高校生でほぼ満席でしたが、なんとか着席。しかし、高校生たちの騒がしいこと!!この子たちは「恋愛ごっこ」の真っ最中・・・色目は使うはイチャイチャするわで、もう大変。アレッサンドリア行の列車は各駅に停まりますが、駅名のアナウンスがないし、駅舎の看板も建物の横に小さく書かれているだけなので、もう少しで通過するところでした。無人の小さなロメッロ駅から1Kほどの距離に目指す教会と洗礼堂があります。

↓駅から伸びる道を歩き突き当りで左折。一緒に降りた高校生数人はお迎えの車に乗って、あっという間に居なくなりました。人影のない通りをてくてく・・・と、向こうに

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↓ 見えてきたのは目印の教会です。ここの正面方向に広い道路を挟んでバールやスーパーが並んでいます。

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 お城のそばに(i)があるはずとそれらしい建物へ。しかし、ドアは固く閉ざされています。出発前の情報はガイドさんの案内で日曜祝日の3pm~6pmに見学できるというものでしたが、2日後の日曜日はアルサゴ・セプリオとバッティングしてしまうので、こちらは(i)があるからもしかして見学できるかもと、出たとこ勝負でやってきたのです。予想していたとはいえ、「もう、がっかり~ 」とつぶやきながら、とにかく100Mほどのサンタ・マリア・マッジョーレ教会へ。

↓ 民家の角を曲がると

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↓手前に建つ洗礼堂に、思わず漏れるため息「素敵~綺麗~!」

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↓ 予想通り教会と洗礼堂の間の鉄柵は閉められています。

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ロメッロは現在は寂れた感のある小さな町ですが、ランゴバルト王国の君主テオドリンダと2番目の夫のアジルフォが590年にこの地で結婚したという伝説が残っています。翌日訪問予定のモンファ大聖堂にはその情景を描いたフレスコ画(↓NETから拝借)も残っているそうです。

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また、かっては伯爵領の行政庁が置かれた都市でもあったのです。中世初期の名残の地区に教会、洗礼堂、お城が建っています。

ロメッロの教会と洗礼堂は名前も建立の時代も違います。 

☆Santa maria  maggiore  lomello  サンタ・マリア・マッジョーレ教会  11世紀の初めに建てられた教会は煉瓦造です。ファサードのほうに回ってみましたが、元のファサードから身廊の部分はかなり崩れています。教会に入る扉口にも鍵がかかっていました。参考資料の内部写真では煉瓦の横断アーチに木格子の平天井の古めかしさの残る部分と後陣ドームのバロック風フレスコ画がミスマッチ。

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☆サン・ジョバンニ・アド・フォンテス洗礼堂 Battistero di San Giovanni ad Fontes  創建されたのは教会より古く5世紀にさかのぼり、7世紀に再建した時、中央部分を拡大。11世紀にトップの小さなドームが付け加えられました。ラテンクロス型に半円形の4つのアプス、8角形のクーポラを持つ。ロンバァルディ地方の中で最も古い洗礼堂とのこと。内部見学ができなくて、残念でした。ミラノからはそう遠くないので、再訪できれば良いのですが・・・。

 ぐるりと回って、隣接の司教館らしい建物へ行ってみましたが、門塀は固く閉められ、ベルを押しても応答はありません。あきらめて 外観の写真だけ撮り、すごすご退散しました。

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↓お城(Crivelli Castle) オリジナルは14世紀ですが、15世紀のロメリーナ征服による破壊を受け、所有者がクリヴェッリ家に変わってから、修復。跳ね橋と塔は現存。内部には16世紀のフレスコ画とローマ時代のモザイクの床が残っています。

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お城の張り紙では今日の金曜日は13:00までとありましたが、教会のほうは開いていたのかどうか解らずじまい。(i)は2015の3月からキューゾだそうです。サイトの情報通りに日曜日の3pmに来ても、見学が可能かどうか疑問です。

