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(2-2)木之本~高月~尾上温泉 [2016秋 湖北と明治村の旅]

~続きです。

 鶏足寺から石道寺までは山道を下って向かいました。距離も短く徒歩10分ほどで石道寺を見下ろす石段のうえに到着。

↓はじめは鬱蒼とした山道ですが 

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↓道しるべもあり安心です

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↓途中から石段になります。

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↓下から見上げるとかなりな傾斜ですね

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☆石道寺   もとの石道寺は現在の場所から東1キロの山間にあり、726年に延法上人によって開基され、己嵩山を中心として栄えた仏教文化の名刹のひとつでした。戦国時代には信長の兵火により全焼しましたが、再興されたものの徐々に衰退。明治中期には無住の寺になってしまいました。大正になってから里人の手により移築、遷仏され、同時に高尾寺の仏像も一堂に合祀され守られています。

観音堂の右隣の受付棟で拝観料を収めた後、観音堂に案内されます。

↓本尊の十一面観音立像  平安中期の作、欅一木造り、極彩色 、173.2cm

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当然彩色は褪せていますが、優しい微笑みをたたえた唇のほのかな紅、裳裾に残る朱が古色のなかに華やかな残影をみせています。「村の娘のような」といわれていますが、室生寺の十一面観音像を思わせるような「山の仏」のきりりとした気品もあり、魅了されました。 

他には同じ厨子に旧高尾寺の十一面観音立像(平安中期、木彫金箔、101.6cm)が両脇に祀られ、重文の持国天・多聞天立像も安置されています。

↓観音堂

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↓石道寺の御朱印

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 木之本に戻るバス停は石道寺から西方向に700Mほど、ほぼ1直線の道を行きます。参拝者は車やタクシーで来られる方ばかりで、歩いているのは私だけです。10分ほどで高時川にかかる井明神橋の手前の広い道に出ます。

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ここを右折して50Mくらいにバス停。小さな待合所には椅子もあったので、バスを待ちながらおやつを食べたりのんびりできました。木ノ本駅までのバスの乗客は私一人でした。宿に戻り、預けた荷物をピックアップして次の目的地高月に向かいました。この日は長浜から木ノ本駅までSLの走る日でしたが、時間が合わず乗れなかったのは残念でした。蒸気機関車の煙や汽笛、走り去る姿を遠望しただけで終わりました。

 高月駅は隣駅なので電車で数分の距離です。早速、コインロッカーに荷物を入れて、湖北の観音の里では屈指の十一面観音を擁する向源寺の方向へ。 徒歩で10分くらいですが昼時も過ぎてましたので、見学の前に腹ごしらえ。

↓歴史民俗資料館のそばの食堂でお勧めの鮒ずし(稚魚のなれずし)をいただきました。

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 ☆高月観音の里 歴史民俗資料館   観音観音菩薩湖北地方高山の仏教文化を支え栄えた寺院の多くは時の流れとともに衰退し、無住・廃寺化したのですが、残された観音像は村の守り本尊として里人たちによって手厚く守られてきました。観音信仰は上から目線の押し付けでない民衆による自分たちの信仰なのです。それが私たちの心を打つのでしょう。

この資料館のなかでは最も美しい十一面観音座像です。今まで観てきた十一面観音は立像がほとんどでしたから珍しかったです。元は宇根(高月町)の冷水寺収蔵。少年のような面差し、あどけなさの残る仏さまに思わず「かわいい~!」。台座の彫も見事です。作風から平安期と思われますが詳しいことは不明。

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二階の展示はパスして渡岸寺観音堂へ。

↓「渡岸寺の野神」と呼ばれる欅の神木 

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↓渡岸寺の山門から境内へ

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 上の写真のお堂から入り廊下続きの収蔵庫へ。 ここに近江の至宝と言われる国宝の十一面観音立像が安置されています。

↓十一面観音立像(向源寺)檜の一本造 177.3cm 平安初期の作(9世紀)

