(8.9.10.11)福井(平泉寺) [2019 初秋の旅 関西と福井]
10/3(木)京都12:10→福井13:51
福井では次女宅でのんびり過ごし、あまり観光はしないつもりです。ホテルの朝食を済ませ一旦伊勢丹の地下へ。漬物や和菓子などのお土産を買いこみ、お昼のお弁当も調達して、ホテルに戻りました。宅配便で自宅までの荷物をお願いしてから、チェックアウト。
↓福井までの特急サンダーバードの出発まで、構内のカフェで。
京都からは1時間40分の列車の旅です。琵琶湖の西を走りますので、右窓側に座り湖の眺めを楽しみました(前回は左に座って失敗したので)。途中白髭神社の鳥居が見えると待ち構えていたのですが…あらら!!ちょうどトンネルに入ってしまって、観られませんでした。Google Earthで確認したとき、もっと接近すれば分かったことで初歩的ミスでした。
福井駅に到着しましたが、ちょうど孫のお稽古ごとのお迎えと重なったので、駅構内をぶらぶら。帰りのお土産なども下調べしているうちに次女と小3の孫が現れました。夏休み以来なのですが、2か月しかたっていないのに、また大きくなった気がしました。やんちゃ坊主から少しずつ脱皮してるような?(婆馬鹿)
10/4(金)
この日は雨降りの生憎の悪天候、孫娘のテニスの試合も中止になりました。ランチは車で数分のレストランへ。フレンチが主体ですが、イタリアンもあるカジュアルなお店で、なかなか美味しかったです。
北海道に比べると福井はお米とお酒が群を抜いて素晴らしいです。11月か12月ですと、越前ガニが美味しい時期なのですが、年々高価になって…最近はちょっと遠慮気味。
10/5(土)
この日は晴天に恵まれました。孫娘Y子がテニスの部長として頑張ってきましたが、来年は中3なので今年で終わりとのこと。でも何時ころにY子が試合に出るのかわかりませんし、座るところもないので、ずーっとおばあちゃんが観戦するのは無理とのこと。応援は家族に任せて、元気な顔が見られただけで良しとして、私は一人で「平泉寺へいせんじ」を訪れることにしました。
福井駅の東口は、2023春の北陸新幹線の延長に合わせて工事中です。初めて訪れたのが2012年の春でしたから
西口も駐車場が恐竜広場になり、その変貌に驚きます。
↓えちぜん鉄道の駅舎
福井10:55→勝山11:48/11:51(バスに乗り換え)→平泉寺12:05
土曜日だし混むだろうという予想は見事に外れて、空きの目立つ電車ですが、可愛らしい若い女性の車掌さんも乗車(土曜日だから?)
さて 勝山駅からはコミュニティバスに乗り換えて、平泉寺の入り口まで。バス停の前に立派な「平泉寺歴史探遊館」があり、まずここで多少なりとも知識を得ようと入館しました。土曜日ですが、ほとんど観光客の姿はありません。
平泉寺は1300年ほど前に泰澄によって、白山信仰の拠点として開かれた寺院です。さてその白山は何処にあるのでしょう。白山は標高約2700Mあり、石川県と岐阜県にまたがって聳えています。Google Earthで確認しました。
右上に白山山頂にある奥宮神社、左下が平泉寺です。直線で25Kほどです。
日本古来の山岳信仰に加えて、平安時代以降は神仏集合により「観音」や「阿弥陀」を本地仏とする行者の修練道場として栄え、山麓には白山比咩神社(白山ひめ神社)があります。
その白山信仰の拠点となった平泉寺は最盛期には200ヘクタールの境内に数十の堂や社、周辺に数千の坊院が建っていたそうです。驚きながらビデオやパネルで予習した後は境内へ。
↓泰澄の廟に寄り道
↓緩やかな石段を先へ
↓鳥居
↓鳥居をくぐると視界が少し開けて
↓芭蕉の句碑「うらやまし浮世の北の山桜」オリジナルは右の石碑です。
↓そして美しく苔が広がって…昨日の雨のおかげかしら?
