SSブログ

十一面観音を巡る旅(18)秋の南山城 [2014秋の京都(三井寺・青蓮院・相国寺]

~続きです。

 加茂駅東口でバスを待っていましたら、さきほど海住山寺へのコミュニティバスで隣席だった若い女性が現れました。海住山寺からバスには乗らずに徒歩で降りてきたそうで、元気いっぱいです。岩船寺から浄瑠璃寺の道も歩くそうです。石仏巡りのコースだそうで勧められましたが、この時の私は体力の限界近くでした。無理はできないわと、バスで移動するつもりでした。

 加茂市の当尾の里は低い丘陵の連なる静かな山里です。バスは南下して秋の山里を走り、岩船寺へ。岩船寺は15年ほど前に一人旅で訪れてましたので再訪です。門前にお店が増えたほかは変わっていません。

☆岩船寺

 創立は天平元年(729)、聖武天皇が発願し、僧行基に命じて阿弥陀堂を建立したことが始りと伝えられています。その後も弘法大師や嵯峨天皇の関わりがあり、堂塔伽藍が整備され寺号も「岩船寺」として発展しました。最盛期には29の坊舎を有していたのですが、承久の乱(1221)の兵火により堂塔の大部分を失い、その後も再建しては兵火に遭うということで荒廃しました。江戸時代の徳川家の寄進による修復や昭和63年の本堂の再建により現在に至っています。静寂な境内には四季を通じて多くの花が咲き誇る「花の寺」としても有名です。

↓山門

DSCF3071.JPG

 まずはここの貴重な仏像たちの収蔵されている本堂へ。撮影は禁止ですので、パンフレットからスキャンしましたが、少々歪んでしまいました。

↓お目当ての十一面観音立像(左)と普賢菩薩騎象像(右)

岩船寺4.jpeg

 十一面観音は鎌倉時代の製作。観音さまの装飾、光背の唐草文様や台座なども写実的で精巧な彫です。白象に乗る普賢菩薩さまは平安時代に作られた重要文化財で、もとは三重塔に収められていました。

↓三重塔(室町時代)重要文化財  内部の壁画は平成15年に復元されたもの。

DSCF3074.JPG DSCF3073.JPG

DSCF3077.JPG

↓御朱印

岩船寺1.jpeg

 十一面観音さまのパワーでしょうか、お陰様で疲労もずいぶん回復しました。看板の浄瑠璃寺まで2Kの表示を見て歩くことにしました。この散策コースは石仏の点在する道で、一緒に看板を見ていた60代くらいのご夫婦も歩いてみよう~と、先に行かれました。私もつられて後ろから歩くことにしました。

↓山道に入る前の集落に猫が道路の真ん中に寝そべっていました。

DSCF3080.JPG

↓ 何か頂戴!とねだるので、お昼に余った柿の葉寿司の鮭を上げたり遊んでいるうちに、前を歩いていたご夫婦が見えなくなって・・・

DSCF3081.JPG

↓急に歩くことに決めたので、地図の手持ちもありませんから、あわてて追いかけました。

DSCF3083.JPG 

↓途中に石仏ありの表示があり

DSCF3085.JPG

↓急な階段の下に「不動明王」の石仏

DSCF3084.JPG

↓また少し歩きました。さきほどと同じような階段が見えたのですが、上り下りがきついのでパスしたのです。ここから降りると近道できたようです。

DSCF3086.JPG

↓ 先ほどの標識を見誤ったので、行けども行けども山道で浄瑠璃への道しるべがありません。「お~い!」北海道と違って熊はいないと思うけれど、蛇か猪でも出そう・・・。雨だったらぬかるんで悲惨でしたが、お天気が良かったのは不幸中の幸い。そのうち山道から抜け出て、見晴らしの良いところに。でも山ばかり・・・。

DSCF3087.JPG

↓ ようやく下の道にでました。道端に小さな石仏。でも最後の標識から1K以上は歩いたのに、浄瑠璃寺まであと2Kとあり目が点!

DSCF3089.JPG

↓ でも道端に瓢箪のなる畑が見えてきて、人里近いと安堵。

DSCF3091.JPG

↓そして大きな石仏のあるところに出ました。やれやれと水を飲んだりひと休みしていましたら、バスで一緒だった女性がひよこっと上の方から現れました!彼女は私たちの下り方向の安易な道でない山道の方向に行ったはずですが・・・。二人でどこを通ったのか、地図を見ても良くわかりません。私が遠回りをしたのは確かでしたが・・・不思議。そんな戸惑う私たちをみて微笑む「笑い仏」さま。写真では左の仏様が隠れてしまいましたが、阿弥陀三尊像(1299)です。