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 展示室での仏像鑑賞はあまり好きではないのですが、厨子内にある場合は正面のみの拝観ですが、展示室の明るい照明の下では後や横からの形態をじっくり観ることができるという長所があります。 特にこの十一面観音は生き生きした動きの感じられる仏像なので、ぐるぐる回ってため息つきつつ拝観しました。大きなピアス式の耳飾りが大津三井寺の黄不動に共通することから9世紀の作と考えられています。戦国時代の信長と浅井・朝倉連合軍の戦いのときは里人たちが土の中に埋めて守ったという伝説もあります。女性的で高貴なプロポーションは私好みの古様で鄙びた仏像とは一線を画す堂々たるお姿で、圧倒されました。

↓ ここにはもうひとつ十一面観音立像があります。やはり向源寺にあったもの。カヤの一木造、39.3cmの 小さな仏像ですが、柔らかな微笑、水瓶を持つ左手や右手の自然な表現、全体の雰囲気も小ぶりながら匠の優れた技法を感じさせる優品です。

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  高月駅に戻り、今夜の宿の送迎バスが迎えに来る時間まで、構内のカフェコーナーでコーヒーでひと休み。今日の観光は順調に進み、予定より1時間早く宿に入ることができました。今夜のホテルは奮発して尾上温泉の名旅館として知られている「紅鮎」です。大抵のこのクラスの宿は一人客は受け入れないのですが、ホテルのコンセプトが人数にかかわらず「旅を楽しむ人の味方」とのことで、泊まることができました。

↓ ツインの角部屋。最新式のマッサージ機が置いてあり

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↓洗面所に続いての露天風呂。琵琶湖を眺めながら早速入浴しました。遠くに明日訪れる竹生島が見えました。

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 ↓そろそろ夕方です

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↓琵琶湖に夕陽が沈むころ

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↓夕食も朝食も部屋食を選べます ので、独りでも気兼ねなく会席料理をいただけます。さすがの美味三昧でした。(お刺身と揚げ物、締めのご飯ものは写真忘れ)

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 なお冷蔵庫の飲み物はビールも含めて無料。係の女性のさりげない心配りにも感心しました。就寝前に再び入浴、そしてマッサージ機で凝りほぐしして就寝。

 

 

 

 

 

 

 

 


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(2-1)木之本 [2016秋 湖北と明治村の旅]

11/6(日)

 朝風呂も貸し切りのお風呂(全部で3つ)が 使えたので、週末でもあまり泊り客が居ないのかしら?と朝食室に行ってみると、別室の団体さんも含めて十数人の姿。昨日の午後の玄関締め切り事件で泊り客は極少ないと思い込んでいたので、少々意外でした。

 9時にチェックアウトし、迎えに来たタクシーで医王寺へ。医王寺はバスの便がなく、一番近い川合のバス停から山道を2K以上は歩かなければなりません。タクシーの運転手さんに「バス停のある村から歩いて行くつもりだったのよ」というと、仰天されました。この山道は熊や猪、それに猿も出没するところなのだそうです。一応舗装はされていますが、すれ違う車もなく深い山道を抜けると、医王寺のある村落に着きました。お寺のそばに駐車場もあります。9:20分に予約していましたが、すでにお世話役の方がお堂を開けて待っていてくれました。早速正面の厨子に祀られている十一面観音立像を拝観させていただきました。

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  ☆医王寺  大箕山頂にある菅山寺の専暁上人が開基したと伝えられています。菅山寺は菅原道真公の所縁の寺で古い歴史のある寺院だそうです。その菅山寺への登り口にあたる医王寺には美しい十一面観音立像が安置されています。明治20年ころに長浜の古物商の店頭にあったのを当時の医王寺の住職が買い受けて、寺に持ち帰りお祀りしたとのこと。元は神仏分離政策がとられたとき近くの巳高山のお寺から流出したものと考えられています。フランスのロマネスク教会も革命時に破壊され、崩れた石や彫刻が売りに出されたというケースもありました。歴史の波に流されながら生き残った、その昔匠たちの手で祈りとともに刻まれたものたち。よくぞ、ご無事でと想い、祈らずにいられません。