↓突き当りは拝殿です。拝殿は兵火で焼けた跡地に1859年に造営されました。江戸時代の寄棟造榑葺。
↓御本社 1795年に当時の越前藩主により再建。総欅の入母屋造榑葺。
↓昇り龍、降り龍の丸彫り
↓苔の林を抜けて
↓三之宮への石段
↓三之宮は明治22年の改装。安産の守護神として崇められています。
↓白山への登拝道である越前禅定道がはじまるところ。最近熊が出没したため登山禁止になっていました。
↓また元の道を行きますと、左から拝殿、御本社、別山社と並んで見えました。
↓最後にこの美しい苔の絨毯を目に焼き付けて
↓御朱印
門前にある蕎麦屋で福井の名物「越前おろしそば」の昼食。とても美味しかったです!
またコミュニティ・バスに乗って勝山駅~福井駅と戻りました。
平泉寺14:01→勝山駅14:18/14:49→福井駅15:42
西武に寄って、コーヒータイムとお土産の買い物。次女に迎えに来てもらって戻りました。
試合で勝ったと元気いっぱいのY子。次回は春休みに会えるね!と、にぎやかに食卓を囲み、幸せなおばばでした。
10/6(日)
この日もテニスの試合(福井市内中学対抗戦)があるので、次女は応援とお世話係です。福井駅まで送ってもらって、リムジンバスで小松空港へ。早めのランチを済ませ
小松12:15→千歳13:45(ANA)で札幌に戻りました。(終)
(7-2)京都(白沙村荘橋本関雪記念館) [2019 初秋の旅 関西と福井]
~続きです。
「銀閣寺通」という広い道路にある停留所で降りて、標識に従って「白沙村荘 橋本関雪記念館」へ。その前に昼食をとろうと、きょろきょろ。かの有名な「草喰 なかひがし」が目についたものの、ここは予約必須ですからパス。そのうえ記念館併設のイタリアンと和食屋もクローズでした。空腹を抱えて記念館の受付へ。
ここは庭園から美術館へ辿るコースに設定されています。
↓東門前の石橋
↓嬌嬌門
↓四阿 如舫亭(あづまや じょほうてい)
↓池の向こうに存古楼(大作制作用の画室)
庭園内のお茶室「憩寂庵」から上記の存古楼(内部見学)、持仏堂と巡りました。池や典雅な建物群、点在する石造り美術品多数。橋本関雪画伯の美意識に徹した世界が広がります。最後は美術館へ。見学者は少なく園内ではせいぜい数人がちらっと見えるくらいでした。
↓美術館の入り口
2014年にオープンしたばかりの美術館です。大正、昭和期の日本画壇で活躍した橋本関雪(1883-1945)の作品は正直あまり知らなかったのですが、今回は名品展があり、大作を観ることができました。また中国美術に造詣が深く、作庭や別荘(大津に走井居、明石に蟹紅鱸白荘、宝塚に冬花庵)にも力を注いだ関雪の偉業を知ることができました。
↓晩年の作「秋桜老猿」1938
↓「琵琶行」1910
2階のガラス越しに庭園を望みながら、お薄と和菓子で休憩。
ミュージアム・ショップも充実していましたが、帰るころは係の人が来ないので諦めて退館しました。
バスで八坂神社まで。この近辺は路地から人があふれんばかりの観光客でいっぱい。祇園方面に歩き散策とおやつタイム。この日は結局昼食抜きでした。
京都駅に戻るバスも大混雑で、時間もかかり疲れました。夕食は早めに出かけました。予約なしでしたが、JR伊勢丹のレストラン階の「和久傳」へ。カウンター席が空いていてすぐ案内されました。
↓宵闇迫る京都の眺め
↓日本酒は青竹筒で
カウンターは次々お客さんであっという間に満席になりました。ほとんどが年配の一人旅か老夫婦なので、気軽に京都の食を堪能できました。
さて明日は次女の住む福井へ移動します。
(7-1)京都(曼殊院門跡、詩仙堂) [2019 初秋の旅 関西と福井]
10/2(水)
京都で2泊しても丸一日遊べるのはこの日だけです。京都駅ののA1乗り場から市バス5番で「一乗寺清水町」まで。この日は10月というのに30度を超す暑さでした。観光客の少ない路線のようで、地元のおばさんたちの「なんやろ~いつまでも暑うて、かないまへんなぁ」とかいう京都弁?を聞きながら、目的の停留所で降り、1Kほど歩くと曼殊院門跡です。道が入り組んでいますので、このエリアを訪ねる時はMAP必携です。