↓お城の裏側などカメラに収めて

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近くのタバッキで帰りの列車の時刻を尋ねたのですが、バスの時刻表しかないとのこと。列車に乗る人は少ないのでしょうか・・・バスの時間や乗り場など教えていただきました。1時間ほどバス停の近くのバールで日記をつけたりして、時間をつぶしました。ハッピー・アワーになって近所のご老人たちが集まってきて賑やかでした。日本人のおばあさんが珍しいみたいでしたが、酔っ払いのおじいさんたちは無視(笑)

ロメッロ16:50頃→パヴィア17:50頃/18:05→ミラノ18:30頃 

 さて、5分遅れのバスでパヴィアに戻り、乗り換えもスムーズにミラノに戻りました。パヴィアで無駄歩きしたおかげで、この日は16612歩!軽いほうの(底の薄い)ウォーキング・シューズでは少々足が痛くなりました。

ホテルのハーフ・ボードの夕食は7時半からですが、良い席をとるために着替えて早めにレストランへ。アンティパスト、パスタ類、メイン、焼き野菜と生の野菜、デザート、果物と分かれていて、またまたたくさんいただきました。ドリンクは有料で、グラスワイン8€、アクア5€でした。ドイツ人の老夫婦がお隣でしたが、すごく美味しいといって笑顔。つられてこちらもハッピーな気分で食事ができました。お風呂に入って10時ごろには就寝。

 

 

 


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(3-1)ミラノ~パヴィア [2016初秋 ミラノ(ロンバルディア)の旅]

9/23(金)

 昨夜はオペラの疲れもあり、ぐっすり眠る ことができました。6時ごろ目覚めてカーテンを開けると、ミラノは、まだ薄暗く靄っています。昨日も同じでしたが、こういう朝は徐々に晴れて良いお天気になります。

↓中央駅前のロータリーの見える部屋 

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 この日はパヴィアとロメッロの訪問です。先ずはミラの中央駅から列車でパヴィアへ。(片道8.5€)パヴィアは2002年にプーリアを旅する前にミラノから半日で訪れたことがありました。14年ぶり! の再訪です。

 ミラノ9:10→パヴィア9:33  発車が20分ほど遅れパヴィアに着いたのは10時ころ

↓パヴィアの駅から徒歩で1Kほどのサン・ミケーレ教会を目指して

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↓ 記憶に残る街並みとはかなり違っていて、こんなところあったっけ?状態。ドゥオーモ広場も賑やか。

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↓うっかり曲がるべき道を通り過ぎ、市庁舎の広場から2つの塔の見える坂道を下って

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道行く人に尋ねて、ようやく↓サン・ミケーレ教会の北側の通りに出ました。14年前は迷わなかったのに・・・

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☆San Michele サン・ミケーレ聖堂  創建はランゴバルド王国時代ですが、12世紀半ばに改修されたロマネスク様式の教会建築で、なかでも傑作のひとつとされています。

↓堂々たる切り妻型の西側ファサード(砂岩)。束ねられた付け柱で3等分され、段違いアーチの小回廊が並び、浮彫は摩耗の激しいところもありますが、一部改修もされています。

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 私のカメラでは全体を正面から撮るのは難しく斜めからパチリ。 

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↓北扉口(どの扉口のタンパンも聖ミカエルが刻まれています)

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↓北扉口から内部へ入ると、すぐにクリプト(三廊式)の入り口があります。(前回は入っていません)

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↓柱頭彫刻も細やかでしっかりした彫り。ロマネスクの幻想に満ちて嬉しくなります。 

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↓ クリプトの南入り口に「マンドーラの神の子羊を支える2天使」

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↓主身廊から一段と高くなってる内陣方向。

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↓後陣ドームのフレスコ画は「聖母戴冠」15世紀末。 

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↓ 正面ファサードの内部

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↓ 南翌廊の小さな礼拝室

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↓身廊を飾る柱頭彫刻

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  ↓現在は閉ざされている北扉口 のひとつ

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後背部を観るために裏側に回ってみました。14年前は子供の声が聞こえる洗濯物のはためいた民家の庭先でしたが、現在は瀟洒な感じの小住宅が並んでひっそりしています。

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 サン・ミケーレから次の目的のサン・テオドロ教会へ。徒歩数分。↓狭い裏通りから見えてきました。ここは初訪問です。