↓写真は禁止ですが、観音堂の外からは許可されました。肝心の頭上が切れてしまいました。

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↓穏やかな微笑みを浮かべて 、細身の初々しさの残るお姿。樟1本造で、裳裾の表現などで、平安期(9世紀後半から11世紀前半)の作風と言われています。

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 今年の夏には東京芸術大学の特別展「観音の里の祈りとくらし展」

http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2016/nagahama2/nagahama2_ja.htm 

に貸し出されていたのですが、瓔珞や光背は壊れやすいのでここ医王寺に残されたそうです。その展覧会でご覧になって感銘を受けられた方が、つい最近ここまで訪ねて来られたとのこと。また井上靖氏も何度となくお参りされたとのお話など、山深いかくれ里 の美しい観音さまを前に非日常のゆったりした時間を過ごすことができました。

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 ↓医王寺の近くを流れる高時川

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 元来た道を戻り、次の目的地の巳高閣(ここうかく)・世代閣(よしろかく)でタクシーを降りました。(タクシー代約3500円)。こちらはガイドさんが1グループごとに案内してくれます。

☆巳高閣は巳高山諸寺に祀られていた諸仏のうち本尊十一面観音など重要な仏像を安置されています。799年最澄によって伽藍が建立され名を「巳高山鶏足寺」とされ、湖北の仏教文化圏の中核として江戸時代まで栄えたのですが、政情の変化や地理的悪条件から次第に衰退、昭和8年に本堂も焼失してしまいました。寺院跡は琵琶湖を眺める台地に礎石や庭園が残り、往時をしのぶことができます。なにしろ鶏の足跡をたどって行かなければならないことから名前がつけられたという山上の寺院跡です。ハイキングの上級者でなければ訪問は無理でしょう。巳高山(こだかみやま)標高922.6M。

↓旧鶏足寺の十一面観音立像  平安中期の作/172.1cm/檜一木造。瓔珞も身に着けず、一見素朴に見えますが、漂う気品はさすがです。カメラは禁止なのですべて絵葉書です。

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他には七仏薬師信仰の貴重な遺品の七体がそろった七仏薬師如来立像 (平安後期)など。

続いて世代閣 の見学です。

世代閣 この地の湖北仏教文化圏のひとつを形成していた世代山戸岩寺も時代の流れとともに消えゆく運命にありました。危機感を持った村人たちの献身的な努力によって守られた尊像、寺宝が収納されています。

↓魚籃観音 9~10世紀の作とされる古像/159.0cm   唐の時代に観音の化身が魚を扱う美女として現れた伝説から生まれた観音さま。珍しい観音様で私はほかで観た記憶がありません。肉感的な美女観音の持つ籠に魚が入っています。手の一部や籠などは後補。 

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 他には重要文化財の「薬師如来立像」奈良時代、「十二神将のうち三躯 」奈良時代など。

↓境内の風景

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 さて、これからは徒歩で鶏足寺(旧 飯福寺)と石道寺を回ります。

↓世代閣のある高台から

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↓道沿いの看板はありますが

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↓畑道を横断して進みます 

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↓北海道ではあまり見かけない赤唐辛子の畑

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↓今日は日曜日ですからウォーキングの方々がかなり歩いていて 、山道へは迷わず入れました。

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↓秋のさわやかな一日 、気持ちよく歩けました

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↓途中には茶畑(亀山)の広がる風景 

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登りの山道は私にはきつかったのですが、焦らずマイペースでようやく鶏足寺の境内に着きました。

↓まだ2週間ほど紅葉の時期には早かったのですが 、ここは紅葉の名所として知られシーズンには多数の観光客が押し寄せるそうです。

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↓急な石段の上がお堂なので、息も絶え絶えになり、ここで倒れたら真っ逆さまに落ちるぅ~と青ざめつつも頑張りました。 

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☆鶏足寺(旧飯福寺    飯福寺は735年に僧の行基が開基したといわれる古いお寺です。中世には僧兵を要するほどの大寺でした。本院であった鶏足寺が廃院になったため、名前を受け継いでいます。