曼殊院門跡の歴史は古く(草創は8世紀)、当初は比叡山にあったそうですが、現在地に移ったのは1656年のこと。当時の皇族桂宮家の良尚親王の創意による造営で、江戸時代初期の代表的書院建築(桂離宮との関連)。歴代、学徳の秀れた僧の多かった名刹として知られ、国宝の黄不動、古今和歌集曼殊院本を蔵しています。
基本的にはカメラ禁止ですが、↓の庭園(枯山水)はOKでした。鶴をかたどった五葉の松(樹齢約500年)
↓藤袴
書院や客間には狩野探幽筆の障壁画や襖絵など。有名な「幽霊」の掛け軸はどこにあったのでしょうか?記憶にないので観ていないと思います。
生粋の寺院とも違う風雅な建築(茶室も拝見)の門跡は、また洛北の紅葉の名所としても知られています。
↓曼殊院門跡の御朱印
↓青楓でもその繊細な葉の連なりにウットリ。
↓この曼殊門跡の外壁と続く道。ここが紅葉の時期になると・・・さぞ素晴らしいことでしょう。
↓正門(いつもは閉まっています)
↓前の道を降りて、次の目的地「詩仙堂」を目指して歩きました。
途中迷いそうになりましたが、詩仙堂とか圓光寺の案内板がでていて、助かりました。
↓圓光寺も庭が自慢のお寺らしいのですが、素通りして詩仙堂へ。
↓入り口の門は「小有洞」と呼ばれる門、うっかりすると通り過ぎそうです。
参道を上り詰めたところ(左方向)の「老梅関の門」を抜けると初めて詩仙堂の建物が目に入ります。
↓詩仙の間から眺めた庭園
↓一旦外に出てから、先ほどの参道から「残月軒」のほうに回ります。
初秋の花があちこちに咲いていていて、風情があります。↓紫苑
↓酔芙蓉
「百花場」のあたりを花を追いながら散策 ↓秋明菊
↓椿も咲いていました!
秋の花は派手さはないけれど、しっとりとした風情で素敵でした。
↓裏山も迫っていて、洛北の自然に浸りました。
↓詩仙堂丈山寺の御朱印
白川通の停留所まで戻り、バスに乗車したのですが、次第に混んできてノロノロ運転に。ランチや次に行く予定だった祇園には何時に着くの? たまらず途中下車して、当初の計画には入っていなかった白沙村荘を見学することに・・・。続きます~。
(6)高野山(奥の院)~京都 [2019 初秋の旅 関西と福井]
10/1(火)高野山奥の院前14:40→高速京田辺17:00→京都駅八条口17:20
京都/都シティ近鉄京都駅2泊(27400円)
まだ薄暗い明け方起床、身支度して宿泊棟の隣にある蓮花院の本堂へ。宿泊者で参加したのは10名ほど。写経したものをお参りの後、護摩壇でお焚き上げしていただきました。このお寺は代々徳川一族の菩提所とのこと。
↓朝食
午後の京都行の高速バスに合わせて、奥の院の観光をしました。奥の院入り口にレストランやお土産屋さんの入っている建物があり、そこのコインロッカーに荷物を預けて身軽に動きました。
京都までのバスの切符も隣の案内所で購入できました。京都まで直通のバスはHPにはなかったので、一般ルートの極楽橋から橋本経由で行くつもりでした。ところが昨日の「世界遺産バス」にこのバスのポスターを発見!乗り換えなしで乗車時間も30分短いので、こちらに変更したのです。運航が始まったのは9/20からでしたので、ラッキーでした。現在はHPも整えられ、NETで予約購入できるようです(2500円)。
↓高野山奥の院入り口
お墓が並ぶところから抜け出して歩きますと、ほとんど人がいません。
↓親鸞聖人供養塔
↓右の橋を渡ると英霊殿
↓ご近所の方なのでしょうか、お花やお線香、手製の前掛けなど、信仰の篤さが伺えます。
↓お地蔵さんたちが可愛らしく並ぶ塚
↓奥の院の社が並ぶところが近くなりました。御朱印をいただいたり、御供所でお休みをしたり、のんびり過ごしました。
↓この御廟橋を渡ると奥の院弘法大師御廟です。帰途振り返って撮りました。
↓高野山奥の院の御朱印
元の中の橋(バス停では奥の院前)に戻り、バスの出発まで遅くなった昼食を済ませました。昨日の昼から精進料理だったせいか、ビールにかつ丼を注文してしまいました。美味しかったです。
京都行の高速バスはここが始発でした。高野山の中ではBSがいくつかありますので、どんどん乗客が増えて、ほぼ満席でした。途中トイレ休憩もあり、道の駅だったので美味しそうなものが売られていましたが、買う時間はありませんでした。京都市内に入ったころは夕暮れ時になり、久しぶりの都会のネオンでした。八条口に着いたのもホテル側なので便利でした。