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☆San Teodoro サン・テオドーロ教会 1117年に建てられたパヴィア第3番目のロマネスク教会。ランゴバルド時代に創建されたサン・ミケーレやサン・チェルドーロより小規模で街角にひっそり建っています。

↓切り妻の屋根に沿った小開廊 や角型の付け柱、刳り抜かれたクロスなど、サン・ミケーレに似たロンバルディア・ロマネスクの特徴がみられます。暗赤色の煉瓦造。

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↓内部は三廊式。一段と高い内陣の下はクリプト。

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正面扉口から入ると右手前(南側廊)に 近年発見されたらしい床下のモザイクがあります。これってローマ時代のもの?となるとロマネスク教会が建てられたのはローマ時代の邸宅の跡地なのでしょうか

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↓クリプト

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↓クリプトの柱頭彫刻 。妖しい開脚セイレーン(笑)

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 サン・テオドーロ 教会から南に位置するティチノ川方向へ。↓河畔の散歩道からPonte Copertoコぺルト橋が見えてきました。

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正午を回り、太陽が照りつけます。今回はこの橋を渡って初訪問のサンタ・マリア・ベトレム へ行く予定でしたが、↓この橋の手前で暑さと疲れでダウン。午後からのこともあるので、自重することにしました。

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続きます~。 

 

 

 

 

 

 

 

 

↓ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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(2-2) クレモナ~ミラノ [2016初秋 ミラノ(ロンバルディア)の旅]

~続きです。
 
 クレモナ駅までの途中、アラ・ポンツォーネ市立美術館 に寄りました。 
↓入り口は階段の上。入場7ユーロ カメラOK
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↓中庭
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↓美術館前の通り 
 
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☆ アラ・ポンツォーネ市立美術館 Museo Civico Ala Ponzone
16世紀の館に設けられた美術館で、別棟にストラディヴァリ博物館もあるのですが、時間もなく絵画館だけ見学しました。ここにはカラヴァッジョがあると聞いて、寄ってみたのですが…貸出中。見事にフラれましたが「祈る聖フランチェスコ」って、以前東京の庭園美術館に来ていたみたい・・・すっかり忘れていました。もう一度見たかったなと思いながらクレモナ派といわれる祭壇画など鑑賞。
 
↓アルチンボルド「庭師」35×24 1590頃  Arcimboldoはミラノ出身のマニエリスムの画家。故郷のミラノには1点もなくて(多分)、ここにあるのも面白いですね。陶器の皿に様々な野菜を盛って、画面上下を逆さにして顔になるだまし絵。ここでは鏡を使って展示してありました。
 
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↓ クレモナ派の画家たちの展示室
 
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↓ ヴェロネーゼ「死せるキリストと聖母、天使」…模作? Da Paolo Veroneseと表記されています。 
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 美術館を出たのは列車の発車まで15分!汗だくになって駅へ。しかし、10分遅れの表示です。やっぱりな、イタリアだしぃ・・・ホームにはシニアの男性2人と女性1人の日本人の旅行客がいて、おしゃべり。男性の1人は旭川の方でした。私同様ツアー嫌いで今回はミラノからあちこち巡るそうです。ここクレモナで買われた乾燥ポルチーネはなかなか上等みたいで、落ち着いた街並みも気にいられたようでした。列車は結局20分遅れで発車。
ミラノに戻って、ホテルの部屋にはいると大きなアイロン台が置かれていました。別にリクエストしたわけでもありませんが、帰国の朝まで置いてあったので、多分女性客なのでサービスなのでしょう。でも一度も使いませんでした。皴になって困るような服はもともと持参してないので。
 
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オペラは夜8時開演なので1時間ほど横になり仮眠。7時過ぎに支度をして部屋を出たのですが、ホテルの玄関の回転ドアのところで、ガラス戸に激突「ガーン!」ホテルマンが慌てて駆け寄ってきたのですが、かけていた眼鏡は壊れなかったので、大丈夫よと外へ。でも私の場合はおでこが眼鏡を救ったようなもの。少し痛くなってきて・・・でもオペラが待っています。ハンカチで額を抑えながら近くにいたタクシーに飛び乗り(10ユーロ)、コンパクトの鏡で確かめたところ、出血はなく赤く腫れているだけです(ほっ)。前髪でおでこを隠し、素知らぬ顔で(誰も観てないけれど)スカラ座へ。ロビーには中央駅同様、ポリスや軍人さんが多勢で警戒中。でも荷物検査はありませんでした。
 
