私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(ティツィアーノ)]
特別編
ティツィアーノ・ヴェチェリオ Tiziano Vecellio(伊)1488/90頃~1576
16世紀ヴェネツィア派の巨匠。ベッリーニ兄弟の工房で学び、同門のジョルジョ―ネの助手としてドイツ人商館の外壁装飾でデビュー。ジュルジョーネの死(1510)後、彼の残された作品を完成。師ベッリーニの死(1516)後はフラーリ聖堂の大作(聖母被昇天)で不動の名声を確立した。イタリア各地の宮廷やさらに神聖ローマ皇帝カール5世、その息子のフィリペ2世の愛顧を受ける。また1545年にはローマに招かれ教皇やファルネーゼ家のために制作。85年の長い生涯の中で、宗教画、神話画、肖像画の分野で500点近い膨大な作品を残した。「色彩の錬金術」といわれる大胆な筆触を用いた油彩画法を発展させた。
↓ヴェネツィア/サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ聖堂の聖母被昇天
↓パリ・ルーヴル美術館の田園の奏楽
↓同上の聖母、幼児聖ヨハネ、聖カタリナ(ウサギの聖母)
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ美術館の聖ヒエロニムス
↓マドリード・プラド美術館のダナエ
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーのバッコスとアリアドネ
↓同上のノリ・メ・タンゲレ
↓エディンバラ/スコットランド国立美術館のディアナとアクタイオン
↓同上のディアナとカリスト
↓ケンブリッジ(英)/フィッツ・ウィリアム美術館のヴィーナスとオルガン奏者とキューピッド
↓フィレンツェ/ピッティ宮殿美術館の悔悛するマグダラのマリア
↓同上の婦人の肖像(ラ‣べッラ)
↓同上の男の肖像(英国人または灰色の目の青年)
↓フィレンツェ/ウフィツィ美術館のウルビーノのビーナス
↓アンコーナ(伊)市立美術館の聖母子と聖フランチェスコ、聖人たち
↓ナポリ/カポディモンテ美術館の悔悛するマグダラのマリア
↓同上のダナエ
↓同上の教皇帽をかぶったパウルス3世
↓ローマ/ドーリア・パンフィーリ美術館の洗礼者ヨハネの首を持つサロメ
↓ローマ/ボルゲーゼ美術館の「聖愛」と「俗愛」
↓ウィーン美術史美術館の男の肖像
↓同上のイザベッラ・デステ
↓同上の毛皮の少女
↓ウィーン/美術アカデミーのタルクィニウスとルクレティア
↓サンクトペテルブルク/エルミタージュ美術館の悔悛するマグダラのマリア
↓ミュンヘン/アルテ・ピナコテークの虚栄
↓ロサンゼルス郊外/ポール・ゲッティ美術館のヴィーナスとアドニス
↓ボストン/イザベラ&スチュアート・ガードナー美術館のエウロペの略奪
↓アジャクシオ(コルシカ島/仏)フェッシュ美術館の男の肖像
タグ:ティツィアーノ
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(ダリ)]
ダリ Salvador Dali(西)1904~1989
シュルレアリストの画家。ダリには彼が生まれる前に亡くなった兄がいたが、その兄の名前を付けられたことから、「生を生きる前に死を生きた」という意識が彼をとらえるようになる。一枚のタブローの中に非現実と現実の二つの領域を描く生まれつきのシュルレアリストだったと言える。ダリの生涯での重要な出会いはガラとの出会いである。ガラはダリのミューズであり、「人生の航路を常に注意深く見守るかじ取り」の存在であった。82年ガラが亡くなると、制作意欲もなくなり7年後に死去。
↓ニューヨーク・近代美術館MoMAの記憶の固執(やわらかい時計)
↓フィゲラス(西)/ガラ=サルバドール・ダリ財団のガラの足・立体視絵画
↓同上のパン籠
↓同上の海を見るガラの首…リンカーン
↓同上のレダ・アトミカ
↓同上の3つのガラの顔の出現
↓同上の奇妙な廃墟の中で自らの影の上を心配でふさぎがちに歩き回る、妊婦に形を変えるナポレオンの鼻