5泊以上になると宅配便で着替えを旅先に送ります。無事荷物が届いていました。レセプションで受け取り部屋へ。
↓京都のホテル 駅構内から出入りできるので便利です。新しく静かで気に入りました。
老人にはやはりベットが寝起きが楽です。
夕食はホテルの玄関を出るとレストラン街にもつながりますので、鰻が主体ですが、庶民的な居酒屋さんでちょこちょこおつまみ風なものをいただいて、ほろ酔い気分でホテルに戻りました。
タグ:高野山奥の院
(5-2)高野山(壇上伽藍&金剛峯寺) [2019 初秋の旅 関西と福井]
~続きです。
高野山の歴史は1200年前に弘法大師によって開かれた真言密教の修業道場であり、全国に広がる高野山真言宗の総本山です。壇上伽藍はこの後訪れる金剛峯寺や奥の院も含めた聖地のことらしいのですが、紛らわしいので一応地図に従って壇上伽藍を区別して見学します。
壇上伽藍の南側から入りました。広い境内には根本大塔をはじめ金堂などいくつかの建物が配置されています。
↓中門
↓金堂(現在の建物は7度目の再建/1939築)
金堂の本尊は高村光雲作の薬師如来(秘仏)
金堂の左に行きますと↓六角経堂 オリジナルは鳥羽法皇の菩提を弔うために皇后が一切経を収めるための経堂ですが、現在の建物は1934年築。
↓近くでのんびり休憩中の外国人観光客
↓突然現れる赤い鳥居。密教の総本山とは言え、古くからの神仏習合思想はしっかり根づいています。
↓上の鳥居の向こうに御影堂(弘法大師の御影を奉じていた)
↓木造のお堂の軒先の簡素な美。
↓西塔/創建は9世紀ですが、現在の建物は1834年に再建。擬宝珠(ぎぼし)高欄付多宝塔。
どの建物も必見!の素晴らしい伽藍です。古い木造のお堂群の向こうに見えるカラフルな大塔もまた美しい眺め。
↓大塔/真言宗密教の根本道場のシンボルとして創建されたのが9世紀。根本大塔とも呼ばれています。
実際に参拝&見学できたのは金堂と大塔だけでしたが、伽藍に点在する各お堂の佇まいに魅了されました。最後は蓮池の横を通って次の金剛峯寺に向かいました。
↓途中で見かけた高級そうな宿坊
↓金剛峯寺門前
高野山真言宗の総本山。1593年に豊臣秀吉の亡き母の菩提を弔うために建立。現在の↓本坊は1863年に再興されたもの。
既に夕方5時近くなっていましたので、滑り込みセーフ。最終回の見学に間に合いました!受け付けは本坊右です。
↓本坊玄関付近の木彫が素晴らしいので撮りましたが、場所によってカメラ禁止のところがあるから気を付けてねと注意されました。
↓廊下はOK?天井の曲線の梁(補強も兼ねている)が美しい~。
↓先に進むと石庭
順路に従っての見学は秀次が自刃した部屋や、襖絵のある客間、大きな台所など回りましたがほとんどが撮影禁止でした。
↓御朱印は左壇上伽藍、右金剛峯寺でいただきました。
泊まっている宿坊はすぐ近く、さすがに疲れましたが、夕飯の時間です~と、館内アナウンスで呼ばれたので食堂へ。
↓宿坊の精進料理
食後は部屋に戻って、写経に挑戦しました。ただお手本(筆ペンと和紙は別料金で1500円)をなぞるだけなのにたっぷり1時間以上はかかりました。
明日の朝はお寺で勤行があるので、お風呂に入って早めに就寝。
(5-1)湯の峰温泉~高野山(霊宝館) [2019 初秋の旅 関西と福井]
9/30(月)
湯の峰温泉8:29→中辺路乗り換え→高野山千手院橋11:55 高野山/宿坊蓮華院1泊18.000円
↓朝の湯の峰温泉
↓バス停は国際色豊か。英語はもちろん伊語や仏語も聴こえてきます。
人家もない停留所で英語圏の若者が慣れた風に降りて行ったり、村の道を白人の若い女性が一人で歩いていたり・・・行動力溢れる海外の若者たちです。
中辺路までは混雑いていましたが、中継地(中辺路美術館)で降りて「世界遺産バス」というネーミングのバスに乗り換えたのは私とカナダ人のカップルの3人だけでした。
彼らは龍神温泉の素敵な和風旅館で降りたので、中辺路から高野山まで乗ったのは私一人でした。ちなみにバス代は5000円!