チケットは出発の3日前にNETで予約したのですが、その時で300席もあったので、よほど人気がないみたいに思っていたのですが、さすがに初日ですから それなりに80%くらいは埋まっていました(プログラム15ユーロ)。席は2階パルコ、中央近くの最前列。後の席はアメリカ人の老夫婦でしたが、私も経験がありますが、スカラ座のパルコ後方席は観難くて、腰も痛くなる席なのです。ご夫婦は途中から平土間の空いてる席に移られました。後半は1ボックスで、独りになってリラックスできました。
↓開演前に自分の席から
 
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♪~モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』20:00~@ミラノスカラ座
Conductor Rinaldo Alessandrini

Staging, Sets e Lights
Robert Wilson

Nerone Leonardo Cortellazzi
Poppea/La Fortuna  Carmela Remigio
La Virtù/ Ottavia  Monica Bacelli
Amore  Silvia Frigato
Ottone  Sara Mingardo
Lucano, 1°soldato, 2° famigliare, 2°console Luca Dordolo
2°soldato, Liberto, 1°tribuno Furio Zanasi
Arnalta Adriana Di Paola
Nutrice Giuseppe De Vittorio
Seneca Andrea Concetti
Valletto, 1° Console Mirko Guadagnini
Drusilla Mária Celeng
Mercurio, Littore, 3°famigliare, 2°tribuno Luigi De Donato
Damigella Monica Piccinini
1° famigliare Andrea Arrivabene  
 
 「ポッペアの戴冠」はコンサート形式を含め今回で4回目。エクサンプロヴァンス(1999)とパリ(2004)の公演が指揮者、オーケストラ、歌手 、演出ともども秀逸な舞台で、今でも忘れがたいほどでしたので、今回は正直あまり期待はしていませんでした。でも、この作品自体の輝きは失われず、演出も音楽の邪魔をするほどの強い個性もなく、安心して久しぶり(2003のボローニァ以来)のアレッサンドリーニ&コンチェルト・イタリアーノの演奏を楽しむことができました。一番残念だったのはネローネ(テノール)で、声は大きくよく出ていましたが、表現が荒く演技も下手。他の歌い手のなかで光っていたのは、レミージョ(ポッペア)とバッチェリ(オッターヴィア)で、この舞台を引き締めていました。オッターヴィアの「あ~、あ~、あ~」と3回の悲痛な叫び、それぞれ異なる想いを込めて、続くアリア「さらばローマ」に思わず落涙。ミンガルド(オットーネ)はやや期待外れ。アレッサンドリーニ&コンチェルト・イタリアーノの演奏はバロック・オケのなかでも地味なタイプなのか、スカラ座が大き過ぎなのか、初めは響かない感じがしたのですが、彼らのまとまりのある古雅な演奏に魅せられました。円柱を並べただけの簡素な舞台も、照明が工夫され、中世風な衣装も美しく好みでした。
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↓初日なので、演出のロバート・ウィルソンも 。
 
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 ↓プログラムとチケット(216ユーロ
 
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 幕が下り、スカラ座を後にしたのは11:30に なっていましたが、まだまだ賑やかなガラリア・エマヌエーレを抜けメトロの駅へ。
 
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 久しぶりのミラノの地下鉄、自販機でもたもたしていたら、親切な男性がヘルプしてくれました。で、改札を通ってまたうろうろしていたら、同じ男性が中央駅は何番だよ~と、わざわざ引き返して教えてくれました。恥ずかしい~何回もミラノに来ているというのに・・・。メトロ中央駅のホテル側の出口がわからなくて、FSのほうから駅前広場を通ってホテルへ帰りました。昼間は大勢警戒のポリスがいたのに、真夜中は見かけませんでした。スカラ座の休憩時にカナッペを食べたので空腹でもなく、お風呂に入って就寝。
 
 
 
 
 
 
 