↓マドリード/国立ソフィア王妃・現代美術センターの窓辺にたたずむ少女
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ美術館の目を覚ます1秒前.柘榴の実の回りを1匹の蜜蜂が飛び回ったために観た夢
マドリード/ソフィア王妃現代美術館のアナ・マリア(画家の妹)
↓セント・ピーターズ(フロリダ米)サルバドール・ダリ美術館の新人類の誕生を見つめる地政学の子供
↓同上のポルト・リガトの聖母の習作
↓同上のミレーの晩鐘の考古学的回想
↓同上のEcumenical Council
↓同上のチャイルド・ウーマンのメモリー
↓同上のセンチメンタルなお喋り
↓ヴェネツィア/ペギー・グッケンハイム・コレクションのUntitled
↓同上の液状化した欲望の誕生
↓ロッテルダム/ボイマンス美術館の頭が雲でいっぱいのカップル
↓ブリュッセル王立美術館の聖アントワーヌの誘惑
↓チューリッヒ美術館の薔薇の頭を持つ女
↓パリ/ポンピドー・センター国立近代美術館の部分的幻覚、ピアノに現れたレーニンの6つの幻
↓エクサンプロヴァンス(仏)/グラネ美術館のセザンヌとマティスの昼間の大アトリエ
↓ワシントン・ナショナル・ギャラリーの最後の晩餐
タグ:ダリ
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(ター1)]
ダヴィット Gerard David(フランドル)1460頃~1523
16世紀メムリンク没後のフランドルの代表画家。ヤン・ファン・エイクやメムリンクの影響が大きい。画風は静寂で厳粛な雰囲気を持つ。風景描写には後の風景画の成立を予告する綿密な観察が見られる。革新性に欠けるが15世紀ネーデルランド絵画の伝統を堅固に守り抜いた。
↓リヨン美術館のエッサイの木
↓ヴィンタートゥール(スイス)/オスカー・ラインハルト・コレクションのキリストと聖母マリアの会話
↓同上のピエタ
↓ニューヨーク/フリック・コレクションの十字架降下
↓ブルージュ(ベルギー)/グルーニング美術館のキリストの洗礼
↓同上の裁判図(シザムネスの皮はぎ)
↓ブルージュ/ノートルダム教会の祭壇画(中央はオリーブ山のキリスト)
↓バーゼル国立美術館の聖母子と奏楽の天使たち
↓ルーアン美術館の聖母子と聖女たち
↓ロッテルダム/ボイマンス美術館の風景の中の聖母子
↓マドリード・プラド美術館のエジプトへの逃避途上の休息
ダヴィッド Jacques Louis David(仏)1748~1825
フランス新古典主義を代表する画家。1774年にローマ賞を受け、1775~80年までローマに留学。サロン出品作が大好評となった。一躍新時代の先駆者となり、また政治活動にも積極的で、フランス革命後はナポレオンの首席画家として活躍。王政復古後はブリュッセルに亡命し、その地で死去。
↓ニューヨーク/メトロポリタン美術館のソクラテスの死
↓ニューヨーク/フリック・コレクションのダリュ伯爵夫人
↓パリ/ルーヴル美術館の皇帝ナポレオンと皇后ジョセフィーヌの戴冠
↓同上のレカミエ夫人
↓同上のマラーの死(アトリエのレプリカ/真作はブリュッセル)
↓ヴィンタートゥール(スイス)/オスカー・ラインハルト・コレクションのポーリン・ジャニンの肖像
↓ミュンヘン/ノイエ・ピナコテークのソルシ伯爵夫人
↓ブリュッセル王立美術館のヴィーナスと三美神に武器を取り上げられるマルス
↓同上のマラーの死
ダッディ Bernardo Daddi(伊)1280頃~1348
ルネサンス初期のイタリアの画家。ジョットの弟子。ロレンツェッティ(兄弟)らシエナ派からも影響を受けている。
↓パリ/ルーヴル美術館の受胎告知
ターナー Joseph Mallord William Turner(英)1775~1851
コンスタブルと並ぶイギリスの風景画家。49歳まで毎年のように国内、国外の旅を重ね、様々な自然現象をもとに感覚的な風景画を制作。44歳の時旅したイタリア以来、色彩は鮮やかさを増し、形と色は光の効果の下に混然一体となって、抽象的な表現と進んだ。ターナーの作品のみを展示するギャラリーが、テイト・ブリテンに付設されている。