↓宿坊蓮花院の門
↓宿泊棟は門を入って左にある新しい建物で、エレベーターで2階の部屋へ。6畳の和室でTVはありませんがバストイレ付。
荷物を置いてすぐ観光に出発しました。地図を確認しながら徒歩で10分ほどの高野山霊宝館へ。
↓「高野山の名宝展」開催中
金剛峯寺蔵から平安時代の国宝一切経や唐櫃、重文の大日如来坐像ほか素晴らしい仏像が並んでいました。
↓孔雀明王像(絵葉書)重文/金剛峯寺 快慶作鎌倉時代
↓「四天王立像」重文/金剛峯寺 快慶作 鎌倉時代
1921年の開館当時に建てられたという旧館は日本現存最古の木造博物館とのこと。そのせいかお寺を巡っているような気持がして、落ち着きました。
ここで興味深かったのは佐竹本三十六歌仙絵巻(影印本/大正時代)が展示されていたことです。10月12日から始まる京都国立博物館の特別展(残念ながら日にちが合いません)に移されるのかどうかわかりませんが、益田孝氏寄贈なので、重要な絵巻であることは間違いないでしょう。
さて、右に壇上伽藍を横目にいったん通り過ぎて、昼食は「角濱ごま豆腐総本舗」へ。
↓豆腐懐石
食後はのんびりする暇もなく、大門も遠くから眺めただけで、壇上伽藍の見学へ。
続きます~。
タグ:高野山
(4-2)十津川温泉~熊野大社~湯の峰温泉 [2019 初秋の旅 関西と福井]
~続きです。
十津川で奈良県を離れ和歌山県へ。バスで南下すると30分ほどで熊野本宮大社に到着しました。
停留所近くに荷物預かり所もあります。身軽になって早速境内へ。
158段の石段を上っていきますと途中に小さな宝物殿があります。
ここでは十津川でも触れた明治22年の大洪水の時に、熊野本宮が流失したことも改めて知ることができました。
江戸末期に描かれた「熊野本宮并諸末社圖繒」が残されていて、大斎原(おおゆのはら)の社殿が描かれています。社殿は現在の地(地図では左上)に移されました。
↓「熊野本宮八葉曼荼羅」
14世紀、南北朝・室町期の作 阿弥陀仏如来を中心に「中台八葉院」と呼ぶ様式で、熊野三山の信仰から生まれたもの。絵解きは難解です。
係員は中年の女性一人、見物客も私一人だけ。私が札幌から来たと言うと、嵐の追っかけでコンサートのために初めて札幌に行くのと嬉しそうでした。
また石段を上り、大鳥居の向こうに社殿の並ぶ広場に到着。石段の途中で寄り道したのが休憩になったのかも、意外に簡単に登れました。
↓社殿は第4殿までありますが、主祭神の家津御子大神は第3殿に祭られています。神社縁起によりますと、午前中に訪れた玉置神社と同じく、崇神天皇の時代(紀元前97~29)に初めの社殿が建てられたとかで、まさに日本古来の土着&神話の信仰から発展して、この地こういう形であることの不思議さを感じました。
↓背景の緑に溶け込んで、すがすがしく厳かです。
↓来た時とは違う道があるとの道標があり、そちらへ。
↓ 人影もなく、雨で滑る心配もないのですが…大きな石がゴロゴロ
↓古い参道は階段状でなく、坂道なのが嬉しい・・・先ほどの石段とほぼ平行です。この参道はカフェや土産物屋さんが並ぶ道に続いています。
↓カフェタイム/タピオカ抹茶ミルク
↓熊野本宮の御朱印と八咫烏のお守り
休憩の後はバスの時間まで大斎原(おおゆのはら)に行きました。コインロッカーの近くに道標があり、徒歩数分で行くことができます。
↓大きな鳥居は2000年に造営されたもので日本一大きいそうです。
↓前を歩くのは外国人のバックパッカー。アジア系より白人系の多いのが熊野~高野山の特徴でした。
↓もちろん社殿の跡が残るばかりで、寂寥感・・・。
ロッカーで荷物を出していると老年&中年の母娘。これから湯の峰温泉へ行くというので、一緒にバスで向かいましたが、彼女たちは途中の高級宿へ。私はバス停そばの古い宿へ。湯の峰温泉/いせや 1泊
