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(4-2)名古屋 [2016秋 湖北と明治村の旅]

~続きです。

↓ とろろ入りきしめんを食べて

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 ↓京都市電がちょうどやってきました。 

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 明治村に入園してから雨が 振り出し、路面電車で品川燈台に着いた頃は本降りになってきました。そのせいかどこも人影は少なく、品川燈台で降りたのは私だけ・・・。

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↓電車の駅から見下ろしたところ。左の赤レンガの建物は菅島燈台付属宿官舎(重要文化財)です

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↓品川燈台 /重要文化財   旧所在地 東京都港区品川 建設年代 明治3年(1870)

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 ここから4丁目に向かって雨の中歩きましたが、道に迷って時間をロス。内部見学はできないので写真だけ。

↓神戸山手西洋人住宅   旧所在地 神戸市生田区山本通 建設年代 明治20年(1887)代

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↓シアトル日系福音教会   旧所在地 アメリカ・ワシントン州シアトル市
建設年代 明治40年(1907)頃

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↓六郷川鉄橋と尾西鉄道蒸気機関車1号

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急ぎ足で進まなければ~まだ本命 は遠いようですが、素敵な建物を見ると足が止まってしまいます。

↓ 宇治山田郵便局舎/重要文化財  旧所在地 三重県伊勢市豊川町  建設年代 明治42年(1909

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 遠くに教会らしき建物が見えてきましたが・・・ 本命ではありません。

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↓ 呉服座/重要文化財   旧所在地 大阪府池田市西本町  建設年代 明治25年(1892)

呉服屋さんでなく芝居小屋です。 

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 ここから少し坂を上ると、先ほど遠望した聖ザビエル天主堂です。

聖ザビエル天主堂   旧所在地 京都市中京区河原町三條  建設年代 明治23年(1890) 

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 昨年、一昨年と五島列島、長崎、外海の明治期に建てられた教会を見て回りました。その時に長崎の伊王島にあった教会が明治村に移築されたと聞き、ここまでやってきたというわけです。上の京都から移築された聖ザビエル天主堂から更に奥まった場所にひっそり佇む木造の農家風の教会堂です。見学者は私だけ。

大明寺聖パウロ教会堂   旧所在地 長崎県西彼杵郡伊王島  建設年代 明治12年(1879

↓正面外観。鐘楼と玄関土間は昭和20年代に増築されたもの。 

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↓内部は三廊式の後期ゴシック様式  天井は「蝙蝠天井」と呼ばれる交差リブヴォールト。

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↓後陣(台形)外観 

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明治村の中でも正面ゲートからも遠く、奥まった場所にありますが、この素朴な教会堂にふさわしい・・・。 

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最後は同じ5丁目にある帝国ホテル へ。

帝国ホテル 中央玄関  旧所在地 東京都千代田区内幸町  建設年代 大正12年(1923)

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 ここもまた思い出の建物です。ほぼ半世紀前に卒業した短大の 謝恩会が帝国ホテルでありました。ほぼ全員が訪問着や振り袖姿の華やかな宴。中二階の室内楽の演奏など。。。ここで二十歳の自分を、遠い昔を想いました。帝国ホテルの旧館に入ったのはその時だけでした。

外に出ましたら、スピーカーで閉館が近いというアナウンス!「え~っ!!」すでに4時近く、慌てて蒸気機関車の乗り場に走って行きましたが、最終列車は出発してしまって・・・涙。

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雨も降りやまず、そのなかを正面ゲート目指して歩きました。犬山駅行きの最終バスが 4時半と放送してて、どうやら閉館時間と間違えたみたい・・・。案内板はあるものの建物の間の木々や坂が邪魔して、思うように進めません。園内バスも最終は閉園前の15分には終わってしまっていて、薄暗くもなってきて心細い・・・。なんとかバスに間に合って帰ることができましたが、国内だからと甘い考えで行動するとこういう不安な目にあうのだなと反省。

犬山から名鉄 で名古屋まで。夕食は名鉄デパートのレストラン街へ。評判の良い「鰻ひつまぶし」のお店はすでに10人ほど待っていましたが、椅子もあり座って待機。

↓で、念願の本場「ひつまぶし」香ばしい焼き上がりで美味しい~!ビールとおつまみもいただいて、大満足。

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 宿は今回で3回目のダイワロイヤルネットです。

↓部屋はレディース専用、マッサージ器もついてやや広め。

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↓浴槽も楕円形で広い。 

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 名古屋は観光地としてはあまり人気がないのか、札幌間の飛行機も安く(片道1万円弱)、ホテルも駅前で設備や朝食も良いわりに13,000円はリーズナブルでした。ホテル内の清潔なコインランドリーで洗濯も済ませ、就寝。