↓ロンドン/テイト・ブリテンのノラム城、日の出
↓同上の難破船のいる荒れた海
↓同上の吹雪(浅瀬を進む蒸気船)
↓同上の静けさー海の埋葬
↓同上の海の怪物のいる日の出
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーの雨、水蒸気、速力(グレイト・ウエスタン鉄道)
↓同上の解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール
↓ニューヨーク/フリック・コレクションの夕刻、パケット・ボートの到着
↓同上のDIEPPEの港
↓ウィリアムズタウン(米)/クラーク美術研究所の浅瀬の蒸気船に警告するのろしと青い光
↓エジンバラ・ナショナル・ギャラリーのモダーン・ローマ(カンポ・ヴァッチーノ)1839
タマヨ Rufino Tamayo(メキシコ)1899~1991
タンギー Yves Tanguy(米)1900~1955
アメリカのシュルレアリスムの画家。キリコの作品から触発され、シュルレアリスム運動に加わる。1939年にニューヨークに渡り、以後アメリカで活躍。有機的な形と無機的な色彩、生命の発生と廃墟、未来都市の姿を空虚な静けさの中に描く。
↓ニューヨーク/ホイットニー美術館の購入Purchase
↓レンヌ(仏)美術館のインスピレーション
↓パリ/ポンピドー・センター・近代美術館の緩慢な日
↓チューリッヒ美術館の明日
ダーガー Henry Darger(米)1892~1973
アメリカ合衆国の作家、画家、芸術家、掃除夫。『非現実の王国で』の作者。誰に見せることもなく半世紀以上もの間、たった一人で1万5000ページもの作品を描き続けた。死後、アウトサイダー・アートの代表的な作家として評価されるようになった。
↓ロ―ザンヌ(スイス)/アート・ブリュ美術館の『非現実の王国で』(部分)
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(シ-3)]
シャルダン Jean Baptiste simeon Chardin(仏)1699~1779
18世紀フランスの静物、風俗画家。1728年より王立アカデミーの会員となる。1755年よりパリで暮らし、貴族社会からも好評を博しながら、慎ましい市民の日常生活の断片を描く。理知的で堅牢な造形、繊細な色彩、柔らかい光に特徴がある。晩年は視力も衰え不遇であったが、パステル画に新境地を開いた。
↓サンクトペテルブルク/エルミタージュ美術館の食前の祈り
↓ワシントンD.C・ナショナル・ギャラリーの病後の食事(思いやりのある看護人)
↓ニューヨーク・フリック・コレクションのセリネット(鳥風琴)
↓同上の静物、プラム
↓パリ・ルーヴル美術館の食卓(Buffet)
↓同上の赤鱏
↓同上のサイコロ独楽に見入る宝石商ゴドフロワ氏の息子
↓同上の働き者の母親
↓同上の買い物帰りの女中
↓同上のデッサンする青年
↓パリ/ジャックマール-アンドレ美術館の科学の寓意
↓同上の芸術の寓意
ヴィンタートゥール(スイス)/オスカー・ラインハルト・コレクションの静物(ガラスのコップ、フルーツ)
↓同上のクルミとフルーツ
↓同上のトランプの城
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーのトランプの城
↓レンヌ(仏)美術館の桃と葡萄、ガラスの鉢
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ美術館のつるされた赤鱏(えい)と狙う猫
↓ミュンヘン/アルト・ピナコテークの台所の女
↓東京/富士美術館のデッサンの勉強
↓エジンバラ/スコットランド国立美術館の花瓶の花
シーレ Egon Scchiele(オーストリア)1890~1918
オーストリア表現主義の画家。17歳でクリムトの影響を受けた作品を制作し始めるが、1910年には人物像において独自の表現主義的作風を確立。だが一般に言われている表現主義とは一線を画するきわめて個性的なもので、激しく、悲痛、不安感が漂う。28歳でスペイン風邪のため死亡。