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(2-1)ミラノ~クレモナ [2016初秋 ミラノ(ロンバルディア)の旅]

9/22(木)

 昨夜は就寝前に睡眠導入剤を半分飲んでいたのですが、3時ごろ目が覚めてトイレへ、その後1時間おきにウトウトして 熟睡できませんでした。そのうえ困ったことに携帯のコンセントを入れようとして、アダプターを忘れたことに気がつきアタフタ・・・。朝になってからレセプションで借りようとしたのですが、いくつか置いてあるもののすべて貸出中とのこと。結局クレモナに行く前に中央駅で購入しましたが、電源を入れる暇もなく、この日はホテルに戻るまで携帯は使えませんでした。海外ではモバイル通信は不通にしてあるので、Wi-Fiの繋がるホテルくらいしか使いませんが。

ホテルの朝食も種類が豊富で 野菜もたくさんいただけます。中央駅は見えますがミニ・アオスタホテルのように全景が見えるわけではありません。ケーキも並んでいて、つい手が伸びてしまいました(汗)

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さて、今日は初訪問のクレモナへ。中央駅はポリスや軍人さんで警戒一色、ホームに入る時も切符のチェックがあります。ミラノ10:20→クレモナ11:28/15:30→ミラノ16:40  往復で約14ユーロ

↓クレモナまでの列車はローカル線なのでホームのはずれに待機しています

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↓クレモナ駅

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クレモナはヴァイオリンの名器ストラディヴァリ を生んだことで有名な町です。ガリア~ローマ~ランゴバルドと支配された古い歴史があり、旧市街の路地は緩やかなカーブを描き古都の趣があります。まずは駅からほぼ1Kくらいのドゥオーモを目指して、のんびり歩きました。途中、かなり傷んだファサード(バロック)の教会(San Vincenzo 現在閉鎖中)があり、

↓その案内板に12世紀とあったので、どれどれと裏に回ってみました。

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↓塗り壁がはがれてオリジナルらしい煉瓦が

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↓ 後背部と鐘楼は改変はありますが、確かにロマネスク期のようです

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↓ 街角ウオッチ

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↓ドゥオーモ近くの広場

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↓右手前の建物の( i)に寄ってシティマップをいただきました。

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その奥の建物は回廊になっていて、カフェも

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↓この回廊にあったポスター。彫刻の展覧会もストラディヴァリ・フェスティヴァルも観たかった、聴きたかったとしばし茫然・・・。

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↓この回廊から見えるのがコムーネ広場に建つ大聖堂と洗礼堂です。

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☆クレモナの大聖堂と洗礼堂(Duomo Battistero)

大聖堂 は「被昇天の聖母マリア」に捧げるため1107年に着工され、ファサードの彫刻は13世紀のものですが基本的にはロンバルディア・ロマネスク様式の教会です。向かって右に建つ八角形の洗礼堂は一見パルマのに似ていますが、全面が大理石ではなく内部もバロック?に変えられていて、統一感がなく少々残念に思いました。洗礼堂は1167年の着工で下の写真のクーポラ先端までの高さは34M。中央に八角形の貯水式洗礼盤(16世紀)があり、周りに様々な時代の彫刻などが置かれていますが、ロマネスクのものに絞ってカメラに収めました。

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↓ドゥオーモのファサードを飾る「12か月」の帯状浮彫彫刻。13世紀のアンテラミ派の作とのこと。

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↓ファサードの柱廊式小玄関(13世紀) 

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↓教会東側 

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↓東扉口 

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↓北 側から。どこから見ても塔がいくつも立つ堂々たる大聖堂です。入り口は南側にあったようですが、内部の見学はパスして

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すでに1時を回っています。ランチはこの近くで。前菜とアマトリーチェ風 ニョッキ(量が多くて半分残し)をいただいて

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 午後からの暑い陽射しの照りつけるなか、少し街はずれにあるサン・ミケーレ教会へ。

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☆サン・ミケーレ教会 12世紀のロマネスク様式の教会ですが19世紀に修復されています。扉が閉まっていて内部は入れませんでしたが、クリプトがあるそうです。