 

 

 

 


タグ:明治村
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(4-1) 長浜~名古屋 [2016秋 湖北と明治村の旅]

11/8(火)長浜10:03→米原乗り換え→名古屋11:43

  長浜のビジネスホテルは朝食も格安です。480円ならパンとコーヒーくらいなのかと、恐る恐る1階ロビー横の朝食室へ。ここは朝食時間以外はカフェになっています。朝食のブッフェの内容は嬉しい誤算でした。ごはん、みそ汁、卵焼き、納豆 、青菜のお浸し、漬物など。食後のデザートは柿も食べやすくカットされて並んでいました。中年の女性が独り、厨房に立って賄い係です。ほかにはパン、コーヒーなども。コーヒーは持ち帰って部屋でゆっくりいただきました。

 長浜駅から米原までの列車に乗り込みました。そこでとんだハプニング! 列車の出発は特急「しらさぎ」の到着を待ってだったのですが、やがて向かいに滑り込んできたその「しらさぎ」をなにげなく見て、眼が点に。次女の夫の姿が、ほんの数秒だったのですがお婿さんも気がついたのか、「えっ?」みたいな顔。。。そして、お互いに合図する間もなく列車は動き、お別れ(笑)。そうなのです。あの「しらさぎ」に乗れば1時間で、次女一家の住む福井に行けたのですから・・・趣味優先の非情なおばあちゃんでございます(謝)。ところが、ちょうど越前ガニの解禁のころでしたから、次女夫婦は「おばあちゃん独りでこっそり越前ガニを食べに来たに違いない」って・・・ぶー(そこまで食いしん坊でないって)です。

 それにしても悪いことはできませんね。罰が当たったのか、この日は前日までの好天は一転し、曇天から雨が今にも降りそうです。JR名古屋駅から名鉄名古屋駅に移動して、コインロッカーを探したのですが空きがありません。近くで働いていたお掃除のおじさんに他にコインロッカーあるか尋ねたのですが、けんもほろろな応対でびっくり!「自分で探したらいいやら~」って(涙)今夜のホテルは駅の反対側で、そこまで預けに行くのは億劫です。仕方なく明治村までもっていく覚悟で、改札までエレベーター降りてゆくと、目の前にコインロッカーありました。また、行き先を確かめるために呼び止めた駅員さんも面倒くさそうな態度で、これまで回ってきた湖北の素朴な親切な人たちとの違いに愕然でした。

 犬山駅から明治村駅行きのバスに乗り換え、明治村の正面ゲートに着いたのはすでに1時半をまわっていました。この時勘違いがあり16:30の犬山駅行きのバスが閉園時間と思っていましたから、最後は。。。大汗。

一日見学しても全部を回るのは不可能ですから、旅に出る前にポイントは押さえてありました。まず、正門近くの売店で名物の熱々の コロッケを立ち食いしてから1丁目エリアへ。ゆるやかな「森の小道」の坂道を歩きます。

↓ 聖ヨハネ教会堂/重要文化財 旧所在地 京都市下京区河原町通五條
建設年代 明治40年(1907)

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↓ここの角度の屋根裏部屋的な 窓が特徴的で素敵です。札幌にもいくつか残っている明治の洋館の雰囲気がノスタルジックです。 

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 この日は特定の団体による催し物があり、内部は関係者だけしか入れないとのことでした。ここも対応が丁寧でなく 「申し訳ございませんが・・・」のひと言もなく憮然。。。

↓園内は樹木が多く、建物同士が目に触れないような配置になっています。

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↓ 西郷従道邸/重要文化財 旧所在地 東京都目黒区上目黒
建設年代 明治10年(1877)代

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時節柄、修学旅行や研修の生徒たちと一緒になりましたが、ここではガイドさんが 一緒に回ったので、そこそこ静かに見学できました。

↓応接室の暖炉は有田焼?

