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(3-2)長浜 [2016秋 湖北と明治村の旅]

~続きです。

 竹生島では80分の滞在時間がありましたが、昼食をとる暇はありません。でも、朝ごはんをたくさんいただいていたので空腹感もなく好都合でした。

↓竹生島の「琵琶湖八景」の記念碑。古くからの名所なので観光化しているのは仕方ありませんが、キャッチフレーズの「神秘的なパワースポット」という雰囲気はあまり感じられませんでした。

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↓再び乗船して長浜に戻りました。竹生島の近くに釣り人の姿。

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↓こんもりとした緑の竹生島とお別れ 

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 下船後は長浜の観光です。駅に戻る途中に大きな「豊公園」があり 奥に長浜城が建っています。

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今回の旅で巡ってきた湖北は賤ヶ岳をはじめ戦国時代の戦いに由縁があり、1573年の浅井家の滅亡後、秀吉の支配下に入った長浜は秀吉が築城したところとしても知られています。しかし1577頃の築城完成から 1615年の廃城まで、40年足らずの短い命運でした。廃城後は石垣や櫓材は彦根城に運ばれ長浜城は完全に失われました。現在の長浜城は1983年に再興され、内部は長浜城歴史博物館として公開されています。湖北の宗教文化や浅井家、秀吉と長浜などテーマ別の展示を見学した後天守閣の望楼に上り、長浜市内や琵琶湖の眺望を楽しみました。

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 そろそろ日が落ちてきました。駅前通りから「黒壁スクエア」の散策へ。途中で「曳山博物館」があったので、そろそろ閉館という時間でしたが見学できました。ここで初めて知ったのですが長浜の曳山祭りでは子供狂言(歌舞伎)があるのです。小学生の男の子たちが一生懸命練習して、晴れの舞台に上がるその日までのビデオを見たり、展示された豪壮な曳山 を見学。このとき全国の曳山や山車の祭り33か所がユネスコ無形文化遺産の登録を目指しているということも知ったのですが、つい2日前に登録決定したとのこと!おめでとうございます~

文化庁のHPより

http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2015030501.pdf 

↓黒壁スクエアの街角風景 

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↓ここまでくると、さすがに おなかが空いて黒壁民家風カフェで「抹茶白玉小豆」

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 少し早めの夕食をと思いましたが適当なお店を見つけられず、ホテル近くの居酒屋で焼き鳥にビールと中華そばで済ませました。今夜の宿はホテルYes長浜駅前館というビジネスホテルです。昨日は高級宿で贅沢しましたので、料金も昨日の1/5と節約しました。朝食(480円)付き6300円でした。

↓ 部屋は狭いけれど清潔。セミダブルベットでゆったり眠れました。

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(3-1)高月~長浜(竹生島) [2016秋 湖北と明治村の旅]

11/7(月)

 今日も青空の広がる良い天気です。朝の湖畔には白鳥や鴨などが多く飛来する姿がみえました。ここは「湖北野鳥センター」の水鳥公園になっています。朝風呂は大きいほうのお風呂に行きましたが、そこからの眺めも素晴らしかったです。

↓鳥たちが良く写ってませんが ・・・

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↓宿のロビー1階のベランダから(室内にはバードウォッチング用の望遠鏡も並んでいます) 

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朝風呂とバードウオッチングの後はお部屋で朝食です。熱々の蒸し野菜など食べきれないほどの豪華版。

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 10時にチェックアウトして、宿の送迎バスで高月駅へ。若い男性のドライバーさんが道産子で十勝出身の方でした。北海道から一人旅のお客さんは珍しいので、宿で話題だったみたいです(汗)。乗客は私一人でしたから高月駅まで10分ほどでしたが、札幌の話をしたりで楽しいおしゃべり。駅では私の姿が見えなくなるまで見送ってくださって、故郷を遠く離れて働いている若者がいじらしく思えました。

