(3-1)平戸~佐世保 [2015春(長崎・平戸カトリック教会群)]
5/7(木)
昨日は午後からお天気が崩れそうだったのですが、やはり朝から雨になってしまいました。今日は平戸周辺の5つの教会を訪れます。添乗員さんも前回の五島列島の時と同じ男性、参加者も2/3が前回参加されたお仲間とあって、違和感も少なく気軽に行動できたように思えます。
さて、バスはホテルから西へ10Kほどの山野教会へ。平戸の北にある安満岳(標高500m)の中腹に建つ教会です。
☆山野教会 教会を囲んで集落がひっそり並んでいます。最初の住民は幕府の禁教時代には五島に移住したのですが、結局は再移住して平戸島に戻ってきたと言われています。1887年その信者たちがラゲ神父の尽力により最初の仮の教会を建築。現在の教会は1924年に献堂され1981年増改築されています。
↓正面/ファサードは東向き。木造、煉瓦柄の新建材が張られています。小教会の屋根に小さな塔。
↓ 聖ヨハネに捧げられた教会なので、門の前に聖ヨハネの像が立っています。
↓新建材の外観に少々気落ちしましたが内部は三廊式で、改築前の姿をとどめています。大きな半円を描くアーチが多用され、おおらかな印象です。
↓身廊を仕切る列柱に特徴があります。四角面に半円のつけ柱を付け加えています。コリント風の鮮やかに塗られた植物文様が明るさを添えて。
↓ステンドグラスは半円と長方形のコンビ
↓後陣と側面
↓教会の前の坂道を少し下ると、水をたたえた段状の水田(棚田)。その向こうは東シナ海につながる湾。
ようやく雨も上がって青空が見えてきました。山野教会からまた西へ走り生月大橋を渡り、生月島へ。バスの窓が着色されているので、ブルーっぽく写ります。
生月島は外海の隠れキリシタンの里として知られています。戦国時代にはイエズス会宣教師による布教により島民全員が信者だったと言われています。禁教時代には仏教徒のふりをして生き残る道を選んだ「潜伏キリシタン」も多かったようです。しかし、200年もの間宣教師のいない状態が続き、信仰の内容も次第に土着化。それが祈祷文「オラショ」として残っているのです。バスを降りて数百メートル、畑や人家のなかの道はすれ違う車もほとんどなく、のどかな風景でした。
↓路傍に野あざみ
↓畑の向こうに山田教会が見えてきました。
↓野菜売りの無人スタンドと動物注意(牛?)の立札
☆山田教会 1912年に鉄川与助の設計施工によって完成。七つの秘跡/七つの御哀しみの聖母マリアに捧げられた教会です。
↓正面/南東に面した石張りのファサードは昭和45年の増改築で鉄筋コンクリートに変わりました。
↓内部/半円アーチがロマネスク。木張りの天井も趣がありますが、アーケードの上部のモザイク模様が装飾過多です。「七つの秘跡」を描いたとのことですが、このロマネスクの空間に抽象的な装飾はいかがなものでしょうか・・・。
↓側面/煉瓦壁の元の建築部分が残っています。手入れの行き届いた小さな花畑。
↓教会前の庭
↓遠くに生月大橋が見えました
山田教会の近くの「黒瀬の辻」へ。この島で信仰に生きた福者ガスパル西玄可が1609年に殉教した聖地です。「ガスパル様」と信者さんたちから呼ばれ崇められています。中央のパネルには殉教の時の悲痛な様子が刻まれています。
バスに戻りさらに北に走り、塩俵の断崖へ。
↓断崖の下は塩俵を積み重ねたようになった絶壁。
さらにお天気も良くなってきました。再び平戸島に戻り昼食をいただいてから、島の中央に位置する紐差教会へ。
続きます~。
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