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↓2階半円形に張り出したベランダから先ほど訪れた聖ヨハネ教会が見えました。

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↓森鴎外・夏目漱石 住宅   旧所在地 東京都文京区千駄木町
建設年代 明治20年(1887)頃

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 明治の文豪ふたりが10年ほどの時期はずれながらも住んだことがあるという由緒ある住宅です。特に夏目漱石はここで『吾輩は猫である』を執筆したとのこと。縁側に回ってみたら偽物の猫が座っていました。赤い帽子の人形はたまたま一緒に写真を撮っていた一人旅の若い女性がそっと置いたものです。

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↓ ここから「偉人坂」を降りて2丁目に向かいました。

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2丁目の入り口は広い交差点のような広場になっていて、その角に

↓札幌電話交換局/重要文化財   旧所在地 札幌市大通 建設年代 明治31年(1898)

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 外壁の石についての説明はありませんが、札幌の石山軟石で造られたものと思います。半世紀前に結婚して札幌に住んだ当時は石山軟石の建物がまだ多く残っていたのですが、現在はほとんど見られなくなりました。残念です。2階の窓の下の胴蛇腹花紋は欧風で、無骨な石の建物の素敵なアクセントになっています。札幌郊外にも野外博物館の「北海道開拓の村」がありますが、開館は昭和58年とのことで、この電話局が明治村に移築された後だったのでしょう。貴重な文化財なので、北海道に残しておきたかったなというのが偽らざる心境です。

↓内部に陳列されていた 電話機のなかで、幼いころ実家で初めて設置された想い出の機種を発見!電話が鳴ると胸がどきどき(怖かったの)。気の小さな子供でした・・・。

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  2丁目の見学はこの電話局だけで終了。路面電車(京都市電)に乗って3丁目の品川灯台へ向かいました。

続きます~。 

 

 

 

 

 

 


タグ:明治村
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(3-2)長浜 [2016秋 湖北と明治村の旅]

~続きです。

 竹生島では80分の滞在時間がありましたが、昼食をとる暇はありません。でも、朝ごはんをたくさんいただいていたので空腹感もなく好都合でした。

↓竹生島の「琵琶湖八景」の記念碑。古くからの名所なので観光化しているのは仕方ありませんが、キャッチフレーズの「神秘的なパワースポット」という雰囲気はあまり感じられませんでした。

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↓再び乗船して長浜に戻りました。竹生島の近くに釣り人の姿。

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↓こんもりとした緑の竹生島とお別れ 

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 下船後は長浜の観光です。駅に戻る途中に大きな「豊公園」があり 奥に長浜城が建っています。

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今回の旅で巡ってきた湖北は賤ヶ岳をはじめ戦国時代の戦いに由縁があり、1573年の浅井家の滅亡後、秀吉の支配下に入った長浜は秀吉が築城したところとしても知られています。しかし1577頃の築城完成から 1615年の廃城まで、40年足らずの短い命運でした。廃城後は石垣や櫓材は彦根城に運ばれ長浜城は完全に失われました。現在の長浜城は1983年に再興され、内部は長浜城歴史博物館として公開されています。湖北の宗教文化や浅井家、秀吉と長浜などテーマ別の展示を見学した後天守閣の望楼に上り、長浜市内や琵琶湖の眺望を楽しみました。

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 そろそろ日が落ちてきました。駅前通りから「黒壁スクエア」の散策へ。途中で「曳山博物館」があったので、そろそろ閉館という時間でしたが見学できました。ここで初めて知ったのですが長浜の曳山祭りでは子供狂言(歌舞伎)があるのです。小学生の男の子たちが一生懸命練習して、晴れの舞台に上がるその日までのビデオを見たり、展示された豪壮な曳山 を見学。このとき全国の曳山や山車の祭り33か所がユネスコ無形文化遺産の登録を目指しているということも知ったのですが、つい2日前に登録決定したとのこと!おめでとうございます~

文化庁のHPより

http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2015030501.pdf 

↓黒壁スクエアの街角風景 

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↓ここまでくると、さすがに おなかが空いて黒壁民家風カフェで「抹茶白玉小豆」

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 少し早めの夕食をと思いましたが適当なお店を見つけられず、ホテル近くの居酒屋で焼き鳥にビールと中華そばで済ませました。今夜の宿はホテルYes長浜駅前館というビジネスホテルです。昨日は高級宿で贅沢しましたので、料金も昨日の1/5と節約しました。朝食(480円)付き6300円でした。

↓ 部屋は狭いけれど清潔。セミダブルベットでゆったり眠れました。

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(3-1)高月~長浜(竹生島) [2016秋 湖北と明治村の旅]

11/7(月)

 今日も青空の広がる良い天気です。朝の湖畔には白鳥や鴨などが多く飛来する姿がみえました。ここは「湖北野鳥センター」の水鳥公園になっています。朝風呂は大きいほうのお風呂に行きましたが、そこからの眺めも素晴らしかったです。

↓鳥たちが良く写ってませんが ・・・

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↓宿のロビー1階のベランダから(室内にはバードウォッチング用の望遠鏡も並んでいます) 