↓現在小さなお堂が残るだけで、旧寺にあった仏像は巳高閣に収蔵されています。

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 ここから石道寺へは下り道です。続きます~。 

 

 

 

 

 



  

 

 


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(1-2)木之本 [2016秋 湖北と明治村の旅]

~続きです。

 徒歩では30分ほどの距離にある黒田観音堂へはタクシーで数分です。途中戦国時代の軍師黒田官兵衛の先祖黒田家発祥地といわれる墓所を通過しました。町を抜けると賤ケ岳の裾野にのどかな観音の里が広がっています。

↓余呉川に架かる橋。黒田観音堂は正式には霊応山観音寺と案内板にありました。

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 橋を渡ると少し小高いところに☆黒田観音堂。お堂の右に庫裏が建っていますが、無人のようです。連絡すると管理人さんがまもなく現れました。住職が居ないので、村落の人たちで持ち回りで管理しているそうです。写真右に柚子の木。

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↓ 屋根は保護のため茅葺の上にスレート板で覆われています。

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↓正面の扉を開けると狭い堂内奥の厨子に「千手観音菩薩像」が祀られています。奈良や京都の観光寺院では経験できない身近に近寄って拝観できる親密さが嬉しい限りでした。画像は撮影禁止のためNETから拝借しました。身長199センチ、蓮台を含めると3メートルの檜1本彫り。切れ長の眼は厳しくもきりっと印象的。左右十八の御手を持つ上半身は量感豊か。両膝の渦文の表現から平安時代の初期の作と考えられています。奈良時代の名僧行基が自分で彫り、お堂を建立したとも伝えられています。

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↓御朱印も用意されていますが、参拝日は印鑑なのです。こういうところは奈良や京都とは違います。

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 ↓黒田観音堂を右手に余呉川に沿って行きます。夏の夜は蛍が飛び交うという川堤に

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↓芒の揺れる小道と遠くに見える賤ケ岳。童謡の「静かぁな、静かな里の秋~♪」の世界です。

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↓ 昔は糸とりが盛んだったという部落の狭い道を抜けて、伊香具神社に寄りました。

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☆伊香具神社創建白鳳時代られ、「羽衣伝説」の舞台でもある古社とのこと。しかし賤ケ岳の合戦(1583)で本殿や主要な宝物も焼失してしまいました。正面の鳥居は両翼を広げた水辺に面した形をとり、かってはこのあたりまで琵琶湖の入り江であったと推察されています。背後には山が迫り、森林の中の境内は静寂そのものでした。

↓狛犬さんたち

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↓ 見晴らしの良いという賤ケ岳(422m)のリフト乗り場を過ぎて、左下に小学校の見える道路の脇に☆大音千手堂が見えました。

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↓苔むした石段のうえに小さな観音堂。

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 到着した旨タクシーの運転手さんが電話すると、まもなく小学生の男の子を連れたお母さんの管理人さんがやってきました。正式には「明音山千手堂」というこの観音堂の由来はなかなか立派なものです。弘法大師が作られた十一面観音像が本尊で、山岳峻難の地を切り開いて堂宇を建立されました。かっては霊場として栄えたのですが、やはり賤ケ岳の戦いのため堂宇はことごとく焼失。ご本尊を守るために川に沈めたのですが、行方不明になったため若狭から購入した十一面観音像を本尊にしています。本尊はその後発見され他所に移された模様。写真は許可されました。

↓御身体は黒く全体に量感豊か、先程拝観した黒田の観音様と同じく切れ長の眼。ふっくらとした顔に赤い唇が個性的です。ここもごく近くまでにじり寄っての拝観が可能です。

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小学4年という男の子もきちんと正座して、ラジカセから流れるお堂の説明を聴くのがほほえましく、この里に流れる観音信仰の篤さが伺えました。タクシーの運転手さんも地元の方で、昔の人は木彫りの観音様を玩具として、水に浮かべたりして遊んだそうです。