高月10:18→ 長浜10:28.。。。長浜港11:30~~竹生島12:00/13:20~~長浜港13:50

 長浜の駅前のホテルを予約していましたので、荷物をフロントに預けてクルーズ船の出航する港まで歩きました(約15分)。好天とあってツアー客を含めた乗客でほぼ満席で出航しました。

琵琶湖周辺の見どころは数多ですが、そのなかでも竹生島は群を抜いた存在です。『平家物語』の「竹生嶋詣で」や謡曲の「竹生島」にも神秘的な美しさを秘めた島として登場しているそうです。松尾芭蕉や白洲正子の日本文化を彩る琵琶湖の伝説にも惹かれます。

↓長浜から30分ほど、静かな湖面を進みます。

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↓竹生島港に到着です

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↓ 下から見上げた宝厳寺の三重塔

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↓覚悟を決めて165段の石段を登ります。傾斜はかなりあり、私の体力ではぎりぎりでした。

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シニアの男性から「よく登られましたね」と労われたので、相当よれよれ状態だったのでしょうか(汗)写真も撮り忘れたものもあり、お寺のHPからお借りしました。

↓石段(NETから拝借)。階段中央に手すりが付いていて、これに縋り付いて登りました。

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 登りきったところに宝厳寺の本堂があります。この日お参りした弁天様は前立の弁財天で、秘仏のご本尊は60年に一回開帳、次回の開帳は西暦2037年とのこと。

↓NETから拝借

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☆宝厳寺   724年に聖武天皇の命により、行基によって開基。西国三十三か所観音霊堂の第三十番札所です。本尊は日本三弁財天のひとつで、そのなかでも最も古いものです。本堂は昭和17年に再建され、弁財天が安置されています。

 西国三十三か所巡りのツアーの方たちで納経所は混雑していましたが、せっかくなので並んで御朱印をいただきました。宝厳寺はさすがの格式と申しましょうか、日付は手書きです。

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 船着き場から見えた三重塔 はオリジナルは江戸時代初頭のものですが、現在のは2000年に再建されたもの。その近くに小さな宝物殿があります。重文の古文書や太刀のほかに仏像も何点かあり、興味深い古像も展示されていましたが、撮影禁止のうえ詳しい説明書もなく、すでに忘却の彼方です。

↓宝物殿の近くに樹齢約400年のもちの木。片桐且元が秀吉の命を受け、伏見から都久夫須麻神社の移築をしたときに植えたといわれています。

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 その 都久夫須麻神社の一部は残念なことに改修中で唐門、観音堂、舟廊下は一部しか見られません。工期は25年6月から30年12月まで。

↓工事前の唐門(NETから 拝借)

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屋根まですっぽりテントで覆われていますが、入ることはできます。

↓ さすがに素晴らしい狛犬の彫り物が両サイドで睨みを利かせています。爪の形から元は台座に置かれていたのかも・・・。

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↓扉

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↓舟廊下は渡れました(船底の天井や縦桟の窓が素敵です)

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↓廊下の先は 都久夫須麻神社の本殿です(写真禁止なので社殿外から望遠で)

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☆都久夫須麻(つくぶすま)神社は平安時代

↓都久夫須麻神社本殿(国宝) 関白秀吉が時の天皇をお迎えするために、その時代の粋を集めてつくった伏見城の「日暮御殿」を神殿として寄進したもの。殿内部には入れませんでしたが、天井絵は狩野永徳・光信の作といわれ、また蒔絵などで極彩色に装飾された桃山文化の代表的な建築物です。 

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↓階段を降りると竹生島で人気のスポット、龍神拝所の「かわらけ投げ」です。私も夫の病気平癒祈願をこめて「えいっ!」と気合で鳥居に向かって投げましたが・・・。

↓鳥居の手前におびただしい数のかわらけが積み重なって いました。

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↓ここで竹生島の観光コースは終了。そろそろ出航の時間です。

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 続きます~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 


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