宿泊料は今どき現金(2食付き1万円)を先払いして2階の部屋へ。眺めの良い広い和室ですが、冬は寒いだろうな~と思える安普請。食事も朝夕とも仕出し弁当で,駅弁より不味いし、お風呂も暗くて不気味と踏んだり蹴ったり。
唯一良かったのは窓から日本最古といわれるひなびた湯の町界隈と、つぼ湯を眺められたことでしょうか。目の前がバス停なのも朝寝坊の私には好都合でした。↓部屋の窓から
↓夕食(熊野古道麦酒)
明日は世界遺産バスで、中辺路乗り換えで高野山に向かいます。
(4-1)十津川村(玉置神社) [2019 初秋の旅 関西と福井]
9/29(日)
ホテル昴8:40→玉置神社9:24/11:10→ホテル昴11:54/13:45→熊野大社14:23/16:40→湯の峰温泉16:50
昨日の雨模様とは打って変わって朝から晴天!今日訪れる玉置神社は土.日.祝日だけ十津川から観光バスが出ます。完全予約制なので1か月前くらいにNETで済ませていました(往復で1620円)。ホテルに荷物を預け、迎えに来たマイクロバスで玉置山(標高1000M)に向かいます。
☆玉置神社は熊野三山の奥の院として古くから熊野詣や修験僧の信仰篤い霊場です。
↓ 下界は晴れていましたが、山頂付近には霧が立ち込めて景観は望めません
大きな駐車場や土産物屋さんの横に鳥居があり、ここからは自由散策になりました。
↓向こうから神社の方が歩いてきたので、それほどの距離ではないかな?と、マイクロバスで一緒だった若い人たちについて歩き始めました。
↓山草を撮ってるうちに
↓あら!誰も見えなくなりました・・・
↓道のわきのしめ縄に紙垂が見えたので神域に入った印、もうすぐかな~
途中で道が分かれ左は簡単に行ける道、右は階段になっています。魔が差して右に・・・。
↓霧の向こうに人影が見えてほっ!でも近くまで行ったら直ぐいなくなってしまいました。
↓あちこちに杉の巨樹群
↓ここでようやく道標が
霧の中をウロウロ、おろおろしつつ、本宮に着いたときは汗びっしょり。
↓・・・なのに本宮の写真がありません。ネットから拝借。
入母屋造り内陣に三社を奉祀、欅(けやき)材。霊場という言葉がぴったりの霧の中の古い社殿でまず参拝しましたが、
息も絶え絶えに表れた白髪の老女に驚いたのか、声をかけられて北海道から来たことを告げると、そのかたは地元のボランティアの人でした。必然的に「新十津川」の話になりました。明治22年の大水害の時二千人以上の村民が北海道に移住して開拓、「新十津川」の町になっています。その町には親戚もいませんし、1991年NHKの朝のドラマ「新十津川物語」もほとんど見ていませんでした。でも道北の故郷の実家の隣家が、小さな家内工場の馬橇屋さんでした。当時の新聞でここで造った馬橇をドラマで使ったということが載り、びっくりしたことを思い出しました。最近起きた熊野川の氾濫も大きな被害を及ぼし、北海道の新十津川から見舞金やボランティアが来たそうです。ほとんどの開拓者たちと祖先の地は交流があまりないなかで、十津川村と新十津川村の交流は素晴らしいです。
↓さて、この方の案内で神社の裏のご神木(神代杉)を観て
社務所にあるという襖絵を観に行ったのですが、社務所の方に「急に言われても・・・今日は観られないよ」と、残念ながら見ることはできませんでした。予約したほうが確実です。時間も残り少なくなりました。
↓三柱神社
↓横の階段の上から
帰りの道は登り道(それほど険しくない)でしたが、来た時の半分の時間(15分)ほどで元の駐車場にたどり着きました。
↓駐車場にあった道案内
マイクロバスでホテル昴まで戻る途中、ようやく霧が晴れて十津川村の景色が見えました
↓マイクロバスからの熊野川
午後のバスの時間までホテルで昼食をとったり、近所の散歩をして過ごしました。