↓ウィーン/レオポルド美術館のほおずきの実のある自画像
↓同上の縞のドレスのエデット・シーレ
↓同上の死の都Ⅲ
ウィーン/美術史美術館の向日葵
↓ウィーン/アルベルティ―ナ美術館のクルマウの古い家
↓同上の座っている?エディット・シーレの肖像
↓同上の農民の思春期の娘
↓同上の黒髪の少女
↓ウィーン/オーストリア美術館(ベルヴェデーレ宮)の死と乙女
↓同上の家の壁
↓同上の家族
↓同上の母と二人の子供
↓シュトゥットガルト(独)州立美術館の郊外の町
↓バーゼル美術館のErich Ledererの肖像
↓チューリッヒ美術館の死の都
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ美術館の河畔の家
ジャンモ Louis Janmot(仏)1814~1892
19世紀フランスのリヨン派の画家、詩人。ジャンモはロマン派と象徴主義の間を繋ぐ人物として見られており、ドイツのナザレ派(en)やイギリスのラファエル前派と同様な神秘主義的、理想主義を有すると共にカトリック的傾向を強く有する画家であった。
↓リヨン美術館の野の花
↓同上の魂の飛翔(油彩画のシリーズ/魂の詩)
シンべリ Hugo Simberg (フィンランド)1873~1917
フィンランドの象徴主義画家、グラフィックデザイナー。シンベルグ、シンバーグとも表記される。 1895年、シンベリはルオヴェシで、アクセリ・ガッレン=カッレラの個人的な弟子となった。 シンベリが自作で最も多く取り上げた2つのキャラクターは「Poor Devil」と「死」である。
↓ヘルシンキ/アテネウム美術館の傷ついた天使
↓同上の春の宵
↓同上の夢
↓同上のクロスロード
↓同上のポットを持つ悪魔
↓同上の祈り
シャーン Ben Shahn(米)1898~1969
社会派リアリズムを代表する画家。リトア二アからアメリカに移住。石版画工房で働きながら大学やアートアカデミーで学ぶ。30年に初個展。同年から33年にかけて、ドレフィス事件などのテーマを取り上げ発表、注目される。戦後は農作業のリトグラフやポスター制作にもかかわり、第五福竜丸事件を主題にした作品でも知られている。
↓ニューヨーク/ホイットニー美術館のサッコとヴァンゼッテイの受難
↓姫路市立美術館の至福
シモン・サン-ジャン Simon Saint-Jean(仏)1808~1860
19世紀フランスの画家。主に花の絵で認められたが、「食堂の絵」として批判もあった。
↓リヨン美術館の女庭師
シンケル Karl Friedrich Sahinkel(独)1781~1841
↓ベルリン・ナショナル・ギャラリーの川沿いの中世の町・大聖堂
↓ミュンヘン/ノイエ・ピナコテークのライン川沿いの町・大聖堂
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(ジョット)]
特別編
ジョット・ディ・ボンドーネ Giotto di Bondone(伊)1267~1337
イタリア文学の祖ダンテと並びイタリア絵画の創始者と言われる。ルネッサンス・リアリズムの先駆者として、同時代の絵画に大きな影響を与えた。自然に即した簡潔明晰な表現と物語の卓抜な心理解釈により、13世紀ビザンティン様式に革命的な新風を吹き込む。よく組織された工房を率いて、イタリア各地で活躍。晩年はフィレンツェ大聖堂の造営主任になり、鐘塔の設計にも関与した。工房の関与もあり画家の帰属を疑われる作品も多い。
↓パドヴァ(伊)/スクロヴェー二礼拝堂の金門での出会い(ヨアキム伝)
↓同上のヨアキムの夢(ヨアキム伝)
↓同上のアンナへのお告げ(ヨアキム伝)
↓同上の受胎告知(聖母マリア伝)
↓同上のエジプトへの逃避(キリストの生涯)
↓同上のユダの接吻(キリストの生涯)
↓同上の聖霊降臨ペンテコステ(キリストの生涯)
↓同上のキリストの磔刑(キリストの生涯)
↓同上のキリストの復活(キリストの生涯)
↓同上の悪徳の寓意像
↓同上の内陣方向
↓同上の最後の審判(ファサード裏面)
↓アッシジ(伊)/聖フランチェスコ聖堂の聖人に別れを告げる聖女クララと修道女たち(聖フランチェスコ伝)