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↓後背部。鐘楼から伸びるテープが青空に映えて

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↓近隣にもロマネスク様式を残す元教会の姿が

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↓街角ウォッチ 

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↓さすがにストラディヴァリ の故郷。チョコレートやさん

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↓クレモナはまたモンテヴェルディの故郷でもあるのです。今夜スカラ座で『ポッペアの戴冠』を観るので、公園で銅像を見つけたときは嬉しかったです。でもここで腕に虫が・・・刺されてしまいました。イタリアの虫は強力です。数日は赤く腫れ痒く、薬もあまり効きませんでした。

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 ミラノに戻る列車の時刻が迫っています。ここからは急ぎ足で。

続きます~。 

 

 

 

 

 

 


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(1)ミラノへ [2016初秋 ミラノ(ロンバルディア)の旅]

  夫も退院して2か月余り、比較的体調も良くなりました。同居している娘の「いまのうち旅行したら良いよ」という有難いお言葉に甘えて、超短期の5泊7日で出かけることにしました。目的地は5年ぶりのイタリアですが、ミラノとその周辺に点在するロンバルディア・ロマネスク探訪に絞り、同好の先輩KikukoさんのHPを参考にさせていただいて、プランを立てました。航空券はキャンセルした7月の千歳-パリ便の特典ですが、出発日が迫っていて希望の便が取れず、スカラ座のオペラを1演目諦めることで確保。パリ-ミラノは別途手配になり、こちらも適当な待ち時間のが取れず、疲れそう・・・。宿はミラノ中央駅前の新しいグラムミラノGlam Milanoを5泊で予約しました。このホテルは珍しいことに2食付きです。夕方まで歩き回って、ミラノに戻ってからの独りご飯は疲れるのが目に見えてます。ミラノでのグルメは諦め、Booking.comの評判もまずまずなので決めました。

 MAP

 
9/21(水)札幌8:00→羽田9:35/10:35→パリCDG16:10/20:45→ミラノLIN 22:15
 
 前夜から予約していたタクシーで札幌駅へ。前回までは夫が車で送ってくれたのですが、運転が危うくなり思い切って車を手放したのです。ちょっぴり寂しい出発でした。 この便は千歳でパリまでのチェックインができます。11Kの中型リモワを預け、i padや小型の一眼デジカメなどの入った リュックと斜め掛けのプチショルダーで搭乗。オペラ用の一式も入れて、こんなに荷物が少ないのは初めて。荷物が軽い超短期も老人には良いかも・・・と無理に(笑)納得させたりして。
 
羽田は連絡バスで国際線ターミナルまで移動。乗り換え時間が1時間しかなくて、忘れ物があっても買い物の時間もない…この時点ではまだアダプターを忘れたことに気が付いていません。パリ便はプレミアム・エコノミーだったのですが、満席。今回の機内食で珍しかったのは
吉野家の牛丼ですが、機内食用にパックされたものなので・・・マズイ。
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台風の影響も全くなく、揺れも少なく順調に1時間も早くCDGに到着しました。別途手配のためいったんはスーツケースを受け取り、エール・フランスのヨーロッパ便発着のターミナルに移動。カウンターで1時間早い便に振り替えてもらったのですが、それでも待ち時間がたっぷり。空港はWifiが問題なく繋がりますのでネットで遊んだり、今回の旅のためにキンドルに入れていたミステリー小説など読みながら時間つぶし。しかし、ミラノのリナーテ空港に着いたのは9時過ぎですから、疲れでふらふら。中央駅までのバスを探す気力もなく、目の前のタクシーに乗ってホテルへ。タクシー代は25ユーロ(高くなりました)
 
ホテルにチェックインし、部屋に荷物を置きレストランへ。勿論この夜も食事代が含まれていますから、無駄にはできません。10時半に終わるからあと5分だよと言われたのですが、ほかにも何組かのお客さんの姿、に励まされ?着席。スプマンテを注文してブッフェからおつまみいろいろ選んで、いただきました。機内食がまずかったこともありますが、美味しくて、これならまずまず及第点です。
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↓11時近く、最後のお客さんも立ち上がり、私も部屋に戻りました。 
 
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↓部屋も広く、バスタブ付きの洗面所も使いやすく、くつろげました。
 
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タグ:ミラノ
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