↓御朱印

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 3時過ぎになり、宿に戻りました(タクシー代は約5000円)。ところが、3時は普通はチェックインの時間ですから当然開いているはずなのに、まだ閉まっています「ありえない!」と怒りながらジリジリ・・・。タクシーの運転手さんが連絡してくれて、ようやくご主人のお母さんらしい耳の遠いおばあさんが現れて、扉を開けてくれました。やれやれ[冷や汗2]と、案内された2階の和室に荷物を置き、木ノ本の散策に出かけました。

↓地蔵院への道

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↓地蔵院の前の通りは「北国街道」で「木之本宿」のあったところです。

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☆木之本地蔵院 開山は奈良時代という古い歴史があり、ご本尊のお地蔵さまは秘仏として扱われ、30年に一度しか拝観できません。今年の8月はその御開帳だったようです。

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↓ご本尊のお地蔵様の真下は地下空間の「ご戒壇巡り」になっています。若いカップルが入っていったので、説明もよく読まないで続いて入ったところ。真っ暗闇~!!前に入った人たちの小声も聞こえなくなり、戻ろうと振り返っても漆黒の闇・・・「ひえ~っ!!」壁を伝わりながらようやく出口に到達。これほどパーフェクトな暗闇は経験したことがありません。外に出たら前にいたカップルに出会って、思わず「一人だから怖かったわ~!」「それは・・・コワイワ」と絶句&同情されました。

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↓北国街道の造り酒屋さん「富田酒造」。近江の地酒「七本槍」の蔵元として有名です。

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↓酒倉

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↓宿の近くの和菓子屋。明日のおやつにでっち羊羹など購入

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↓ 宿に帰りお風呂に入って、夕食。近江牛のしゃぶしゃぶ、鮒の子まぶしなど。ちゃんとした料理人の手が入っていない切って並べただけという内容。

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 隣室のテレビの音が夜中まで聞こえて、睡眠不足・・・。チェックインの時間、料金に見合わないお料理など、いろいろと問題のある旅館でした。

 

 

 

 

 

 

 


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(1-1)札幌~木之本 [2016秋 湖北と明治村の旅]

11/5(土)千歳8:45→名古屋中部空港10:35/名鉄空港線で移動→JR名古屋駅12:19→米原12:44/12:56→木ノ本13:25  清泉閣1泊

 朝、カーテンを開けてびっくり! 昨夜からの雨が雪に変わっています。市内は積もるほどではありませんが、千歳のほうはどうかしら?心配しつつ札幌駅へ。この時期の北海道から本州への旅は15度以上と気温差が激しく、服装にも悩みます。特に今回は前半の湖北の観音巡りから帰途東京でのオペラ鑑賞まで、バラエティあり過ぎ…。日程は木ノ本、尾上 温泉、長浜、名古屋とそれぞれ1泊したあと東京2泊の6泊7日です。東京で着るものはホテルへ宅配便で送り、機内持ち込み用のキャリーにリュックを背負ってのいで立ちで颯爽と(現実はよろよろかな)出発しました。

飛行機は結局30分の遅れで離陸しましたが、本州上空は晴天。私の席からは北アルプスが見えました。

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  まもなく気温19度の名古屋に着陸。名鉄空港線の特急にぎりぎり間に合い、以後も計画通りに午後1時半には木ノ本駅に降り立つことができました。早速予約していた駅前旅館に荷物を預けに行ったのですが、玄関の鍵が閉まっていて、誰も出てきません。こういうことは予想していませんでした。途方にくれたものの、楽天トラベルで予約してあるから、大丈夫でしょうと再び駅に戻り、構内の観光案内所へ。今日徒歩で回る予定の二か所の観音堂の予約をしてもらいました。管理人さんたちの都合もあり、あまり遅くならないほうが良いとのことで、タクシーで向かいました。原則は前日予約とのことですが、週末は在宅していることが多いからと電話してくださって、親切な係の方に感謝です。

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続きます~。 

タグ:木ノ本
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