↓同上の財産放棄(聖フランチェスコ伝)
↓同上のイノケンティウス3世の夢(聖フランチェスコ伝)
↓フィレンツェ/サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の十字架上のキリスト(帰属)
↓フィレンツェ/サンタ・クローチェ聖堂の聖フランチェスコの葬儀
↓フィレンツェ/ウフィツィ美術館の荘厳の聖母(オニサンティの聖母)
↓パリ・ルーヴル美術館の聖痕を受けるキリスト
↓同上の小鳥への説教(上のプレデッラ)
↓ミュンヘン/アルト・ピナコテークの最後の晩餐
↓ニューヨーク・メトロポリタン美術館のThe Epiphany啓示(降誕)
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(セー1、ソ-1)]
セガンティー二 Giovanni Segantini(伊)1858~1899
北イタリアとスイスの山岳風景を愛した19世紀イタリアの画家。ミラノのブレラ美術学校を卒業後制作活動に入る。製作年代順に3期に分かれ、1881~は山岳や農民の生活、1886~は更に高地の透明な陽光に接し、独自の分割技法を確立。晩年はアルプス景観の客観的な描写に専念しつつ、主題に形而上学的な意味を持たせた象徴主義を志す。
↓ミラノ/ブレラ美術館の春の牧草地
↓サン‣モリッツ(スイス)/セガンティー二美術館の自然の3部作1.死(消滅Vergehen)
↓同上の自然の3部作2.生(生成Vergehen)
↓同上の自然の3部作3.自然(存在Sein)
↓同上のアルプスの真昼
↓同上の悔恨の女
↓同上の十字架への接吻
↓同上の湖を渡るアヴェ・マリア
↓同上の水を飲むグラウビュンデンの女
↓ブダペスト国立美術館の生命の天使
↓チューリッヒ美術館のよこしまの母たち
↓同上のアルプスの牧場
↓同上の私はモデル
↓同上の編み物をする娘
↓ミラノ近代美術館の二人の母
↓バーゼル美術館のSavogninの早春
ゾッポ Marco Zoppo(伊)1432頃~1478
15世紀北イタリア派の画家。パドヴァのスクアルチョーネ工房で修行。画風は同じ工房のマンテーニャから大きな影響を受けた。鋭い輪郭と堅い彫塑性を持つ。後にはコズメ・トゥーラからの影響も受けた。
↓ペーザロ(伊)市立美術館のピエタ
ソドマ Sodoma(伊)1477~1549
16世紀初め、主にシエナで活動した画家。レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受け、1501年頃シエナに定住。周辺の修道院の壁画などの制作。レオナルドやラファエロなどの古典的な傾向を吸収しつつも、北方的な細部の写実性にいくぶん幻想的な雰囲気も持ち続けた。
↓フィレンツェ/ピッティ宮殿ギャラリーの聖セバスティアヌスの殉教
タグ:セガンティー二
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(スルバラン)]
特別編
スルバラン Francisco Zurbaran(西)1598~1664
17世紀前半のセビーリャ派を代表する画家。生涯にわたって主にアンダルシアの教会と修道院のために宗教画を制作した。強烈な明暗法と透徹した写実描写、静謐な画風により好評、次々と注文をこなす。1634年には旧友ベラスケスの招きでマドリードに滞在、歴史画の連作など制作したが、画家本来の画風には向かなかったようだ。1640年代に入ると若きムリーリョの台頭に押され衰退。再びマドリードに赴くが同地で客死。静物画は数少ないがスルバランの静謐で禁欲的な画風をよく示している。
↓マドリード/プラド美術館の神の愛の寓意
↓同上のボデゴン
↓シャルトル(仏)美術館の聖ルチア
↓マドリード/サン・フェルナンド王立美術アカデミーの白い修道士シリーズ4点
↓同上の修道士アロンソ・デ・ソトマイヤー
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ美術館の聖カシルダ
↓パリ・ルーヴル美術館の聖アポロ二ウス