DSCF3092.JPG

ま、とにかく歩きましょう。この後は迷ったら困るので二人で歩きました。秋の日は早くも落ちてきて寒くなってきました。

↓畑や人家の見える里に下りると道角に「からすの壺2尊」(1343)と呼ばれる石仏が2体。「山中で迷子にならずに済みました。ありがとうございます」とお参り。正面は阿弥陀如来坐像と左側面に地蔵菩薩立像が彫られています。

DSCF3093.JPG

DSCF3095.JPG

DSCF3097.JPG

↓浄瑠璃寺近くの「藪の中の三尊」。右から十一面観音(長谷寺式)、地蔵菩薩、左の阿弥陀如来坐像は銘文によると1262の製作ですが、天平のお顔立ち。当尾の石仏の中では最古とのこと。藪の中といっても浄瑠璃寺近くの車道に面していますので、車での観光客も立ち寄っています。15年前にタクシーの運転手さんが案内してくれたのも多分ここだったのでしょう。忘却の彼方・・・。

DSCF3099.JPG

DSCF3100.JPG

 そして、浄瑠璃寺に着きましたが予定より30分は遅れてます。奈良に戻るバスは1時間後の出発なので、急いで境内へ。同行していただいた彼女はここから加茂に戻り、京都に出るとのことでお別れ。歩くのが遅い私に合わせてくれたり、飾り気のないさっぱりしたなかに優しさを秘めた方でした。今回の私の旅の天使です~♪

↓浄瑠璃寺山門

DSCF3101.JPG

ここも再訪です。秘仏の「吉祥天女像」の開扉に合わせて15年前の秋に岩船寺と合わせて来ていました。懐かしい~。

☆浄瑠璃寺

 創建は1047年平安時代で、このとき本尊の薬師如来も製作されています。九体阿弥陀堂が建立されたのは1107年でした。その後、庭園の整備、本堂の移築と続き1178年に三重塔を京都から移築。秘仏のの吉祥天像が安置されたのは1212年の鎌倉時代のことです。寺名は創建のご本尊薬師仏の浄土である浄瑠璃世界からつけられました。

↓秘仏の吉祥天像(絵葉書)

浄瑠璃寺2.jpeg

↓九体阿弥陀如来像(国宝)藤原時代の中央に座す阿弥陀如来中尊像の光背(部分)。千仏を背景に飛天の姿に魅かれました(絵葉書)

浄瑠璃3.jpeg

 他にも秘仏になっている浄瑠璃寺創建当時の薬師如来像や大日如来像など、多くの優れた仏像の宝庫としても、境内の静寂美でも知られる名寺です。

↓三重塔(国宝)藤原時代  ここに奉じられている秘仏の薬師如来は明日が開扉とのこと。一日違いで見逃し・・・。

DSCF3102.JPG

DSCF3103.JPG

↓九体阿弥陀堂(国宝)藤原時代   太陽の沈む西方浄土へ迎えてくれる阿弥陀仏を西に向かって拝めるように東向きにし、前に浄土の池をおき、その対岸から彼岸に来迎仏を拝ませる形にしたもの。

DSCF3112.JPG

DSCF3110.JPG

 ↓池の畔の石灯籠から九体阿弥陀堂がみえます。お賽銭も写ってしまいました。

DSCF3114.JPG

DSCF3109.JPG

↓御朱印

浄瑠璃寺1.jpeg

 奈良行きのバスでホテルに戻りました。今回も友人のひろ子さんと同じ日に奈良に来ることになり、夕食を「温石」でご一緒しました。奈良の地酒「春鹿」で今年も正倉院展に来れましたと乾杯!カウンターでおまかせのコース料理をいただきました。全部カメラに収めたつもりでしたが、汁物とご飯ものが抜けたようですね?

IMG_0978.JPG

IMG_0979.JPG

IMG_0980.JPG

IMG_0981.JPG

IMG_0982.JPG

IMG_0983.JPG

IMG_0984.JPG

IMG_0985.JPG

 相変わらず美味しい和食におかみさんや隣の席の方たちとも楽しくおしゃべり。奈良がすっかりおお気に入り&お馴染みになりました。南都の古寺巡りはまだまだ続きそう・・・だったらいいなぁ~と祈りつつホテルに戻りました。今日の古寺巡りは苦行続きでしたが、明日は福井の孫たちに会いに行く楽々旅です。杞憂していた腰も痛みも出なくて、安堵しつつ眠りにつきました。


nice!(2)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 2

コメント 1

alice

岩船寺から浄瑠璃寺までの石仏の道で迷子状態になりましたが、その折、撮った写真も混同したものがありました。二重の迷子状態(汗)、今日になって気がつきましたので、訂正&加筆させていただきました。

札幌は地域によって降雪はまちまちなようですが、我が家の近辺はまだうっすらと数センチ積もったくらいです。大通公園のイルミネーションももう少し雪が降った方が綺麗でしょうね。

今年の忘年会はこれから4回の予定(これでも自粛中なのですよ)
by alice (2014-12-09 16:12) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。