(4-1)十津川村(玉置神社) [2019 初秋の旅 関西と福井]
9/29(日)
ホテル昴8:40→玉置神社9:24/11:10→ホテル昴11:54/13:45→熊野大社14:23/16:40→湯の峰温泉16:50
昨日の雨模様とは打って変わって朝から晴天!今日訪れる玉置神社は土.日.祝日だけ十津川から観光バスが出ます。完全予約制なので1か月前くらいにNETで済ませていました(往復で1620円)。ホテルに荷物を預け、迎えに来たマイクロバスで玉置山(標高1000M)に向かいます。
☆玉置神社は熊野三山の奥の院として古くから熊野詣や修験僧の信仰篤い霊場です。
↓ 下界は晴れていましたが、山頂付近には霧が立ち込めて景観は望めません
大きな駐車場や土産物屋さんの横に鳥居があり、ここからは自由散策になりました。
↓向こうから神社の方が歩いてきたので、それほどの距離ではないかな?と、マイクロバスで一緒だった若い人たちについて歩き始めました。
↓山草を撮ってるうちに
↓あら!誰も見えなくなりました・・・
↓道のわきのしめ縄に紙垂が見えたので神域に入った印、もうすぐかな~
途中で道が分かれ左は簡単に行ける道、右は階段になっています。魔が差して右に・・・。
↓霧の向こうに人影が見えてほっ!でも近くまで行ったら直ぐいなくなってしまいました。
↓あちこちに杉の巨樹群
↓ここでようやく道標が
霧の中をウロウロ、おろおろしつつ、本宮に着いたときは汗びっしょり。
↓・・・なのに本宮の写真がありません。ネットから拝借。
入母屋造り内陣に三社を奉祀、欅(けやき)材。霊場という言葉がぴったりの霧の中の古い社殿でまず参拝しましたが、
息も絶え絶えに表れた白髪の老女に驚いたのか、声をかけられて北海道から来たことを告げると、そのかたは地元のボランティアの人でした。必然的に「新十津川」の話になりました。明治22年の大水害の時二千人以上の村民が北海道に移住して開拓、「新十津川」の町になっています。その町には親戚もいませんし、1991年NHKの朝のドラマ「新十津川物語」もほとんど見ていませんでした。でも道北の故郷の実家の隣家が、小さな家内工場の馬橇屋さんでした。当時の新聞でここで造った馬橇をドラマで使ったということが載り、びっくりしたことを思い出しました。最近起きた熊野川の氾濫も大きな被害を及ぼし、北海道の新十津川から見舞金やボランティアが来たそうです。ほとんどの開拓者たちと祖先の地は交流があまりないなかで、十津川村と新十津川村の交流は素晴らしいです。
↓さて、この方の案内で神社の裏のご神木(神代杉)を観て
社務所にあるという襖絵を観に行ったのですが、社務所の方に「急に言われても・・・今日は観られないよ」と、残念ながら見ることはできませんでした。予約したほうが確実です。時間も残り少なくなりました。
↓三柱神社
↓横の階段の上から
帰りの道は登り道(それほど険しくない)でしたが、来た時の半分の時間(15分)ほどで元の駐車場にたどり着きました。
↓駐車場にあった道案内
マイクロバスでホテル昴まで戻る途中、ようやく霧が晴れて十津川村の景色が見えました
↓マイクロバスからの熊野川
午後のバスの時間までホテルで昼食をとったり、近所の散歩をして過ごしました。
↓ホテルの駐車場のわきのトンネルを抜けると、熊野川沿いの道路に出ます。
↓自動車の往来があるので注意!道路を横断して熊野川の川岸へ。
↓果無峠へはこの橋を渡ります。果無集落への道は熊野古道の小辺路のコース上にあり、かなり人気で、頑張ってみたかったのですが・・・時間もなく断念しました。
↓柳本橋は吊り橋です。誰も歩いていませんので、余計に怖くて1歩も踏み出せず・・・。
ホテルから荷物をピックアップして、バスで次の目的地「熊野大社」へ。続きます~。
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