↓リヨン美術館の聖フランチェスコ
↓ドレスデン国立美術館の祈るボナヴェントゥ―ラ
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーの白いカップと薔薇
↓同上のひざまずいて祈る聖フランチェスコ
↓ロンドン・ナショナル・ギャラリーの聖マルガリータ
↓ストラスブール美術館の聖ウルスラ
↓同上の聖アングラシア
↓ボストン美術館の左/聖ベトルス・トマス、右/コンスタンティノーブルの聖キュリロス
↓パサディナ(米)/ノートン・サイモン美術館の祈る聖フランチェスコ
↓同上の聖母の誕生
↓同上の静物/レモン・オレンジと薔薇
↓サンクトペテルブルク/エルミタージュ美術館の聖母マリアの少女時代
タグ:スルバラン
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(シャガール)]
特別編
シャガール Marc Chagall(仏)1887~1985
エコール・ド・パリの画家。ロシア(ヴィテヴスク)のユダヤ人の家族に生まれた。1910年パリに出て、アポリネールの紹介で個展を開き「青騎士」に絶賛される。同年ベラと結婚。その後ロシア~パリ~ニューヨークと移住し活動。44年妻のベラが死去し、47年フランスに戻る。50年南仏のヴァンスにて陶器制作、57年からステンドグラス、64年、パリのオペラ座の天井画を制作した。ユダヤ教の象徴に始まり、多様なスタイルが混在している。特に故郷の神秘的情景、浮遊する恋人たちといった幻想的な絵画で知られている。創作の根底には人種、民族の悲劇など20世紀初頭の芸術家が背負った苦悩が横たわっている。
↓パリ/ポンピドー・センター・近代美術館のPaysage cubiste
↓同上の夏の季節
↓同上のエッフェル塔の新郎新婦(カード仕様)
↓同上の墓地
↓同上のワイングラスをかかげる二重肖像
↓ウィーン/アルベルティ―ナ美術館の花と眠る人
↓チューリッヒ大聖堂のステンドグラス(聖母子)
↓ヴェネツィア/ペギー・グッケンハイム・コレクションの雨
↓バーゼル美術館の家畜商人
↓同上の黒い手袋の私の婚約者
↓チューリッヒ美術館のヴィテプスクの上に
↓Private collection?のヴィテブスクの上に
↓サンクトペテルブルグ/ロシア美術館の赤いユダヤ人
↓同上の鏡
↓サンクトペテルブルク/個人コレクションの出現
↓ニューヨーク・メトロポリタン美術館のヴィテプスクのマーケット
↓千葉/川村記念美術館の赤い太陽
↓ニース/マルク・シャガール国立美術館の讃美歌1.2
↓川村記念美術館のダヴィデ王の夢
タグ:シャガール
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(セザンヌ)]
特別編
セザンヌ Paul Cezanne(仏)1839~1906
後期印象派の代表的画家。絵の勉強のためパリに出たが馴染めず、1880年からは故郷のエクスに引きこもり、制作に専念。プロヴァンス風景、静物画、人物画などを描き造形的な探求を続ける。20世紀美術の先駆者の1人。
↓パリ/オルセー美術館の台所のテーブル
↓同上のマンシーの橋
↓同上の林檎とオレンジ
↓同上の青い花瓶
↓同上のコーヒーポットのある静物
↓同上の水浴する5人の男たち
↓パリ/ピカソ美術館の水浴する5人の女たち
↓メリオン(米)バーンズ財団・コレクションのカード遊びをする男たち
↓ワシントンDC・ナショナル・ギャラリーのアルルカン
↓マドリード/テッセン・ボルミネッサ美術館の農民の肖像
↓ロンドン・ナショナルギャラリーの庭師の肖像
↓同上の水差しと果物
↓同上の女性大水浴図
↓ロンドン/コート―ルド美術研究所のカード遊びをする男たち
↓同上のパイプの男
↓サンクトペテルブルク/エルミタージュ美術館のカーテンと静物
↓ミュンヘン/ノイエ・ピナコテークの静物
↓同上の自画像
↓ベルリン・旧ナショナル・ギャラリーの静物/花と果物
↓バーゼル美術館の水浴する5人の女たち
↓ヴィンタートゥール(スイス)・ラインハルト・コレクションのコンポートと果物
↓同上のサント・ヴィクトワール山