↓ホテルの駐車場のわきのトンネルを抜けると、熊野川沿いの道路に出ます。
↓自動車の往来があるので注意!道路を横断して熊野川の川岸へ。
↓果無峠へはこの橋を渡ります。果無集落への道は熊野古道の小辺路のコース上にあり、かなり人気で、頑張ってみたかったのですが・・・時間もなく断念しました。
↓柳本橋は吊り橋です。誰も歩いていませんので、余計に怖くて1歩も踏み出せず・・・。
ホテルから荷物をピックアップして、バスで次の目的地「熊野大社」へ。続きます~。
タグ:玉置神社
(3)奈良~十津川温泉 [2019 初秋の旅 関西と福井]
9/28(土)
近鉄奈良10:43→大和西王子(乗り換え)→大和八木11:17/11:45(バス2番乗り場)→ホテル昴16:20
今日はバスで大移動です。大和八木駅から奈良交通の「日本一長い路線バス」を利用しました。ツアー以外で4時間35分もバスに乗るのは稀なことかもしれません。
近鉄奈良駅の近くで昼食用の柿の葉寿司を購入した後、電車を待つ間でしたが、一瞬めまいがしました。幸いキャリーバックの取っ手につかまって、倒れずに済みました。その後は何事もなく旅ができたのですが・・・冷っとした出来事。まさに年寄りの冷や水(汗)。
電車で大和八木駅に到着。広場に面して観光センターがあり、ここでチケット3400円を購入。最終地の新宮まで乗ると到着はさらに2時間遅くなります。
乗客はほとんどが地元のお年寄りたちで、細かに各駅停車する(主に病院)のです。だから時間がかかるので、観光には無駄といえばいえるのかも知れません。1時間後、五条バスセンターで、初めてのトイレタイム停車がありました。この町で観光する計画もあったのですが、そのためには早朝出発がマストなので、却下。
バスは市街地から熊野川に沿って国道168を南下します。どんどん山の中に入っていきます。
乗客もめっきり少なくなってきて、雨も降ってきました。人家もない道で降りた老人の心配したり・・・。次の休憩は谷瀬のつり橋です。無料ですが途中まで渡ると怖くなって戻りました。
十津川温泉には何軒か温泉宿がありますが、次の停留所(5分くらい)のホテル昴に宿泊しました。写真は翌朝写しました。
コインランドリーがあるのでお風呂の間に洗濯も済ませ夕食のレストランへ。
↓ご馳走が並びました。上左釜飯、下右鍋物。
騒ぐ人もいなくて、静かな宿でした。移動疲れで熟睡。
タグ:十津川温泉
(2-2)奈良(般若寺) [2019 初秋の旅 関西と福井]
~続きです。
バスと徒歩でコスモスの寺として有名な般若寺を訪れました。曇り空のうえコスモスも時期に1週間ほど早かったようでした。満開になると見事なものでしょう。コスモスの花に埋もれるようにたたずむ石仏(江戸時代に奉納された)たちの姿が印象に残りました。
↓般若寺の楼門は国宝(鎌倉時代)です。楼門の遺構としては日本最古の作例。
また、春と秋にはここ般若寺の秘仏が公開されます。本堂奥の宝蔵堂で拝見できました。
昭和の大修理(1964)の時、十三重石宝塔より発見された阿弥陀如来立像(白鳳期7世紀後半の作)です。
石塔が奉納されたのは800年前のこと。様々な説から女帝だった持統天皇ゆかりの念仏像と考えられています。
↓秘仏阿弥陀如来(いただいた資料からスキャン)
顔の大きさの割に手足が小さくアンバランスな童子のような姿。白鳳期特有の微笑を浮かべたお顔。総高は40.9センチと小ぶりなのも高貴な女性(持統天皇)の持念仏として大事にされてきたと思われます。
再びバスで奈良駅前に戻りました。夕食はホテル内の中華レストランで、宿泊者優待のディナーコースをいただきました。
↓前菜ピータン、クラゲなど
↓デザートは杏仁豆腐
シェフが一人?らしくて休日もあり、昨夜はオープンしていなかったのです。点心なども写真撮り忘れましたが、すべて美味でした。
タグ:般若寺