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朝風呂とバードウオッチングの後はお部屋で朝食です。熱々の蒸し野菜など食べきれないほどの豪華版。

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 10時にチェックアウトして、宿の送迎バスで高月駅へ。若い男性のドライバーさんが道産子で十勝出身の方でした。北海道から一人旅のお客さんは珍しいので、宿で話題だったみたいです(汗)。乗客は私一人でしたから高月駅まで10分ほどでしたが、札幌の話をしたりで楽しいおしゃべり。駅では私の姿が見えなくなるまで見送ってくださって、故郷を遠く離れて働いている若者がいじらしく思えました。

高月10:18→ 長浜10:28.。。。長浜港11:30~~竹生島12:00/13:20~~長浜港13:50

 長浜の駅前のホテルを予約していましたので、荷物をフロントに預けてクルーズ船の出航する港まで歩きました(約15分)。好天とあってツアー客を含めた乗客でほぼ満席で出航しました。

琵琶湖周辺の見どころは数多ですが、そのなかでも竹生島は群を抜いた存在です。『平家物語』の「竹生嶋詣で」や謡曲の「竹生島」にも神秘的な美しさを秘めた島として登場しているそうです。松尾芭蕉や白洲正子の日本文化を彩る琵琶湖の伝説にも惹かれます。

↓長浜から30分ほど、静かな湖面を進みます。

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↓竹生島港に到着です

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↓ 下から見上げた宝厳寺の三重塔

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↓覚悟を決めて165段の石段を登ります。傾斜はかなりあり、私の体力ではぎりぎりでした。

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シニアの男性から「よく登られましたね」と労われたので、相当よれよれ状態だったのでしょうか(汗)写真も撮り忘れたものもあり、お寺のHPからお借りしました。

↓石段(NETから拝借)。階段中央に手すりが付いていて、これに縋り付いて登りました。

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 登りきったところに宝厳寺の本堂があります。この日お参りした弁天様は前立の弁財天で、秘仏のご本尊は60年に一回開帳、次回の開帳は西暦2037年とのこと。

↓NETから拝借

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☆宝厳寺   724年に聖武天皇の命により、行基によって開基。西国三十三か所観音霊堂の第三十番札所です。本尊は日本三弁財天のひとつで、そのなかでも最も古いものです。本堂は昭和17年に再建され、弁財天が安置されています。

 西国三十三か所巡りのツアーの方たちで納経所は混雑していましたが、せっかくなので並んで御朱印をいただきました。宝厳寺はさすがの格式と申しましょうか、日付は手書きです。

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 船着き場から見えた三重塔 はオリジナルは江戸時代初頭のものですが、現在のは2000年に再建されたもの。その近くに小さな宝物殿があります。重文の古文書や太刀のほかに仏像も何点かあり、興味深い古像も展示されていましたが、撮影禁止のうえ詳しい説明書もなく、すでに忘却の彼方です。

↓宝物殿の近くに樹齢約400年のもちの木。片桐且元が秀吉の命を受け、伏見から都久夫須麻神社の移築をしたときに植えたといわれています。

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 その 都久夫須麻神社の一部は残念なことに改修中で唐門、観音堂、舟廊下は一部しか見られません。工期は25年6月から30年12月まで。

↓工事前の唐門(NETから 拝借)

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屋根まですっぽりテントで覆われていますが、入ることはできます。

↓ さすがに素晴らしい狛犬の彫り物が両サイドで睨みを利かせています。爪の形から元は台座に置かれていたのかも・・・。

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↓扉

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↓舟廊下は渡れました(船底の天井や縦桟の窓が素敵です)

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↓廊下の先は 都久夫須麻神社の本殿です(写真禁止なので社殿外から望遠で)

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☆都久夫須麻(つくぶすま)神社は平安時代

↓都久夫須麻神社本殿(国宝) 関白秀吉が時の天皇をお迎えするために、その時代の粋を集めてつくった伏見城の「日暮御殿」を神殿として寄進したもの。殿内部には入れませんでしたが、天井絵は狩野永徳・光信の作といわれ、また蒔絵などで極彩色に装飾された桃山文化の代表的な建築物です。 

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↓階段を降りると竹生島で人気のスポット、龍神拝所の「かわらけ投げ」です。私も夫の病気平癒祈願をこめて「えいっ!」と気合で鳥居に向かって投げましたが・・・。

↓鳥居の手前におびただしい数のかわらけが積み重なって いました。

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↓ここで竹生島の観光コースは終了。そろそろ出航の時間です。

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 続きます~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 


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