↓同上のシャトー・ノワール
↓同上の自画像
↓同上の静物(ポット、果物、織物)
↓所蔵先不明の花瓶の花
↓同上のレスタックの海
↓ニューヨーク/メトロポリタン美術館の林檎と花瓶の薔薇
↓同上のカード遊びをする男たち
↓同上のTholonetへの道から見た家
↓ニューヨーク近代美術館MoMAの水浴する男
↓ニューヨーク/ポール・ゲッティ美術館の肘をつく若いイタリア娘
↓ボストン美術館の河畔にて
↓パサディナ/ノートン・サイモン美術館の花瓶のチューリップ
↓東京/旧ブリジストン美術館のサント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール
タグ:セザンヌ
私の絵葉書美術館 [絵葉書コレクション(スー1)]
スコーレル Jan van Scorel(ネーデルランド)1495~1562
16世紀ネーデルランドのロマニスト画家。アムステルダムや各地で修業の後1525年、アムスに戻り工房を構える。活発な制作活動を行いユマニスト画家として名声を得る。大胆で柔軟性に富む人物が絵画画面を構成しているが、宗教性は薄くなる
↓アムステルダム国立美術館のマグダラのマリア
ステヴァンス Alfred Stevens (ベルギー)1823~1906
父親は元軍人で美術品の収集家、画商で、兄に動物画家として知られるJoseph Stevens、弟に美術評論家のアルテュール・ステヴァンス。母親の両親はブリュッセルで政治家や芸術家の集まるカフェを経営し、14歳のとき父親が死んだ後、祖父母に育てられ、兄弟は知識人の中で育った。ブリュッセルの美術アカデミーで学んだ後、パリのロマン派の画家の弟子となり修行。ブリュッセルに戻り、優美な女性の人物画を描き人気になった。
↓ウィリアムズタウン/クラーク美術研究所の冬
ステーン Jan Steen(オランダ)1626~1679
オランダの風俗画を代表する画家。ハルスやフェルメールの影響を受けつつ、教訓を秘めた機知に富む風俗画を制作。コメディア・デ・ラルテからも多くの着想を得ている。
↓ロンドン/ウォーレス・コレクションの洗礼のパーティ
↓デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館の医者の来訪(恋煩い)
ストスコプッフ Sebastien Stoskopff(仏/独)1597~1657
アルザス地方の画家。ドイツ語圏での静物画家として重要な一人であると評価されている。
↓ストラスブール(仏)/ウーヴル・ノートルダム美術館の五感または夏
↓同上の籠の中のコップ
↓バーゼル美術館のアンテショーク、鳥、魚
スーティン Chaim Soutine(露)1894~1943
ロシア出身のパリで生きた画家。エコール・ド・パリの1人に分類することができるが、表現主義的な作風を特徴とする。貧しいユダヤ人の家庭に生まれ、パリにでてモンパルナスの蜂の巣に住み、同じような境遇のシャガールやモディリアーニと知り合う。生前は個展を開かずあまり知られていなかったが、デフォルメされた人間像や皮をはがれた牛など、極めて特異な独自の画風を確立。
↓ニューヨーク/メトロポリタン美術館のマドレーヌ・カスタン
↓メリオン(米)/バーンズ・財団・コレクションの小さな菓子職人
↓パリ/ポンピドー・センター・近代美術館の聖歌隊の少年
↓パリ市立近代美術館の赤い服の女
↓バーゼル美術館の遊ぶ子供
スーラ Georges Pierre Seurat(仏)1859~1891
新印象主義の創始者。光と色彩の均衡やや厳格な形態による構図の調和を追及。点描法を用いて視覚を混合させる技術を特色とした。スーラ独自の静謐な世界を持つ絵画も多い。
↓オッテルロー・クローラー・ミューラー美術館のシャユ踊り
↓同上の日曜日のベッサン港
↓ニューヨーク/メトロポリタン美術館のサーカス・サイドショー
↓ロンドン/ナショナルギャラリーのアニエールの水浴
↓同上のポーズする女たち
↓ロンドン/コート―ルド美術研究所の白粉をはたく女
↓パリ/オルセー美術館のサーカス
↓シカゴ美術館のグランド・ジャット島の日曜日